報酬1万円! 口外したら命はない!? ゴーストレストラン兼探偵屋のシステムと真の目的/難問の多い料理店②

小説・エッセイ

公開日:2024/8/19

難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)第2回【全6回】

ビーバーイーツ配達員として日銭を稼ぐ大学生の主人公は、注文を受けて向かった怪しげなレストランでオーナーシェフと出会う。彼は虚空のような暗い瞳で「お願いがあるんだけど。報酬は1万円」と噓みたいな儲け話を提案し、あろうことかそれに乗ってしまった。そうして多額の報酬を貰ううちに、どうやらこの店は「ある手法」で探偵業も担っているらしいと気づく。「もし口外したら、命はない」と言うオーナーは、配達員に情報を運ばせることでどんな難問も華麗に解いてしまい――。笑いあり・驚きあり・そして怖さあり…な、新時代ミステリ小説『難問の多い料理店』をお楽しみください!

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難問の多い料理店
『難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)

2

 信号が赤に変わったのでブレーキを握り、シェアサイクルを停める。

 キィーという甲高いタイヤの悲鳴は、走り始めた車の騒音に搔き消された。

 それにしても、いくらなんでも寒すぎる。今年いちばんの冷え込みというのは、どうやら噓じゃないみたいだ。完全防寒のサイクルジャージを着ているとはいえ、この街特有の素っ気なさを纏った冬の冷気は、貧乏学生相手にも決して容赦してくれない。吐く息の白さと刺すような顔の痛み、感覚のない手足がそれを物語っている。

 右足を路面についてバランスを取りつつ、サイクルヘルメットのあご紐を締め直す。ガサガサとジャージが擦れ、やたらと前歯の大きいコミカルなビーバーが描かれた空っぽの配達バッグが背中でゆらりと揺れた。

 かじかむ手でスマホを取り出し、時刻を確認する。

 夜の十一時五十分。〝店〟を出たのがつい五分ほど前のこと。新たな注文が入ったので僕の〝案件〟はいったん棚上げとなり、居座られても邪魔だとかなんとか言って追い出された形だ。いまごろ、どこぞの配達員が〝例のアレ〟を受け取るべく〝店〟に向かっていることだろう。うーん、羨ましい。けど、誰が受注できるかはアプリのアルゴリズム次第なので仕方がない。明日以降やるべき〝宿題〟も仰せつかっていることだし、今日はもう店じまい。さっさと帰って寝ることにしよう。

 夜の六本木交差点は、いつもと変わらぬ騒がしさだった。

 肩を組み大声を張り上げるスーツの野郎ども、足早に地下鉄の駅へと吸い込まれていく華やかな女たち、輪になって目配せを交わしつつこの後の展開を模索する男女の集団、こんな真冬なのに半袖半ズボンで巨大なリュックを背負った外国人観光客の御一行。頭上を走る首都高からは絶え間なく往来の音が轟き、右手には飛び石のようにオフィスの灯りが煌めく六本木ヒルズが聳え、眠らぬ街を静かに見下ろしている。

 溢れんばかりの熱気と、渦巻く欲望と、ある種の無常観。

 官能的で、享楽的で、刹那的。

 東京、六本木。

 その甘美な響きに漠然と惹かれていたのは事実だし、そこの空気を吸えば自分も何か特別な存在になれる気がしていたものの、いざこうして生活圏になってみると、なんてことはない普通の街だと思う。むろん、裏通りでタトゥー入りの大男が血まみれになりながら殴り合ったとか、クラブのVIPルームで鉄パイプが振り回されるような乱闘騒ぎが勃発したとか、そんな噂を耳にすることもあるけれど、こうしてビーバーイーツの配達員として走り回っている限り、それらはどこか並行世界で起こっている珍事にすぎなかった。

 当たり前だ。

 ありふれた自分の身に降りかかるのは、ありふれたことばかり。三日連続で道すがら黒猫を見かけたとか、改札を通るとき前の人のPASMOの残額がぴったり七百七十七円だったとか、配達の途中で東京タワーが消灯する瞬間をたまたま目にしたとか、僕が日常で出くわすイベントなんてせいぜいその程度。ドラマチックで、ファンタスティックで、手に汗握るような〝事件〟など起こるはずがないのだ。

