「サラリーマンはつまらない生き方じゃない」大好きなアニメの世界に転生したサラリーマンは、勤勉さで主人公を救えるのか?

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/7/4

彼女が生きてる世界線!"
彼女が生きてる世界線!』(中田永一/ポプラ社)

 異世界転生ものブームに、「あの」作家が乗り出した。
彼女が生きてる世界線!』(中田永一/ポプラ社)は、『百瀬、こっちを向いて。』などの中田永一氏による小説だ。

 平凡なサラリーマンだった主人公〈僕〉は交通事故に遭い、大好きなアニメ「きみある」(きみといっしょにあるきたい)の世界に転生。悪役である、“雲英学園の悪魔”城ヶ崎アクトになってしまう。転生したのはアニメの舞台の数年前。今からならば、難病で亡くなるヒロイン・ハルを助ける道が開けるかもしれない! 〈僕〉は作品における「神」であるシナリオライターの決めたストーリーにあらがおうとするが……。

advertisement

「あるある」「お約束」と主人公リーマンの真っすぐなブレなさ

「きみある」世界での城ヶ崎アクトは、権力や財力を持つ親の力をふんだんに使い、いじめや卑怯な手を使いヒロインたちを追い詰める悪役である。最終回では家が没落。街を追い出され、視聴者に「最後に正義は勝つ」と溜飲を下げる役割を担う。

 そんな展開をもちろん知る主人公が転生した当時のアクトは小学生。ヒロインがアニメで描かれ、病気を発症するのは高校時代。自分の運命は意に介さず、ヒロインであるハルを生き延びさせたいとだけ切に願う。ということで、先を見据えた主人公は、時間をかけてコツコツと準備を進めるのだが、それが思わぬ方向に展開していくことになる。

 共に悪さをする、悪役をもてはやす取り巻き、本来の主人公とのエンカウント、アニメで描かれたイベントが実際に発生する……。異世界もの、悪役転生もののあるあるやお約束も次々訪れるが、主人公のまっすぐさと、目的のブレなさ、そして〈僕〉のサラリーマン気質が物語を独自のものに仕立てている。メタ的な視点でも「こう来たか」と楽しく、もちろん物語としても純粋に楽しめる。

 物語が進むにつれヒロイン・ハルと、アニメ本来の主人公・蓮太郎をくっつけようと何度も試みているが、それも根底にあるのは、病気になった彼女の支えになってほしいという願いからだ。ヒロインに対するひたむきさと純粋さは、(たとえ見た目が明らかな悪役フォルムでも)まさに主人公である。

 主人公は自分が悪役のビジュアルであること、最後は父親の過ちによって没落することなどは全く気にしていない。悪いふるまいをやめ、ボランティアや、自分の家の財力をドナー探しや研究につぎ込めるよう尽力する。自分にできることをやろうと奔走するのだ。まさに日々を積み重ね、仕事の成果を上げるサラリーマンそのもの! 凄まじい勤勉さは驚嘆するし、思わず応援したくなってしまう。

 この物語は、さまざまな要素が入れ子式になっている。実は、ハルの「中の人」である女性声優は、現実世界でハルを演じたのちに闘病の末、亡くなってしまっていた。彼女の声に支えられていた〈僕〉は、アニメの声と、転生した世界での声が同じことに気づく。「彼女が生きてる世界線!」のタイトルには、前世で失った声を生かしたいという思いも含まれているのだ。

自分を肯定して、今を生きることを教えてくれる

 異世界転生ものがこれほどまで人気を博したのは「みんな違う自分になりたいからでは」という意見を見かけたことがある。この作品の主人公は、決して前世を否定しない。アクトの今までの人生も、訂正はするが否定はしない。

 平凡だったサラリーマンであった前世のことを、主人公は気に入っていたそうだ。クライマックスで、

(前略)僕を攻撃するのは、まだいい。だけど、サラリーマンのことを悪く言うのは、がまんできなかった。
「サラリーマンは、つまらない、生き方、なんかじゃ……、ないですよ……」
前の人生を肯定したかったのだ。悪くなかったと思っている。(後略)

 と、大怪我を負いながら語り掛ける。

 大人になると、時折日常にうんざりすることがある。けれども、その積み重ねが人生になり、平凡でもそれもまたかけがえのない日々なのだ。若い読者にはそうまっすぐ伝え、大人にも大切なことを思い出させてくれる。

面白いものは、誰が読んでも楽しい

 実はこの中田永一氏は、「GOTH」など多数の著作を持つ乙一氏の別名義である。なるほどストーリーテリングが巧みで面白いわけである。

 主人公はひたすら「ハルを救う」という大きな目標に向かう。その過程でたくさんの人の心を救い、運命を変えていく、その優しさと温かさにはきっと勇気をもらえるはずだ。

 まるで雨上がりの青空のような、澄み切った気持ちになる読後感。面白い作品は、年齢を問わず楽しめるもの。登場人物と〈僕〉に、『彼女が生きてる世界線!』に幸あれと、きっとあなたも思うだろう。

文=宇野なおみ

あわせて読みたい