思春期にした同性への“恋”は錯覚なのか? 大人になって再会した、報われない初恋の葛藤を描くマンガ『冷たくて 柔らか』
PR 更新日:2024/6/26
高校時代、同性に恋をした。ひょんなことから知り合った1歳上の女の子。当時いちばん仲が良かった、私の親友。毎日会って毎晩メールのやり取りをしているうちに、自然と好きになっていた。だけど、自分の中に芽生えた好意が、友愛なのか、性愛なのか分からなくて。私は男と女、どちらが好きなのか。そんな悩みに振り回された日々だった。
『冷たくて 柔らか』(ウオズミアミ/集英社)を読んでいると、「恋に似た感情(モノ)」に悩まされ、乗り越え、傷ついたあの頃が懐かしくなる。
主人公の糸崎宝は、2年同棲した彼氏に突然フラれてしまう。ヤキモチを焼かない宝に対し、「自分が本当に好かれているか自信がなくなった」と去っていった彼。宝は仕方ないと割り切るものの、それなりにショックを受ける。そんなある日、宝が勤める不動産屋に美しい女性が訪れた。彼女の名前はエマ。宝とは中学校の同級生で、当時は一番の親友だった。20年ぶりの再会を喜ぶ宝だったが、昔とは雰囲気が違うエマの変化に戸惑いを覚える。しかし、ふとしたことがきっかけで、エマと疎遠になった理由を思い出し――……。
仲の良い同性の友人に対し、“恋”を錯覚してしまうのは珍しくない話らしい。思春期特有の風邪のようなもの。大人はそうやって冷静に片付けようとするが、当の若者にとってはそんなに簡単な話じゃない。同性を好きになってしまった自分を認められない人もいる。
中学時代の宝もそうだ。エマに対して芽生えた気持ちに対し、「これは恋じゃない」と否定しようとした。自分を知りたくて本やマンガに答えを求めた姿は、セクシャリティに悩んでいたかつての私とまったく同じで、分かる~! とつい声が出てしまった。
大人になってエマと再会し、当時の感情をやっと受け入れることができた宝は、改めて彼女と“友達”になろうとする。だけど蘇った恋心を前に、オトモダチをしようなんて無理な話。相手が見ているのが今の自分ではなく“昔の自分”で、かつ既婚者ときたら、なおさら報われない。そう、エマは人妻になっていたのだ。
相手への気持ちを認められなかったり、好きになってはいけない人を好きになってしまったり。やめなきゃいけない恋だと分かっていても、想い人の一挙手一投足にドキドキしてしまう。その経験に性的指向は関係ない。一度でも誰かを好きになったことがある人なら共感できる切なさを、本作は丁寧に繊細に描いている。
33歳にして“報われない初恋のやり直し”をする宝を見ていると、似たような恋をしていた頃の記憶があふれてくる。気付けば食い入るように読んで、宝を応援したくなっていた。ミステリアスで思わせぶりな態度をとるエマとの、駆け引きじみたやり取りにも毎話ドキドキさせられる。
「いつか終わらなくちゃならない日が来るまでは あの子を好きでいよう」心を抉るモノローグが多い本作の中で、ひときわ目に留まったこの一言。それは、読者の私自身があの日感じた想いだ。紆余曲折あって私と親友は恋人になったけれど、最初から終わりが見えている関係だった。お互いに、男性と結婚しなければいけない立場だったから。
宝の境遇とはまったく違っても、『冷たくて 柔らか』は確かにあの頃の私の物語だ。読者にそう思わせる稀有な作品。ページをめくるたびに、終わってしまった青春の苦さと甘酸っぱさに胸が疼く。
最新刊の発売は2024年6月25日。進んでいく物語の中で、宝とエマの関係はどう変化していくのか。私は「終わらなくちゃいけない日」を迎えたけれど、ふたりには未来永劫の幸せが訪れてほしい。それが誰かを傷つける結果になったとしても。
文=倉本菜生