もし日本が戦争の地となったら? 芥川賞候補作の続編『越境』で描かれる衝撃の世界

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/7/24

越境"
越境』(文藝春秋)

 ウクライナ戦争、ガザ侵攻――21世紀の今、まさか「戦争」がこんなに日常の風景になってしまうとは。日々伝えられる戦争の悲劇には本当に胸が痛むが、とはいえ自分の身に実際に迫っている恐怖ではない分、まだ冷静でいられるのは間違いない。もし私たちが今、本当に戦争に巻き込まれてしまったらどうなってしまうのだろう。『ブラックボックス』で芥川賞を受賞した砂川文次さんの新刊『越境』(文藝春秋)は、「現在の日本社会に戦争が起きる」という衝撃の状況をリアルに描き出すノンストップミリタリー巨編だ。

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 本作は「北海道に突然ロシアが攻め込んでくる」という、ウクライナ侵攻を彷彿とさせるかのような状況を描いた芥川賞候補作『小隊』(文春文庫)の続編となる。恐怖、無力感、高揚感、自暴自棄――地獄と化していく戦場で人間はどのような感情に振り回されるのか、陸上自衛官を主人公に圧倒的に「戦うリアル」をヒリヒリと突きつけた前作をさらにパワーアップさせた本作は、そのロシア侵攻から10年後の北海道が舞台。国際社会の圧力の前にロシア政府は「北海道への侵攻軍は一部のクーデター勢力による暴走だ」と切り捨て、北海道東北部は取り残されたロシア系武装勢力と、日本政府の指揮下を離れた自衛隊の残党、民兵、マフィア、ヤクザなどが群雄割拠する「無法地帯」と化してしまっている(このあたりの設定にすんなり入るには『小隊』から読むことをオススメしたい)。

 物語は釧路空港で日本政府の「支援飛行隊」の輸送ヘリが正体不明の勢力からの砲撃を浴び、防御にあたっていた対戦車ヘリも被弾し大きく損傷を受けながらも付近のダム湖に不時着するシーンから始まる。操縦していた入木(イリキ)2尉はヘリコプター墜落から九死に一生を得るも下山中に意識を失い、元陸自だったというヤマガタとロシア系難民のアンナに助けられる。戦争の不条理に一度は生きる気力を無くしかけたイリキだったが、「生きる」ためにヤマガタとアンナと共に山を下り、無法地帯を突き進むことになるのだ。

 銃器や違法薬物の一大産地となり「世界で最も寒くて安全なスラム」と化した釧路、ならず者たちを取り仕切る謎の男が住む紛争地帯の食料供給地・標茶、北方自衛隊とロシア軍が微妙なバランスで共存する旭川、警察が越境の門番となる滝川――北海道各地の見慣れた土地がワイルドすぎる場所へと変貌し、イリキは図らずも血なまぐさい抗争に巻き込まれていく。一見とんでもない世界のようでありながら、圧倒的なリアリティと迫力で「読ませる」のは、著者が元自衛官という異例の経歴を持つからこそ。「いざ戦争が起きたら、こういうことが起きるのだ」と実感させられることも多い。

 さらに注目なのが繊細なイリキの内面描写だ。目の前で人が死んでいく姿を見て初めて「これが実戦なのか」と衝撃を受け、激しい闘いの中でも常に「なぜ自分は戦うのか」「戦争とは何か」「人殺しをした自分に行き場はあるのか」「自衛官に何を求めたのか」と絶えず自問自答を繰り返す。やや過剰にも思えるが、そうでもしないと「目の前の相手を殺す」という圧倒的な暴力に正気を保てなくなるのか。ここまでの繊細な心理描写が可能なのは、やはり「言葉」で勝負する小説だからこその醍醐味でもある。

 そして戦いの舞台は、戦争をまるで「対岸の火事」とばかりに普通の日常が流れる札幌へ――そこで起こる大いなる悲劇は、「国家」「体制」「マジョリティ」etc.が簡単に切り捨てるものの大きさを私たちに知らしめる。戦争は絶対反対。日々、不安定な国際情勢のニュースが届く今だからこそ、読んでおくべき物語だろう。

文=荒井理恵

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