佐伯泰英の新シリーズ! カネもない、ツテもない脱藩武士コンビの波乱に満ちた冒険譚
PR 公開日:2024/7/9
絶体絶命の時、自らの身を助けるものは何か。たとえば、武士にとってそれは、秀でた剣の腕なのか。それとも武の道を極めんとする心か。はたまた人柄なのか。武者修行に繰り出したある浪人の物語を読みながら、ふとそう思う。この浪人は剣に優れ、実直。才能もあり、努力家で、人柄も存外によい。そのせいだろうか。そんな男の旅には腰巾着、口ばかりの若武士がついてくる。
『さらば故里よ 助太刀稼業(一)(文春文庫)』(佐伯泰英/文藝春秋)は、佐伯藩を飛び出したそんな正反対のふたりの武士が織りなす物語。「密命」シリーズ・「居眠り磐音」シリーズなどの時代小説で知られる佐伯泰英さんによる待望の新シリーズだ。
時は文政三年(1820年)10月。佐伯藩毛利家の徒士並、剣術・三神流の豊後一の遣い手、23歳の神石嘉一郎がこの物語の主人公だ。浦方の村々の漁獲高を浦奉行に報告する御用を担っていた嘉一郎は、ある時、不正を働いたという濡れ衣を着せられ、脱藩するより仕方がなくなってしまった。荷船で目指すは大坂(大阪)。だが、彼は思わぬ男と出会すことになる。その男は、毛利家九代目藩主の三男坊、妾腹の毛利助八郎。嘉一郎にとって助八郎は、城下の町道場の弟弟子にあたるが、決して付き合いが深いわけではない。それなのに、助八郎は、「嘉一郎が脱藩するというから自分も佐伯藩を脱けることにした」と嘯き、毛利家の家宝の刀を勝手に持ち出し、その旅に同行しようとする。
嘉一郎より四歳年下の助八郎は口が達者で、あまりに調子が良い。彼は、金魚のフンというか、コバンザメ。ふたりはそろってほとんど路銀を持ち合わせておらず、大坂に何かツテがあるわけでもない。だから、どうにかしてカネを稼ぐ方法を探すしかないのだが、助八郎は嘉一郎に頼り切り。嘉一郎に道場破りを唆しながらも、当人は剣の腕がないから、自ら戦う気はさらさらない。そもそも嘉一郎にとって助八郎と旅することは何の利もなく、助八郎の身勝手さには呆れさせられる。だが、そんないい加減な助八郎の姿がおかしくてたまらない。おまけに助八郎の持ち出した家宝は大きな問題を招くことになる。
助八郎が嘉一郎に頼りたくなる気持ちもよく分かる。嘉一郎はとにかく真っ直ぐ。突然脱藩を余儀なくされたことに最初は動揺していたが、それならば、この旅を武者修行としようと考え始め、気持ちを新たに進み始める前向きなところもある。剣術を深く愛し、自らの剣術を極めるにはどうしたらいいか考え、ふとした行動でカネが稼げそうになっても、それを断り、清貧を貫こうとする。そんな姿は、まさに武士の中の武士。その信念には目をみはるものがある。
脱藩を余儀なくされる緊急事態でも、無一文でも、嘉一郎は己の力で、道を切り開いていく。その活躍は鮮やかで、爽やかな風が駆け抜けていくかのように心地よい。向かう先々で出会う剣士と技を磨いていく嘉一郎は、「助太刀稼業」なるものを求められ、必死に応えるうちにその意味を考え始める。他の佐伯作品同様、迫力ある殺陣シーンはもちろんのこと、人との出会いがあたたかく胸に沁みる。そして、家宝を持ち出した助八郎の運命も気にかかる。このシリーズは1巻目から極上。正反対の武士たちの波乱に満ちた旅から目が離せない。
文=アサトーミナミ