宮川サトシ「自身の闘病、そして両親の死を経験して生まれた物語」ガンを患った夫婦とその子どもたちを描いた『病棟夫婦』に込めた想いとは?【インタビュー】
PR 公開日:2024/6/14
亡くなった母親に対するリアルな思いを描き、話題を集めた『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)。その作者である宮川サトシさんが新作のテーマに選んだのは「ガン」である。タイトルは『病棟夫婦』(日本文芸社)。やや引っ掛かりのあるタイトルだが、ページをめくれば納得。そこで描かれているのは、同時期にガンになり、同じ病院で闘病生活を送る夫婦の姿なのだ。頑固者だけど、意外とやさしいところのある〈お父さん〉。茶目っ気があり、入院患者とはいえ元気そうな姿を見せる〈お母さん〉。ふたりはともに支え合いながらガンと向き合い、闘っている。
しかしながら、宮川さんはどうしてこのような物語を描いたのか。そこにあったのは、ひとりの人間としての“願い”を込めたメッセージだった。インタビューを通して、その胸中へと迫る。
病人だって美味しいものを食べるし、テレビを観て笑うんです
――夫婦が同時にガンを患い、同じ病院で闘病生活を送るという設定は、どのように思いついたのでしょうか?
宮川サトシさん(以下、宮川):実はぼくの両親もガンで亡くなっているんです。ただ、この作品のように同時期にガンになったわけではなくて、最初にガンになったのは父でした。治療の甲斐もあって父は治ったんですが、その後に母がガンになって、2年の闘病の末、亡くなりました。そうしたら父があまりのショックに腑抜け状態になってしまって。その後、父はまた違うガンを患って亡くなったんです。そういった経験をしているのでガンは決して他人事ではなくて、その気持ちを込めてマンガにしてみようと思いました。
ただ、過剰に恐怖を煽るような内容にはしたくなかった。もはやガンは国民病とも呼ばれているくらい身近なものですし、風邪を引いたりするみたいに付き合っていかなくてはいけないものだと思っているんです。だから、ガンを夫婦で一緒に乗り越えていくような話を描けたらいいな、と思ったのがスタート地点ですね。
――状況は深刻なのにどこかカジュアルな読み口なのは、そういった狙いがあったからなんですね。
宮川:ぼく自身も白血病での入院経験があるんですけど、大きな病気を告知されたからといって毎日落ち込むわけじゃないんですよ。美味しいものだって食べるし、バラエティ番組を観て笑うし。だから、病とともに生きる日常マンガを描きたいな、という気持ちが強かったんだと思います。
――作中のお父さんはちょっと亭主関白で、だけどやさしいところがある人物、そしてお母さんは飄々としていてユニークな人物です。
宮川:作中でリアリティのある人物を描こうと思ったとき、身近な人をモデルにするという手法がありますよね。でも、ぼくは元々コミックエッセイの出身なので、すでに身近な人をモデルにしたキャラクターを描いてしまっていました。だから今回はこれまでとは違う手法を試したいなと考えて、思いついたのが何十年後かの自分をモデルにする方法です。
だからお父さんとお母さんは、何十年後かのぼくと妻がモデルになっています。きっとこういう人間になっているんじゃないかな、と想像しながら描きました。同時に、一側面だけでは語れない部分も意識したんです。病気になってからテンションが下がっていって、元々のやさしい部分が出てきているお父さん、夫に反抗できず、子育てもおざなりにしてきたことに後悔しているお母さん、という風に、さまざまな面を持つ立体的なキャラクターにしたいと思いながら描きましたね。
――お父さんお母さんの子どもである祐一と春子も、個性的で立体的なキャラクターとして描かれていますね。
宮川:ふたりは正反対のキャラクターですね。でも、きょうだいだからといって似るわけじゃないというのは実体験で学びました。ぼくには8歳の娘と3歳の息子がいるんですが、ふたりは本当に別だなと感じます。だから作品のなかでもふたりは別々の人生を生きる人物として描きました。裏テーマとしてあったのは、「親の縛り」です。親に縛られている人とそうではない人、それぞれを祐一と春子に投影しています。
「理想的な最期」を想像しながら、ラストまで突き進んだ
――作中では確実に忍び寄る「死の気配」を感じさせながらも、闘病する夫婦の日常がややコミカルにも描かれていきます。
宮川:先程も言ったように、日常を描きたかった。しかもパートナーと入院していたら尚更、入院生活のなかでも楽しみを見つけるのではないかと思うんです。たとえば、病院に入っている食堂の全メニューを制覇してやろう!とか、こっそり抜け出してパチンコにでも行ってみよう!とか。少なくともぼくだったら、そうやって入院生活を楽しもうとします。だから、お父さんお母さんの日常生活のなかにもコミカルな瞬間を入れてみました。
――そんな闘病生活を続けた末に、お父さんお母さんは「とあるラスト」を迎えます。あのシーンは最初から決めていたんですか?
