21歳著者の目標は“テクストでの魂込め”。すべての人に届けたい、時代を超える語りの力『月ぬ走いや、馬ぬ走い』
PR 公開日:2024/7/11
『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(読み:ちちぬはいや、うんまぬはい)(豊永浩平/講談社)は、沖縄で異なる時代を生きる人々による“語り”で構成される群像劇だ。
読者は戦時中から現代に至るまで約80年間の月日を行き来しながら、沖縄という地に渦巻く問題を生々しく体験する。戦争、占領、貧困、暴力。人々はそれらの渦にどのように巻き込まれ、抗ったのか。一つひとつの体験がやがて線で結ばれるとき、読者はその根底に流れる生死や愛といった普遍的なテーマを汲み取ることができるだろう。
これほど“語り”の力をもつ作品とは、めったに出逢えないと思う。本書を21歳の著者がひとりで書いたという事実を、私はいまだに受け止めきれていない。何度読み返しても、その時代を生きた、実在する人々によって語られたとしか思えないのだ。これは歴史上の事実や沖縄の風景、文化を随所にちりばめるだけで成し遂げられることではない。“テクストでの魂込め(マブイグミ)”を目標と掲げる著者が書いた作品だからこそ、これほどのエネルギーが言葉の一つひとつにこめられたのだろう。
また、本作は群像劇というジャンルにおいても極めて優れた作品だと感じる。一人ひとりの心情や体験が色濃く描かれているだけでなく、彼らは血や因縁によって間接的につながっている。戦争や米軍による占領といった史実が、その後の時代を生きる人々の生活にどのような影響を及ぼしていくのか。あるいは、渦中に生きた誰かが遺した意思は、どう継がれていったのか。時代を往来する構成だからこそ、群像劇ならではの複層的な人間関係がもたらす感動が、より重厚な響きとなって読者の心を打つ。
社会や歴史といった大きな主語で語られる物語と、一人ひとりの人生という個別具体な物語は、密接につながっている。当たり前のことかもしれないが、日々のなかではそれを実感する機会は少ない。生活の不満や困難を諦め、政治に対して無関心を貫く人も多くなったように感じる。しかし、一人ひとりの人間がどれほどちいさな存在であろうと、私たちが大きな物語の一部であることは変わらない。本書は沖縄というひとつの地に焦点をあて、時代を超えることで、それを描ききっていた。
私たちがここで生きている事実は、地層のように重ねられたたくさんの奇跡の結果かもしれない。そして私たちの人生は、未来につながる地層の一部になるのかもしれない。本書を読み終えたとき、そのようなほのかな希望のようなものが芽生えた。
北海道で生まれ育った私にとって、沖縄は国内でもっとも遠い地だ。しかし、沖縄の歴史と人を描いた本作から、私は自分自身のルーツや人生を想うきっかけと、自分の生を肯定する感覚を受け取った。この圧倒的な読書体験が、今を生きるすべての人に届くことを願ってやまない。
文=宿木雪樹