死の直前、なぜ彼らは笑っていられたのか―― 若き少年兵の軌跡を追いかけたノンフィクション『ユキは十七歳、特攻で死んだ』

文芸・カルチャー

公開日:2024/6/28

ユキは十七歳、特攻で死んだ
ユキは十七歳、特攻で死んだ』(著:毛利恒之、解説:佐藤優/ポプラ社)

 2024年6月12日(水)、新書『ユキは十七歳、特攻で死んだ』が発売された。太平洋戦争末期に強行された「特攻」の真実に迫ったノンフィクション作品は、現代の人々にどう受け止められたのだろうか――。

 20年前の2004年8月に放送された『報道ステーション』(テレビ朝日系)の戦争特集。そこで紹介された一枚の写真は、特攻出撃予定の2時間前に撮られたものだという。にもかかわらず、写真の中の少年兵たちは笑みを浮かべている。なぜ彼らは笑っていられたのか……。この写真の中央に映る子犬を抱いた少年・荒木幸雄さんにフォーカスしたのが、『ユキは十七歳、特攻で死んだ』である。

 1928年に群馬県の桐生市で営まれる菓子屋の次男として生まれた荒木さんは、どこにでもいる普通の少年だった。学校から帰ると裏口からカバンを放り込み、近くの原っぱへ駆けていっては近所の仲間たちと流行りの野球に興じる、そんな日々を送っていたという。

advertisement

 一方で幼い頃から飛行機が大好きで、模型飛行機を作るのが大得意。滞空時間を競う大会では、一等賞を取ったこともあるそうだ。その熱意はいつからか、実際に空を飛びたい、飛行機乗りになりたいという気持ちに変化していく。

 そして荒木さんが桐生商業青年学校に在学していた14歳の時に、太平洋戦争が勃発。荒木さんは学校を中退して海軍飛行予科練習生の試験を受けて合格したが、入隊時の身体検査に不合格してしまう。しかし荒木さんは諦めず、今度は両親にも内緒で陸軍少年飛行兵を志願し、合格してみせるのだった。

 その後、大刀洗陸軍飛行学校の生徒隊に入隊した荒木さんは学問や飛行訓練で優れた才能を発揮し、1944年の卒業時には最高の栄誉とされる「航空総監賞」を受賞。卒業後は大刀洗陸軍飛行学校の分校となっている教育隊に配属され、限られた時間の中で訓練に励む。そして1945年、「大命」を受けた荒木さんは“その時”を迎えるのだった――。

『ユキは十七歳、特攻で死んだ』の単行本がリリースされたのは2004年のこと。当時は戦後60年目ということで改めて関心が集まっていたタイミングでもあり、少年兵のリアルを記した同作には「この本のお陰で遠い存在だった特攻隊の方々への距離が縮まりました」「今の10代20代にぜひ読んで欲しい一冊です」「愛するものを守るため出撃していった特攻隊員達の崇高な思い、忘れてはいけない」「この悲劇を、もう2度と繰り返してはならない」といった声が寄せられていた。

 今回リリースされた新書版はサイズがコンパクトになったほか、巻末には関連資料と作家・佐藤優による解説が新たに書き加えられているので、すでに読んだという人にもオススメ。来年で戦後80年を迎える今だからこそ、改めて「戦争」について考えるきっかけにしてみてほしい。

あわせて読みたい