民族の誇りを背負い、気高く生きるアイヌの娘。彼女との一瞬の交差を描く連作短編集
PR 公開日:2024/6/12
在日外国人から、「出自を話すと『そうは見えない』『どう見ても日本人だね』と言われてモヤモヤする」と言われたことがある。相手に悪意はなく、むしろ善意のつもりの発言だろう。だが、そこにはマジョリティがマイノリティの手を引き、「仲間に入れてあげる」と肩を組むような無自覚の傲慢さがないだろうか。
『谷から来た女』(文藝春秋)に登場する赤城ミワも、「あなたはアイヌに見えないからだいじょうぶよ」と言われてきた女性だ。彼女は、伝統的なアイヌ紋様を現代的にアレンジし、インテリアや衣服に取り入れるデザイナー。彼女はどこから来て、どこへ向かうのか。ミワの人生とかすかな接点を持った人々の視点で、その実像を浮かび上がらせていく。
本書は6編が収録された連作短編集であり、各編で視点人物も時代背景も異なっている。冒頭の「谷から来た女」で描かれるのは、50代半ばの北大教授・滝沢龍から見たミワだ。テレビ局の番組審議会のメンバーとして出会ったふたりは、雨宿りのつもりで入ったワインバーで意気投合。滝沢はひと回り以上年下のミワに惹かれ、やがて男女の仲になっていく。
続く「ひとり、そしてひとり」の視点人物は、21歳の引地千紗。父親はおらず、母親は祖母の介護にかかりきりになっているため、昼は札幌駅地下にあるアクセサリー店、夜はセクシーパブで働いている。ミワとはデザイン専門学校の同期であり、まばゆいほどの才能を持つ彼女に畏敬の念を抱いていた。ふたりは深夜のすすきので偶然再会し、千紗はある事情から彼女の工房に転がり込むことになる。この短編では、まだ駆け出しのデザイナーだった若き日のミワが描かれる。
他にも、教育新聞記者からは高校時代のミワが、恋人だったビストロシェフからは30代のミワが語られていく。さらに、ミワの両親が出会い、彼女が生まれるまでを描いた短編も収録されている。
出会った年代は違えど、どの人物から見たミワも瞳に強い力を宿した気高い女性だ。祖父は、アイヌ文化を守るために故郷の谷でダム建設反対運動を興した闘士。彼女もその血を引いており、背中には父が遺した鮮やかなアイヌ紋様が刻まれ、文字どおり民族の誇りを背負っている。目に見えぬものに抗い、背中の紋様に守られ、自分の人生を歩んできた。この人物像が実に魅力的で、一度見つめたら視線を引き剥がせないような力強さがある。
最後に収められた「谷で生まれた女」には、そんな彼女がドキュメンタリー番組の制作者に向けて、自身のこと、民族のことを語る場面がある。背中の紋様を写したセルフポートレートを発表した彼女は、「わたしは長いこと、背中に刻まれているものが自分を守ってくれていると信じてたの」と話す。だが、彼女はこう気づいたという。
「わたしを守るのは、わたし自身だったんです」
今、世界では民族間の争いは絶えず、国内を見渡せば差別は今なお続いている。そんな中、ミワが抱く祈りのような思い、アイヌの矜持に胸を打たれる。「新たな戦前」と言われる今、こうした問題に蓋をして見なかったことにするわけにはいかない。彼女が語る言葉の数々をしっかりと心に刻み、考え、行動する契機とすべきではないだろうか。
文=野本由起