父親は元ヤクザ。元ホームレスYouTuberが父から学んだ人生の教訓
公開日:2024/7/19
YouTuberになって人生逆転を果たしたホームレスをご存じですか?
ナム氏は20代後半の頃からギャンブルにはまり、日雇いの仕事をしながら全国のボートレースを追いかけていました。しかし、年齢を重ねると仕事もなくなり、気づけば横浜・関内の地下通路でホームレス生活を行うことに。
「一緒にYouTuberをやりませんか?」
いつも通り、地下通路で寝泊まりしていると、ある人からそう声をかけられました。「ヒマだから」とYouTubeを始めると、瞬く間に登録者が伸びていきました。無一文の路上生活者だったのに、気づけば登録者40万人のYouTuberへ。それはまさに地獄から天国へと舞い上がる出来事でした。
そんな天と地の両方の景色を見てきたナム氏がこれまでの人生を振り返りながら、ホームレス生活を通して得た人生哲学を紹介するエッセイ『ホームレスが大富豪になるまで。 YouTubeで人生大逆転!どん底から這い上がるには』をご紹介します。
※本記事は『ホームレスが大富豪になるまで。 YouTubeで人生大逆転!どん底から這い上がるには』(ナム/KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました
元ヤクザのオヤジに学んだ人生の教訓
読者の皆さんに、最初に謝っておきたいことがある。
この本は俺、ナムの本。
つまり、俺の人生について語る内容になってるんだけど、正直言って、昔についてはあんまり語ることがないんだよね。
よく覚えてないし、覚えていても、話したくないことがたくさんあるからさ。ありもしないことを面白可笑しく語ってもしゃあないし。
まあでも、思い出せる限りのことを、徒然なるままに書き起こしてみる。知ってる? 吉田兼好。俺はこう見えて、文学とか映画には意外と詳しい方なんだ。
まあ、そんなことは置いておいて。
生まれは福岡の片田舎。
オヤジ、お袋、兄貴2人、そして俺。5人家族で育った。
共働き家庭だったから、両親が家にいることはあまりなかった。お袋は美容師だったけど、オヤジは何をしてたんだっけ。……まあ、何かしらの仕事はしてたんじゃない? 一応家族5人で暮らしていけてたわけだから。
あんまり大っぴらに言うことでもないけど、オヤジは元ヤクザだった。直接聞いたわけじゃないけど、背中に紋々入ってたし、小指がなかったから、そっち系の人だったんだろうね。
別に怖くはなかったよ。オヤジはオヤジ、俺は俺って感じで、親がどんな仕事をしていようが、どんな人生を歩んでいようが、関係ねえよって感じかな。
俺はバリバリの昭和世代で、その頃って、家父長制みたいなのが当たり前だったでしょ。つまり、家族のなかでは父親が一番エラくて、父親の言うことが絶対だ、みたいな価値観が普通だった時代だよ。
ところが、うちの家族はちょっと違った。オヤジはいつも、「お前の人生はお前のものだから、好きにやれ。その代わり、責任は持てよ」って言ってたの。てめえの人生なんだから、こっちは知らねぇよと。だから俺も、親の人生には干渉しないわけ。ある意味ではドライだし、親と子がすごく対等な関係性だったとも言える。
そんな環境で育った俺からしてみれば、今の一般的な〝家族の形〟がすごく滑稽に映る。お互いに干渉しすぎっていうかさ。
子どもは親が敷いたレールの人生を歩んで、そこで失敗したら、その責任を親が取ったりするでしょ。親がそこまで面倒みる必要はないし、子どもの方も、自分の意思で生きていかなきゃいけないわけ。
親も子どもも、自立した別の人間なんだよ。
だから、お互いの人生に口出しすべきじゃないし、リスクや責任も全て自分で背負っていくべきだと思うね。
お袋と兄貴については、ほとんど記憶がない。
お袋との唯一の思い出は、大人になってから一緒にパチンコ行ったことくらいかな。今思えば、なんで2人でそんなとこに行ったんだろうな?
上の兄貴は俺が中学のときに集団就職で遠くへ行って、それっきり。下の兄貴は23歳でガンで死んじゃった。
下の兄貴とは仲がよかったから、若くして死んだことはショックだった。兄貴がいつも身につけてた金のネックレスを形見にもらって、ずっと大事に持ってたよ。
結局、ギャンブルでつくった借金のカタに売っちゃったけどね。
<第2回に続く>