京極夏彦インタビュー 時代劇への想いが結実した 〈巷説百物語〉シリーズ完結編『了巷説百物語』
公開日:2024/7/9
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年8月号からの転載です。
京極夏彦〈巷説百物語〉シリーズが第7作『
取材・文=杉江松恋 写真=首藤幹夫
「僕は時代劇が好きな子供だったのですよ。最初に親にねだったおもちゃは十手でした。三つ子の魂百までといいますが、今も変わらず愛好しています。ただ昔のテレビ時代劇って、とりあえずバッサバッサ斬り殺すでしょう。それが成立する物語構造になっているわけですけど、その面白さを小説に引き写すのは難しいんですね。特に現代小説の場合は。『さて、どうしよう』というところから〈巷説百物語〉は出発したのだと思います。第1作の『巷説百物語』を始めたときから、決着をどうつけるか、読者に納得してもらえるメンタルの落としどころはあるのかという難題がありました。連作ですから、話が続いていけば読者は『どうせ又市が騙しているんだろう』と見抜くことでしょう。バリエーションだけで面白く書くのは限界がある。そのために『続巷説百物語』では物語構造を変え、その後も毎回違ったことをやるようになっていきました」
〈巷説百物語〉は竹原春泉の『絵本百物語』に材を取っている。『百物語』の妖怪画を描き尽くした時点でシリーズが終わるのは理の当然だ。しかし裏話があって、実は本書は、もともと『続巷説百物語』の次に長編として書かれる予定だったのである。本書の「手洗鬼」の章で語られる事件がその長編の中核を占めていた。また、「葛乃葉」の章には〈百鬼夜行〉シリーズの主人公・中禅寺秋彦の先祖である洲齋が登場する。これには先行作があり2000年に放送されたドラマ『京極夏彦「怪」』の最終回「福神ながし」が原型になっている。過去の物語を復活させ、連作としてまとめるために京極は、新たなキャラクターを準備した。嘘を見抜く能力を持つ稲荷藤兵衛である。又市たちの引き起こした妖怪という謎に挑む、一種の探偵役でもある。
主要キャラが勢揃いするシリーズの総決算
「探偵は嘘を見抜きます。ただ、真実を明らかにすることで生まれる不幸というのもあるわけで、多くの探偵小説はそこをオミットするスタイルを取ることになるわけですが、〈巷説百物語〉ではその終わり方はできない。かといってバッドエンドは娯楽小説としてどうか。さて、どうしたものかと考えて『これはフィクションである』ということをフィクションの登場人物がメタフィクション的に感じるような作りにはできないものか、と思い至ったんですね。〈巷説百物語〉はそういう話ですよね。藤兵衛は嘘を暴くけど、見えてくるのも所詮は作りものなんですね」
過去作とは違って闇の一味に属さない者が視点人物となる作品だ。もう一つの違いは、過去の作品には出てこなかった大活劇が準備されていることだ。主人公である又市は人を死なせることを嫌い、暴力を否定する。その彼がどう動くかが読者の関心事になるだろう。
「27年前に長編として構想したのは、又市が敵の中枢に入り込んで人間関係を切り崩していく話でした。今回は藤兵衛を主人公に据えたので、アプローチを完全に変えました。又市の動きを伏せたほうが読む側のスリルは持続すると思いましたので」
当初の構想にはいなかった藤兵衛は、どのように生まれたのだろうか。
「民話で語られるトリックスターですが、実在の人物のようで『利根川図志』などにも載っています。ちょうど『怪と幽』が民話特集を組んでいて、藤兵衛の起用を思いつきました。どうせなら今回は全員民話で揃えようと。そこで黒部の民話から猿猴の源助を連れてきました。他にも〝韋駄天早進〟というのを加える予定でしたが、彼は足が速いだけなので、あまり使いどころがありませんでした(笑)」
物語の時間軸としては本作の後になる『遠巷説百物語』も含め、シリーズ過去作に登場した人々がほぼ総出演している。最終作にふさわしい豪華さも読みどころだ。
「六道屋の柳次と靄船の林蔵のように、立ち位置が被っているキャラクターを共演させても、ストーリーには貢献しないんですけどね。考えてみれば、その二人は昔組ませていたわけで、わざと面倒なことをやっているとしか思えない(笑)。ただこのシリーズはもう終わり、最終回ですから、総決算的な意味合いはあるわけですが、僕の場合、再利用できるキャラクターなら時代さえ合えば他のシリーズにも登場しちゃったりするので、油断はできないですね。生き残った連中がどうなるのかは、今のところ僕にもわからないですね」
〈巷説百物語〉と〈百鬼夜行〉の価値観
〈百鬼夜行〉最新刊『鵼の碑』には〈巷説百物語〉とつながる人間関係が描かれた。ファンならばご承知のように、京極作品は同一の時間軸で書かれたものが多い。年代記的なつながりは、一つの大河小説を読んでいるような感覚を味わわせてくれる。
「〈巷説百物語〉は江戸のある時期までしか通用しない物語で、近代に入れば社会は〈百鬼夜行〉の価値観に切り替わっていく。それは今度完結する〈書楼弔堂〉も同じことで、あれは明治の終わりごろまでの話であるわけです。又市のやり方は時代が変われば機能しなくなる。『でも面白いじゃん』ということで。『現代では通用しないけれど、面白いお話としてなら語り継げますね』と登場人物も気がつくわけですね」
京極作品では、妖怪は社会の指標としても描かれる。本作を読んでいる最中には、そのことに思いを馳せる瞬間が幾度となく訪れるはずだ。
「妖怪を通史で見ていくと、農村に貨幣経済が浸透してくる局面に行き当たります。金がすべてという価値観が浸透していく過程で、憑き物やおばけが、既存の価値観とのバランスを取る装置として利用されるようになるわけです。僕はおばけには誠実であろうというのがモットーなので(笑)、その辺は書かなきゃいけないんだけど、ただ書いたって小説にはならないですからね。それに『最後にバッサバッサ』問題もあるわけです(笑)。最後ですからね、そこは盛っておかなければいけないと。〈巷説百物語〉7冊が全部で一つの作品だとしたら、そのクライマックスですから見合ったボリュームの山場がないと、時代劇番組を長年視聴してきた身としては仏に申し訳が立たないなと。そうしたもろもろのモチーフと、27年間溜まっていたものを組み上げて作ったんですね」
7月には書き下ろしで『狐花 葉不見冥府路行』が刊行される。『了巷説百物語』の直後にあたる時代の物語だという。この作品は八月納涼歌舞伎の一幕として舞台化されることが前提で依頼があったのだ。本年は作家デビュー30周年記念ということもあり、新刊が目白押しとなる予定だ。大河物語の幕を下ろし、また新たな一歩を京極は踏み出そうとしている。
「長く続いたシリーズが終わりになるのは淋しいという声も聞こえてきます。ありがたいことです。ただ僕としては嬉しい区切りでもあります。読者のみなさんとも、この喜びを分かち合えれば幸いです」
京極夏彦
きょうごく・なつひこ●1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年『姑獲鳥の夏』でデビュー。『後巷説百物語』で直木賞、『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞など、受賞多数。著書に『魍魎の匣』『嗤う伊右衛門』『虚談』『書楼弔堂 待宵』『鵼の碑』など多数。
新作歌舞伎を書き下ろし