みうらじゅん、仏像ファンとしての一面。廃仏毀釈の逸話は盛られまくり?【私の愛読書】

文芸・カルチャー

公開日:2024/6/21

みうらじゅんさん

 さまざまなジャンルで活躍する著名人たちに、お気に入りの一冊をご紹介いただく連載「私の愛読書」。この度ご登場いただくのは新刊『通常は死ぬ前に処分したいと思うであろう100のモノ』(文藝春秋)を出されるみうらじゅんさん。仏像マニアとしても知られるみうらさんらしい一冊について、お話をうかがった。

●知らなかった仏像クライシスの意外な真実!?

ー選んでいただいた一冊は『廃仏毀釈─寺院・仏像破壊の真実』(畑中章宏/筑摩書房)ですね。

 最近買った本の一冊なんですが、買ってから気がついたんですけど、この著者とお会いしたことがありました。確か一度、どこかに仏像を一緒に見に行ったことがあります。

廃仏毀釈─寺院・仏像破壊の真実
廃仏毀釈─寺院・仏像破壊の真実
(畑中章宏/筑摩書房)

ーご縁があったんですね。

 ですね。この方が書かれた神像の本が、分かり易くてすごく面白かったんですよ。僕は仏像は随分見てきましたけれども、神像はあんまり詳しくなくて。でも、「神仏習合」と「本地垂迹説」は避けて通れないじゃないですか。以降、それに関する本をいろいろ読んでようやくわかってきました。

ーそして本書のテーマは「廃仏毀釈」。明治政府の神道国教化によって神道と仏教を分離したために起こった仏教排斥運動ですね。

 実は「分離令」は出たけれども「破壊しろ」っていうところまでの令は出ていないっていうじゃないですか。かつて神社の本尊だった十一面観音が捨てられたり、お寺からも仏像が取り除かれたりってよく聞くので、てっきり政府からそういう命令が出てたのかと思ってましたから。

ー私もてっきりそうなんだと思ってました。

 有名な話があるじゃないですか。たんぼに捨てられてた十一面観音を村人たちが大八車でお寺に運んで守ったとか。それを外国からきたフェノロサが見つけて日本再発見をしたって伝説。でもこの本によればかなり事情が違ったらしい。十一面観音は破棄されたんじゃなくて初めっからお寺に引き取ってもらったんじゃないかと書かれてあるんです。ちょっと衝撃を受けました。廃仏毀釈で日本中の仏像が捨てられたってイメージがありますけど、捨てられなかった仏像も随分ありますよね。真っ先に槍玉にあげられたのは「権現」と「牛頭天王」だったというわけです。

ーなるほど。

 北野天満宮ももともと寺だったというし、伊勢神宮の中にもかつては神宮寺があったと書かれてあるし、仏像だけ見ていても日本の全ては分からない。この本はそのへんについて、かなりつっこんでおられる。

ー興福寺の「阿修羅」が捨てられてたってのも有名ですよね。

 ですってね。この本には貴重な写真もいっぱい載ってるので、グッときますよ。

ーけっこう新しい見方が身につきそうですね。

 今まではここまではっきり書かれてなかったかもしれませんよ。

●「伝」は「あったらいいな」

ー本を読んでいろいろ歴史の真相があきらかになってくると、「あれ?」っと思うことがありますよね。

 教科書には載ってませんもんね。仏像を深く知ろうとすると、「伝」に引っかかりますでしょ?「伝・行基作」や「伝・空海作」とかいうね。

ー空海といえば、めっちゃいろんなとこに行ってますしね。

 僕が思うに「伝」っていうのは、「だったらいいな」の意味も込められてるんじゃないかと。ロマンですね。その意味ではフェノロサにもロマンがあったんですけどね、この本読むと、ちょっと思ってたことと違うなって。和辻哲郎も白洲正子もひょっとして“伝”を信じて書いたんじゃないかって。ま、ロマンのある話はどこか盛ってると思うべきですね(笑)。

ーロマンがあるのは大事ですよね。

 そうは思うけど、この本を読んである程度のことは知っといた方がいいと思いましたね。

ー知ろうとするとどんどん好きになりますもんね。

 そうです。嫌いになるどころかどんどん好きになりますからね。それは僕の新刊『通常は死ぬ前に処分したいと思うであろう100のモノ』も同じです。そちらも是非、読んでくださいね(笑)。

みうらじゅんさん

取材・文=荒井理恵

<第52回に続く>

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