 信号が青になる。

 ペダルに足を乗せると、緩慢に動き出す人波に合わせ、ゆっくりと漕ぎ出す。

 そんな〝平凡な街〟の片隅に一風変わったレストランがあると知ったのは、いまから半年前――ビーバーイーツの配達員を始めて一年が経過した頃のこと。

 配達員を始めた理由は気楽だから。ただそれだけだ。ぶらぶら適当に街を走り、オーダーが入ったら気分次第で受注する。特定の店舗に所属しているわけではないので上司や先輩の顔色を窺う必要もなく、好きなときに好きなだけ働けばいい。加えて、身体を動かすのは苦じゃないし、戦略的に取り組めば月に二桁万円以上稼ぐことも可能。となれば、親の反対を押し切って無理やり大学の近くで一人暮らしを始め、その代償として学費以外の援助はすべて絶たれ、明日を生きるために稼がねばならない身としては、やらない理由などなかった。

 ――お金を出すのは簡単だが、それじゃあお前のためにならない。

 ――したいのなら、自力でなんとかしろ。

 ケチだなと思ったのは事実だ。たった一度きりの大学生活なのに、子どもをバイト漬けにするつもりか、と。でも、もしバイト漬けじゃなかったとしたら、これまで通り友達の家で酒浸りの副流煙まみれの麻雀漬けになるだけ。どうせ同じ漬物なら、前者のほうが歯ごたえもあって、健康にもよさそうに思えた。

 そうして半年前のある晩、時を同じくしてビーバーが二十四時間対応となり、しかも深夜の配達は日中のそれより格段に報酬が高かったため、期待に胸躍らせながら夜の六本木を流していたら、折よくオーダーが入ったのだ。

『タイ料理専門店 ワットポー』――見たことも聞いたこともない店名だったけど、別に界隈の飲食店を網羅的に把握しているわけではない。もちろん二つ返事で受注し、アプリに指示された住所まで行ってみると、待ち受けていたのは何の変哲もない雑居ビル、そして奇妙な立て看板だった。

『配達員のみなさま 以下のお店は、すべてこちらの3Fまでお越しください』

 そこに並んだ夥しい店名の数々――『元祖串カツ かつかわ』『カレー専門店 コリアンダー』『本格中華 珍満菜家』『餃子の飛車角』などなど。その数、優に三十を超えようか。

 お目当ての『ワットポー』とやらもそこに記されていたので、不審に思いつつも指示通りエレベーターで三階へ。

 扉が開き、リノリウムの廊下へ恐る恐る一歩を踏み出す。頭上の蛍光灯はチカチカと明滅を繰り返し、そのせいかやたらと薄暗い。

 雰囲気的に、とても飲食店があるようには――ましてや三十店舗以上が軒を連ねているとはとうてい思えなかったけれど、エレベーターを降りてすぐの壁に『配達員の方はこちらへ↓』という張り紙を見つける。そしてその矢印が示す先には、すりガラス越しにぼんやりと灯りが漏れる一枚のドアが、たしかに存在していたのだ。

 ドアノブを捻り、おっかなびっくり足を踏み入れる。

 扉の先に広がっていたのは、ごく普通のレンタルキッチン――料理教室やパーティー、テイクアウト専門店などに活用される貸スタジオだった。

 入ってすぐのところに申し訳程度の椅子とテーブルが置かれ、その向こうには広々とした調理スペース、左手の奥には業務用の冷凍・冷蔵庫、右手には金魚鉢が載った棚。そして、調理スペースに立ちトントントントンと何かを刻む男が一人。白いコック帽に白いコック服、紺のチノパン。他に従業員らしき人影はない。彼一人で回しているのだろう。

 なるほどね、とすぐに理解した。

 前に、ネットニュースか何かで読んだことがある。

 ここは、いわゆる〝ゴーストレストラン〟――客席を持たず、デリバリーのみで料理を提供する飲食店なのだ。アプリ上には様々な店名があたかも別個の店であるかのように掲載されているが、実際はすべて同一の調理場で作られたもの。いままさに男が作っている料理も、数ある店名の中のどれか一軒のメニューなのだろう。そうやって出店コストや人件費を削減しつつ、各店名に「元祖」や「専門店」といった文言を冠することで、利用者の優良誤認を狙おうというわけだ。現に、僕が受けた注文にも『タイ料理専門店』と書かれていたではないか。

