今村翔吾が直木賞を受賞した戦国小説。「絶対に破られない石垣」を造る職人の熱き物語

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/6/20

塞王の楯"
塞王の楯』(今村翔吾/集英社)

 熱い。なんて熱い小説なのだろう。血が沸き立つ。ジワっと汗が噴き出す。本を開けば、そこは戦乱の世。砂埃舞う中、耳をつんざくような砲撃の音を全身で聞いた。砲弾になど負けてたまるか。なんとしても守り抜きたい人がいるのだ。呼吸をするのも忘れて、自分も主人公になったような気分で、焦るようにページをめくり続けた。

 そんな圧倒的な臨場感がある本、それが『塞王の楯』(今村翔吾/集英社文庫)だ。第166回直木賞受賞作であるこの戦国小説で描かれているのは、「絶対に破られない石垣」を造ろうとする石垣職人の姿。戦国時代が舞台なのに、武士ではなく職人の物語と聞くと、どうしても地味な印象を受けるが、それは杞憂だ。こんなにも手に汗握らされるとは思わなかった。戦国の世は、武士だけの時代ではない。武士たちを支え、彼らに尽くした職人たちだって、全身全霊をかけて合戦と向き合っていた。戦いの中で躍動するその姿には、きっとあなたも魂を揺さぶられることだろう。

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 舞台は、安土桃山時代の末期。幼き匡介は、織田信長による越前・一乗谷城の落城で、両親と妹を喪った。命からがら逃げる途中で出会ったのが、石垣職人の源斎。石垣作りの職人集団・穴太衆の飛田組の頭であり、当代随一を意味する「塞王」の異名を持つ源斎に救われ、育てられた匡介は、やがてその後継者と目されるようになる。「絶対に破られない石垣」を作れば、この世から戦をなくすことができる。そう信じる匡介は、泰平の世を夢見て、ひたすら石積みの技を磨き続けていた。一方、戦で父を喪った鉄砲職人・国友衆の鬼才・国友彦九郎は、「どんな城をも落とす砲」を作り、その恐怖を天下に知らしめることこそ、戦の抑止力になると信じている。そして、秀吉が病死し、再び戦乱の気配が近づく中、琵琶湖畔にある大津城の城主・京極高次は、匡介に石垣造りを頼み、攻め手の石田三成は、彦九郎に鉄砲作りを依頼する。互いに意識し合う、匡介と彦九郎は、職人としての矜持を胸に、関ヶ原の戦いの前哨戦として史実に残る、大津城の戦いで相まみえることになった。

「俺はあんたを必ず超える。塞王になってみせる!」。師匠に向かってそんなまっすぐな台詞を口にする匡介は、まるで少年マンガの主人公。職人同士の絆にしろ、ライバルへの思いにしろ、彼の人柄を知れば知るほど、その情熱あふれる姿から目が離せなくなる。それに彼を取り巻く人間たちもまた魅力的なのだ。「戦をなくしたい」と鉄砲作りに励む鉄砲職人・彦九郎は決して悪人には見えないし、匡介に石垣造りを頼む大津城の城主・京極高次だって、戦うことを嫌い、戦国武将のくせに、たとえ愚将の誹りを受けようとも「皆に生きてほしい」「儂も死にたくない」などという。高次の妻で、信長の姪であるお初は、かつて経験した落城の悪夢に今でもうなされていると言い、綺麗な着物のまま、泥まみれの石垣作りの現場を訪れ、一介の職人たちに「大津の城をよろしくお願いいたします」と深々とおじぎをする。一体、誰が戦いなど求めているのだろうか。だが、それでも、「戦をなくしたい」という思いから作られたはずの「最強の楯」と「最強の矛」はぶつかり合う運命にある。

 合戦の場面は圧巻。匡介は、敵が進撃してくる戦場の真ん中で、仲間とともに、突貫工事で石垣を修復していく。まるで匡介の心の叫びが聞こえてくるかのようだ。自分の命を危険にさらしても、守りたい人がいる。守らなければならない人がいる。一進一退の攻防は息つく暇も与えない。そして、その戦いを見るにつれて、考えずにはいられないのだ。正義とは何なのか、なぜ戦争は起こるのか……。戦国が終わったはずの現代だって、世界を見渡せば、決して平和とは言えない。だからこそ、この物語に描かれた問いは、今を生きる私たちの心にも突き刺さる。正義と正義の戦いの果てに何があるのだろう。今までとは異なる角度から描いた職人たちの戦国の戦いを、是非ともあなたも見届けてほしい。

文=アサトーミナミ

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