宮川:決めていましたね。それも自分に置き換えながら考えたんですが、ぼくは妻よりも先に死にたいんです。妻がいなくなってからひとりで生活するなんて想像もしたくなくて。だから、いつも妻には「頼むからぼくよりも1秒でも長く生きてくれ」ってお願いしています。そしたら「あなたが孤独に耐えられない人だってわかってるから、なるべく長生きしようとは思うけど、私も私でしんどいよ」と言っていて、誰だって残されるのは嫌なんだよな、と気づいたんです。だから本作では、ぼくの「理想的な最期」を描きました。
――本作はそこで終わらず、最後に残された祐一や春子の成長も見られますね。
宮川:最後の最後、祐一がやっと笑うんです。彼は親との関係もうまくいっていなくてずっと引きこもりをしていて、そんななかで両親がガンになってしまう。すごく大変な状況にいたと思います。でも、最後にどうにか笑えるようになる。
身近な人が死ぬってとても悲しいんですけど、そればかりでもない。その死を乗り越えるというか、自分のものにしたとき、新しい人生が開けていくようにも思っています。だから祐一は笑顔を見せたんです。次に進むぞ、と。
――本作の読者のなかには、まさにいまガンと闘っている方やその家族もいると思います。
宮川:ぼくの親がガンになったとき、あまりにも青天の霹靂すぎて自分だけが不幸になってしまったような気がしたんです。「どうして自分だけこんな思いをするんだろう」って。でも、実際はそうじゃなくて、みんな何かを抱えていますよね。だから本作を描きながらも、いま苦しんでいる人たちに「あなただけじゃないんだよ」というメッセージを届けたいと思っていました。
ただ、連載をしている最中は、SNSで一切告知しませんでした。
――どうしてですか?
宮川:読者さんの反応に左右されて、結末を変えたくなかったからです。最初に決めたラストに向かって、自分の思いだけで描ききろうと。おかげさまで完結できましたね。
連載中に告知をしてこなかったので、あらためてこのタイミングで告知をさせてもらうとしたら、「どうか、最後まで見届けてほしい」ですね。お父さんお母さんの人生はめちゃくちゃハッピーだったというわけでもないですし、途中でこういう話は嫌だな、とか感じる人もいるかもしれませんが、それでもふたりの生き様を最後まで見てほしいです。
そのうえで、「最期まで生きよう」と感じてくれる人がひとりでもいてもらえたら嬉しいです。
――さまざまなメッセージが内包された作品だと思うので、たくさんの方に読んでいただきたいと思います。それでは最後に、次回作の構想も聞かせていただけますか?
宮川:ぼくはやはり「死生観」を描くのが好きみたいです。なので次もそういったテーマの作品になるんですが、今度はもう少しエンタメ寄りに描こうと思っています。モチーフにしようと考えているのは、映画『スタンド・バイ・ミー』。最近、中学生の頃に仲が良かった友人たちの投稿がSNSでよく流れてくるんです。それを見るたびに懐かしい気持ちになって、当時仲良しだった4人組のことをよく思い出すんですよね。それをベースにしつつ、ちょっと意外と思われる要素を掛け合わせてみようと思っています。楽しみにしていてください。
取材・文=イガラシダイ