読みごたえ抜群の捕物帳! 「人の心の中にある善と悪」を問う傑作時代小説が誕生『惣十郎浮世始末』
更新日:2024/7/3
「500頁を超える長編時代小説」と聞くと、難易度が高いと尻込みしてしまう方もいるかもしれない。だが『惣十郎浮世始末』(木内昇/中央公論新社)は、それでも読んでほしい一冊だ。「長編小説だからこそ」の味わいが、惜し気もなく詰まっている。
江戸時代、天保の世。主人公の服部惣十郎(はっとり・そうじゅうろう)は、人情も才気もあふれる壮年の定町廻同心(じょうまちまわりどうしん)。定町廻同心は今でいうところの警察官。丹念な捜査と取り調べを行い、罪人を多く捕まえ出世するよりも、未然に事件を防ぐことを尊ぶような、欲のない人物である。
ある時、浅草の薬種問屋で火事が発生。事故現場にはふたりの遺体があった。ひとりは後ろ手に縛られた番頭で、ひとりは黒焦げになっており、身元が分からないという。火事の際、店内にいたのは当主と番頭だけであり、だとしたら、黒焦げの遺体は当主ということになるが……。
惣十郎と懇意の医者、梨春(りしゅん)に検死を依頼したところ、その遺体が当主ではないことが判明した。では一体、この遺体は誰なのか。火を付けた犯人は? その目的は――。
本作は、こういった数々の謎を持つ事件から始まる。
佐吉や完治といった信の置ける配下と共に、惣十郎は少しずつ事件の真相に迫っていく。ラスト、散らばった点と点が線になり、真実が明らかになった時、読者はアッと驚いて、そして、深く「感じ入る」ことがあるだろう。
昨今、分厚い小説を読むのはハードルが高いと感じる方も多いはずだ。確かに本作は長編の部類に入る。しかしこの物語は、「長編だからこそ」の意味があるように感じた。
本作の軸に置かれているテーマは、「人の心の中にある善と悪」だと思う。惣十郎のセリフにも、こんなものがある。
宵の部屋に蛾がまぎれ込んできて、燭台のそばを飛び回る。その羽ばたきで灯心が揺れて、ふっと消える……(中略)。
一瞬で暗闇に沈んだその座敷で、それまで向かい合って和やかに話していた相手への憎悪が、不意にありありと浮かび上がるようなこともあるんじゃねぇかと俺は思う。
蛾のせいで偶然火が消えて、不意に目の前の人間への憎悪がよぎる。たとえ話とはいえ、そんなことがあり得るだろうか、と思うかもしれない。
しかし本作で描かれているのは、こういった人間の機微だ。心の中にある善と悪が、些細なことがきっかけで反転する。自分でも忘れていた記憶が、急に湧き上がり、激情に変わることもある。
人の「つかみきれない」心の動きは、簡単には説明できない。本作を読み終えた後には、この惣十郎のたとえ話を、「そうかもしれない……」と思うことができるはずだ。
また、謎を解き明かす類の長編小説は、中盤がダレて退屈なんじゃないか……と危惧する読者もいるかもしれないが、本作において心配は無用である。
その大きな理由は、どの登場人物たちも人間味にあふれ、それぞれが個性的だからだ。登場人物が好きになってしまえば、いくら長い物語でも一向に苦にならないのである。
惣十郎はデキる役人だが、面倒な人間関係が大嫌いな一匹狼。飄々としながらも情のある「いい男」だ。しかし、ある女性に報われない恋心を抱いており、そのせいで亡くなった妻を大切にできなかったことを悔いていたりと、人間らしい一面も持っている。
そんな惣十郎を秘かに慕うお雅(まさ)は、好きな人の前で素直になれず、そっけない態度をとってしまう。実母と確執があり、心の裡には怒りや悲しみを抱えている。
疫病で家族を亡くし、その予防のための種痘(しゅとう)を世に広めるため蘭書の翻訳を行う医者の梨春。優しく物静かで理性的な彼が、終盤ある出来事をきっかけに、己の感情を激しく吐露するのだが……。そのシーンは胸に迫るものがあった。
本作は疱瘡という「疫病」もキーポイントになってくる。疱瘡に罹らないように、あらかじめ体内にウイルスを入れることを種痘というのだが、その技術がまだ確立していなかった時代ならではの苦悩、困難が、火付け事件の「真相」に繋がっていく。様々な思惑から、種痘を普及させようとした登場人物たちの心情にも注目だ。
長編小説ならではの「読みごたえ」を、ぜひ本作で味わってほしい。
文=雨野裾