4年間いじめられていることを隠していた娘。親として何ができるのか… 悩み苦しみ、辿り着いた答えとは?
公開日:2024/6/14
大切な我が子が元気にスクスク育つためなら、何でもしたいと思うのが親心。だが、家庭という安全地帯から一歩外へ出ると、我が子をどう守ればいいのか悩むことがある。例えば、学校でいじめを受けていると知った時。もし、愛する我が子がひとりでいじめに耐え続けていたとしたら、親として何ができるだろうか。
『家族全員でいじめと戦うということ。』(さやけん/KADOKAWA)は、そんなことを考えさせられるコミックエッセイだ。本作に描かれているのは、娘のいじめ問題と真摯に向き合う家族の奮闘。学校や保護者を巻き込んでもなかなか解決に向かわないいじめの問題の難しさを痛感させられる。
2児の母・ナツミはある日、小1の息子から娘・ハルコ(小5)がいじめられていると聞き、衝撃を受けた。しかし、ハルコはいじめられていることを悟られまいと平気なフリ。
そこで、ナツミは担任教師に相談をしたが、学校では当事者間で何があったのか詳しく解明されないまま、形だけの話し合いが行われ、よりハルコを追い詰めることになってしまった。
心が晴れないまま迎えた、運動会の日。ナツミは、ハルコの同級生の母親から衝撃的な事実を告げられる。なんと、ハルコは4年も前からクラスメイトに無視されていたというのだ。
そういえば、娘の話にはいつも特定の友達の名前が出てこなかった。なぜ、自分はいじめに気づけなかったのか…。ナツミはそう自分を責めつつ、改めてハルコにいじめの真偽を問いただす。
ハルコはいじめを否定するも、心の問題から登校時間になると足に力が入らず、歩けなくなってしまった。その姿にナツミは胸を痛め「もう頑張らなくてもいい」と声をかけるが、娘には響かず。それどころか、ハルコは笑顔を失い、食事や会話も難しい状態になっていく。
なんとか娘を救いたい。そう考えたナツミたち夫婦は保護者から話を聞いていじめの実態を調査したり、学校側にいじめの事実を報告したりと積極的に行動。だが、我が子を守りたいという想いは、なかなか周囲に届かない。悩み迷いながらも娘の笑顔を取り戻すために奮闘するハルコたち。果たして、家族はどんな解決法に辿り着くのだろうか。
本作は登場人物の心理描写が巧みで、物語に引き込まれる。例えば、我が子がターゲットにされることを恐れ、ハルコのいじめを黙認していた保護者の葛藤はリアルだ。
我が子を守りたいと思うあまり、「傍観者」という加害者になってしまう心情は親であれば理解できるものであるからこそ、もし自分が同じ立場に置かれたら…と想像してしまう。
また、いじめに気づけなかった自分を責めつつ、見て見ぬふりし続けた周囲の大人に怒りを向けたくなるナツミのもどかしさもリアリティがある。
そうした整理できない感情への決着のつけ方も本作では学べるので、親側の心を守るためにも、ぜひ手元に置いてほしい。
いじめ問題は一筋縄で行かないことが多く、根本的に解決することが難しい。なぜなら、子どもの本心が見えにくく、解決のために介入した大人たちには、いじめの本質が見えていないことも多いからだ。本作でも物語の後半でハルコの口から大人が把握していなかった真相が語られ、衝撃を受ける。
我が子がいじめを受けていると知り、早く解決したい気持ちが先走ることもあるかもしれない。しかし、介入する大人は一方向からいじめ問題を見て理解した気になったり、「悪者」を作り出したりしないように注意することも大切だと気づかされた。そうした親の姿も子どもは見ているのだと、胸に留めておきたい。
加害者への怒りや傷つけられた側が苦しまなければならないという歯がゆさ、「なぜ、うちの子が…」というあてのない問いなど、こみ上げる感情が全てスッキリするいじめの解決法は、きっとこの社会には存在しない。
だが、そうした理不尽な社会であるからこそ、親側は我が子をいじめから守るために何ができ、何をすべきか考え、慎重に行動していきたいものだ。
いじめが日常化している環境で過ごす子どもたちは、見方を変えれば、みな被害者――。そう訴えかけもする本作は報復ではない、本当の意味でのいじめの乗り越え方に気づくきっかけも授けてくれる。
文=古川諭香