事件の謎を追う中で見えてくるのは真犯人? それとも国家財政の真実?『首木の民』誉田哲也インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2024/7/6

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年8月号からの転載です。

 取調室で延々と語り続ける容疑者。ミステリーではおなじみの光景だ。

 けれど、供述内容がMMT(現代貨幣理論)を中心にしたマクロ経済学、なんて物語は前代未聞ではないだろうか。誉田さんは、新作『首木の民』で、警察小説の形を借りた経済小説というまったく新しいジャンルを打ち立ててしまった。

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取材・文=門賀美央子

「国民の所得があまり増えない中、増税ばかり行われる日本の現状に対して日々疑問を持っていました。どうしてこんな風になってしまったのだろう、と。そこで、自分なりに時間をかけて調べたり、人から話を聞いたりしているうちに、少しずつ納得できる答えが見えてきました。そして、それは小説にして広く読者に知ってもらう価値があると思ったので、本作を書いたんです。もちろん僕が書いたところでどれほどの波及効果があるかはわかりませんが、娯楽小説の中に真実を混ぜ込んでいくことで、いろんな方に興味を持ってもらえたら、と考えました」

小さな事件からマクロ経済へ 娯楽に混ぜ込んだ社会の実情

 警視庁志村署に所属する刑事・佐久間が取り調べをすることになったのは、前夜に公務執行妨害罪容疑で逮捕された久和という男だった。久和は大学の客員教授だが、職務質問された際に彼の自動車内から他人の財布が見つかり、事情を問い詰めたところ抵抗を示したので緊急逮捕に至ったのだという。

 久和がどんな人物なのか、佐久間の部下が軽い下調べのつもりでネット検索したところ、逮捕の報がさっそくSNSで取り沙汰されていた。投稿情報によると、久和は少々キレ癖のある変わった人であるらしい。

 けれども、佐久間は取り調べ直後から思い知ることになる。久和が少々どころではない変人であることに。彼はいきなり「私は、ありとあらゆる公務員を信用しておりません」と言い放ったのだ。

「話の発端となる久和の逮捕劇ですが、このエピソードはある実在の人物の身の上に起こった事件を参考にしています。経済の専門家で世間的にも影響力のある人物が、突然身に覚えのない事件に巻き込まれて逮捕されてしまったそうです。でも、その時の逮捕の段取りが、どうもおかしい。僕が聞いても、その手順はちょっとないよね、と思うようなもので。結局、彼を引きずり下ろしたい人が仕組んだんじゃないかと疑われるような内容でした」

 久和は内閣府の経済財政諮問会議に参加するほどの経済通だが、今回の逮捕がきっかけで内閣官房参与への内定が見送りになってしまう。

 この展開に、本作は政界のダーティーな裏側を描く物語で、久和は陥れられた犠牲者として、国家権力と断固戦う物語なのかと思った。だが、すぐさまそれが早合点であることに気付かされる。

 事件については供述を拒否する久和だったが、公務員を信用しない理由ならば話すと言う。そこで仕方なく了承した佐久間に対し、「お金とはなにか」から始まる経済理論を滔々と講義し始めるのだ。

「僕は大学では経済学部に在籍してはいたものの、専攻は経営学だったのでミクロ経済の範囲しか理解していませんでした。経済原論などは若干やりましたが、基本的には企業行動論などが中心。だから、兆円規模のマクロ視点は持ってなかったんです。僕自身、基本を一から勉強していったようなものでした」

 しかし、なぜマクロ経済論が入り込むような話を、警察小説に仕立てようと考えたのだろうか。

「この小説は、以前書いた『幸せの条件』と同じように、知識のない人が何らかの問題に関わらざるを得なくなって、仕方なく勉強していくうちに一つ一つ理解していく構図にしたかったんです。今回のテーマは、ヒーロー的な人が内部にいて大活躍したところで、結局は何も変えられないまま終わると容易に予想がつくほどの大きな話です。それよりも、ミステリーらしい謎があって、それを解いていく過程で、背景となる大きな問題に近づいていける話にする方がいいだろうと判断しました」

血痕のついた財布は惨劇の序章? それとも……

 久和の講義が続く取調室の外では、見つかった財布の捜査が始まっていた。財布には血痕が付着しており、事件性を否定できなかったからだ。

 財布の中身から、持ち主がフリーライターの菊池であることはすぐに判明し、佐久間の部下・中田は菊池を探し始める。そして、少し前から仕事先や恋人とも音信不通になっていることがわかった。俄然事件性が増したわけだが、調べが進む中、姿を消す直前の菊池が、ある交通死亡事故について嗅ぎ回っていたという情報が入る。

 それは、財務省官僚としてトップに上り詰めた男の息子が80代の老人を轢き殺したものの、なぜか不起訴で終わっていた事件だった。

 なにやら背後に陰謀の気配が漂いはじめるが、刑事たちはひたすら面倒な容疑者の相手と、足で稼ぐ地味な捜査にあけくれる。間にちょいちょい彼らの小市民的私生活を挟み込みながら展開していく物語は、壮大なテーマに反して意外と日常的で、とても読みやすい。

「僕が新人だった頃に2、3回インタビューしてくださった記者さんがいたのですが、その人が非常に変わった方でして、僕へのインタビューはそっちのけで(笑)、日中から日が沈むまでずっと自分の話をし続けるんですよ。内容はいろんな業界の裏話や雑談です。でも、聞いていてとにかく面白い。だから、『そんなにいろんな話をご存知なら自分で本にしようと思わないんですか』と尋ねたところ、『いや、これを本にするならば小説的手法に依らざるを得ないんだな』と言う。つまり、事実だけを並べても取り留めなく、起承転結もないので本にはできない。いろんな要素が、始まりも終わりもなく入り混じって繋がっているのが現実であって、都合よく始まりと終わりを決めて切り取ってしまうとそれはもう作りものになってしまう、と言うわけです。僕はその言葉にいたく感心し、以来、小説におけるリアリティを追求するにあたって1ページ目からいきなり始まり、最後のページですべてが終わるような物語は書くまいと心に決めたんです。現実の世界からありもののパーツを拝借して1個1個積み上げていき、それが結果としてリアリティに繋がるようにしています」

 本作もエンターテインメントに徹したフィクションの体裁を取ってはいるが、背景にあるのはれっきとした事実であり、私たちの人生に直結する現実だ。

「GDPやプライマリーバランスなんて言葉が出てきたら他人事のように感じるかもしれませんが、それが別世界の話だなどと思ってしまったらある種の人たちの思うつぼです。国家財政も自分たちの問題であり、おかしなところがあれば是正させないといけません。そのためにはきちんと選挙に行って政治家を選ばねばならないし、間違った報道を野放しにしてはいけない。インターネットの時代である現代は、個人が発信して世論を変えていくこともできます。ぜひ、我がことと思って読んでいただきたいですね」

 久和の語りによって佐久間が導かれる結論、そして中田が行き着く世の中のからくりを直視した上で、何を思い、何を考えるか。

 登場人物たちの軽妙なやり取りと事件の真相を追うエキサイティングな過程を楽しみながら、誉田さんが「首木」という言葉に託した意味を考えてみてほしい。

誉田哲也
ほんだ・てつや●1969年、東京都生まれ。2002年、『妖の華』でムー伝奇ノベル大賞優秀賞を獲得しデビュー。03年『アクセス』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。著作に「ストロベリーナイト」シリーズ、「ジウ」シリーズ、『Qrosの女』『ケモノの城』『プラージュ』『幸せの条件』『背中の蜘蛛』『主よ、永遠の休息を』など多数。

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