戦争を理由に幻となった東京オリンピック。スポーツを愛する人々が、代替の国際大会を生み出すまでを描いた交渉小説

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/7/19

幻の旗の下に"
幻の旗の下に』(堂場瞬一/集英社文庫)

 スポーツは希望だ。選手たちの活躍ほど、私たちに力を授けてくれるものはない。その最たる舞台が、世界中の選手たちが集うオリンピックだろう。だが、もし、それが中止を余儀なくされたとしたら、選手はもちろんのこと、それを楽しみにしてきた国民はどれほど落胆することだろうか。2020年、東京オリンピックは、新型コロナウイルスの世界的な蔓延を理由に、1年延期されることになったが、あの時だって日本中には失望感が広まった。では、1938年はどうだったのか。実は1940年、東京ではアジアで初めてのオリンピックが開かれるはずだった。しかし、日中戦争を理由に1938年、東京オリンピックは開催返上されることになり、さらには翌年、代わりにヘルシンキで開催されることになったオリンピックも中止されてしまったのだ。

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 オリンピックの代わりとなる新たな国際競技大会を開催したい——そんな壮大な計画の実現に挑む人間たちの姿を描き出すのが『幻の旗の下に』(堂場瞬一/集英社文庫)だ。オリンピックという一大イベントがなくなった1940年、日本では「東亜競技大会」という代替のスポーツイベントが開催されたらしい。その舞台裏には何があったのか。そこにはどれほどのスポーツへの愛、情熱があったのか。スポーツ小説から警察小説まで、多彩なジャンルで意欲的に作品を発表し続けている堂場瞬一は、フィクションを交え、それを小説として再現してみせる。

 1938年7月、東京オリンピックが開催返上されることになり、大日本体育協会理事長・末広は荒れに荒れていた。「今、何かできることはないか」と、意見を求められたのは、立教大学野球部出身の、秘書・石崎。彼は、ふと思いついて、オリンピックに代わる大きなスポーツ大会の開催を提案。そして、それがキッカケとなって、日本、ハワイ、満州、フィリピンのチームが参加する新たな国際大会の実現のために動き出すこととなる。

 この物語の中心は、「交渉」。文部大臣や内務大臣、陸軍次官など、あらゆる思惑を持つ人間たちにいかに大会開催を認めさせていくかが描かれている。「交渉」が中心となる物語だと聞くと少々地味に思えるかもしれないが、決してそんなことはない。特に、日々、根回しと交渉に明け暮れるサラリーマンなら、強敵相手に立ち向かう石崎に心寄せずにはいられないだろう。その姿には手に汗握らされるし、石崎の交渉の巧みさには尊敬の念さえ抱きたくなる。それに、大日本体育協会理事長・末広の姿も、上司の鑑とでもいうべき姿で、見ていて気持ちがいい。「スポーツは若い人のものなんだ。君たちが中心になって考えないと駄目だぞ」と石崎の意見を真摯に聞き、「汚れ仕事があれば、我々年寄りがやる」と言い、そんな末広の期待に石崎は応えていく。……なんて熱いのだろう。「こんな上司のもとで働きたい」「石崎の情熱を見習いたい」——そんな思いが胸の中にふつふつと湧き上がってくる。

 80年以上前の世界は今とはまるで状況が異なる。海外とのやりとりは手紙や電報が主。たとえば、ハワイから日本に来るのには片道10日間の船旅で移動しなければならないし、日系人は日本に行くことを、「アメリカからスパイとして疑われるのではないか」と恐れている。そんな中でも、日本には、スポーツを愛し、その力を信じ続ける人がいた。「スポーツは何かに影響を受けるべきではない。例えば、政治や戦争などに……」。そんな台詞にどうして心揺さぶられずにいられるだろうか。新しい国際大会開催に向けた奔走に、こんなにも熱い思いにさせられるとは。知られざる歴史に、人々の尽力に、どうかあなたも目を向けてほしい。

文=アサトーミナミ

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