本物の遺体を生放送の電波にのせる!? 嘘と殺人が絡み合うシビアな人狼ゲームの行方

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/6/26

なんで死体がスタジオに!?
なんで死体がスタジオに!?』(森バジル/文藝春秋)

 巷には数々のゴシップが流れている。つい先日も著名人が「火のないところに煙を立てられて」おり、所属事務所が法的措置を取る声明を発表した。森バジル氏によるミステリー小説『なんで死体がスタジオに!?』(文藝春秋)は、そんな現代を痛烈に風刺している。

 不器用だがテレビへの愛は人一倍強い幸良涙花は、ゴールデンの2時間特番の準備に奔走する日々を送っていた。「これまでの平均視聴率を下回ったら制作現場を外される」という厳しい条件を突きつけられ、まともに家に帰ることさえままならない日々。不条理に耐えながらも番組制作に尽力してきた幸良だったが、本番当日、出演者が生番組に遅刻するハプニングに見舞われる。半ばパニックになりながら対応に追われる最中、幸良は盛大に転倒して段ボールを倒してしまう。苦笑する後輩ADに助け起こされた幸良は、箱の中身をチェックしようとして思わず息を飲んだ。中に入っていたのは、遅刻だと思われていた出演者・勇崎恭吾の死体だったのである。

 本来なら、ここで警察を呼び番組は中止となる場面であろう。だが、勇崎の遺体の上には、犯人からある指示が明確に示されていた。

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“放送を止めないこと!”

 もしもこの指示に背いて放送を止めれば、セット内天井に仕掛けた爆弾を爆発させる。そんな脅し文句と共に、「新台本」が置かれていた。放送を止めないこと。新台本に沿った進行をすること。爆発を防ぐため、2点の条件を課せられた幸良は、犯人の要求に従う決意をする。番組内容は、奇しくも人狼ゲーム。誰が人狼かを見極めるゲームは、殺人犯を炙り出す騙し合いでもあった。

 冒頭から波乱の幕開けとなる本書は、制作スタッフのほか、8人の出演者とテレビの視聴者が登場する。物語の語り手は、幸良のほか、芸人の仁礼左馬、タレントの京極バンビ、いち視聴者である甲斐朝奈の4名。場面転換ごとに入れ替わる人物が、それぞれの視点で景色を語る。

 芸人の仁礼はいわゆる一発屋で、今回の特番に再起をかけていた。バンビのようなトーク力もなければ、機転を利かせる瞬発力もない。だが、彼にはある特技があった。一度見聞きしたことは絶対に忘れない。ある種、チート並みの記憶力を持つ仁礼は、本書のキーマンだ。

 人狼ゲームの詳細は、出演者たちが口にする芸能人の暴露話から嘘をついている人物を当てること。「人狼」と「勇崎を殺害した犯人」を同時に探す。それが台本の主旨であった。新台本はそれに改変が加えられており、予定調和に進まない番組に出演者たちは翻弄される。「嘘」と「殺人」。一見するとまったくレベルの異なる罪人を探す過程で、二つの罪が密接に絡み合う。

 嘘をつくことが法律上罪になるケースはほとんどなく、仮にあっても、せいぜい民事で雀の涙ほどの慰謝料を請求するのが関の山である。しかし、嘘は時に人を殺す。嘘によって人権を蹂躙され、人格を否定された場合、生活や健康は呆気なく壊される。そして、大抵の嘘は、ついた側が訂正してくれることはない。瑣末な罪だ。しかし、大いなる罪だ。

“ゴシップなんて、九割は嘘か誇張か情報不足。六人いたら五人は嘘つきの人狼。そのくらいの目を持ってくれよ、TVの前のみんな。”

 仁礼が言ったこの言葉の意味を、私は真剣に考えたい。あっという間に拡散されるSNSの世界では、嘘が真になり、真が嘘になる。情報が暴力的に氾濫する現代において、自分の目で見たもの、自分の耳で聞いたもの以外の話をどこまで信じるか。その判断基準を各々がしっかり持つことが、本書で描かれる類の悲しみを減らす唯一の手段なのかもしれない。

文=碧月はる

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