 そんなことを考えていると、フライパンに具材を放り込んだ男がつと顔を向けてきた。

 ――きみ、新顔だね。

 それはもう、息を吞むような美青年だった。どこが、とかではない。全部だ。顔の造形も、発する声も、その佇まいも、すべてが完璧で調和がとれているのだ。年齢はまるで見当がつかず、同世代――なんなら歳下と言われても納得がいくほどに純白の肌は透明かつ滑らかだが、そのいっぽうで、ひと回り以上歳上と言われても頷けるような、そんな落ち着きというか、そこはかとない静謐さもある。

 それはさておき、〝新顔〟とはどういうことだろう。初めて来たという意味では間違っていないが、逐一配達員の顔を覚えているとでもいうのか。

 ――注文の品ならできてるから。

 見ると、すぐ目の前のテーブルの上に白色無地のポリ袋が一つ、ちょこんと載っていた。これに違いない。というわけでいつも通り配達バッグに格納し、あざしたー、とその場を後にしようとした瞬間だった。

 ――あと、お願いがあるんだけど。

 じゅわぁぁと湯気を上げるフライパンを放置し、男がつかつかと歩み寄ってくると、なんとも香ばしいニンニクの香りが漂ってくる。この時間に嗅ぐこの匂いは、ほとんど犯罪的と言っていい。

 ――これを、いまから言う住所までついでに届けて欲しいんだよね。

 差し出されたのは、ごく普通のUSBメモリだった。当然ながら首を傾げていると、男は続けて信じられないことを口にしてみせる。

 ――報酬は、即金で一万円。

 ――あ、もちろん受領証をもらってここに戻ってきたら、だけど。

 なんだそれは! そんな美味しい話があっていいのか!

 ただでさえ噓みたいな見てくれの男が持ち掛けてきた、これまた噓みたいな儲け話。

 ――どうだい? やってくれるかな?

 多分に胡散臭すぎたけれど、正直言ってかなり魅力的だった。

 なんてったって、こちらは貧乏学生――明日を生き延びるために必死こいてギグワークに明け暮れる身なのだ。そこへ急に、飛んで火にいる福沢諭吉お一人様ときた。

 ――ちなみに、この話は絶対口外しないように。

 ――もし口外したら……

 命はないと思って。

 それだけ言うと踵を返し、男はネグレクトしていたフライパンの元へ帰っていく。

 そんなバカな、と内心笑ってしまったが、顔には出さないし、出せなかった。こちらを見据える二つの瞳があまりに冷たく、ただの〝虚空〟と化していたから。

 とはいえ、こんな美味しい話を誰かに教えるわけがない。

 それは、僕の退屈な日常に紛れ込んできた初めての〝事件〟だった。

 

 以来、僕はこの〝店〟にどっぷり浸かるようになった。

 オープンと同時に周辺をチャリで流し、なるべくこの〝店〟絡みの案件を受注できるようにする。ビーバーに注文が入った際、それを提供する飲食店の近くにいる配達員へ優先的にオファーがなされるからだ。

〝店〟が開いているのは夜の十時から翌朝五時までの七時間。テイクアウト専門店としては前代未聞すぎる営業スタイルだが、とにかくその時間になったら周辺をうろうろし、オーダーが入り次第すかさず受注する。その足で〝店〟に駆け付け、商品を受け取る。すると、かなりの頻度で〝追加ミッション〟が課される。これをどこどこまで届けて欲しい。どこどこまで行って物を受け取ってきて欲しい。その〝お使い〟をこなすだけで即払い一万円。はっきり言ってうはうはだ。こんな景気のいいことをしていて商売が成り立つのかとむしろ不安になる。というか、そもそも僕は何を運ばされているんだ? もしや、ヤクや何かの運び屋として利用されているんじゃ――なんて一瞬疑ってみたこともあったが、この疑問も〝店〟の仕組みを知る中で解決した。

 その仕組みというのが、次の通りだ。

 基本的には通常のテイクアウト専門店と同様、注文が入ったらすぐにそれを作り、配達員が客先に届ける。ただ、それだけ。

 変わっているのは、特定の商品群をオーダーすることが〝店〟に対する〝ある依頼〟の意思表示となること。「サバの味噌煮、ガパオライス、しらす丼」で〝人探し〟、「梅水晶、ワッフル、キーマカレー」で〝浮気調査〟というように、いくつかの〝隠しコマンド〟が用意されているのだ。中でも一番アツいのが「ナッツ盛り合わせ、雑煮、トムヤムクン、きな粉餅」という地獄の組み合わせだった。

 これらの四品が意味するのは〝謎解き〟――要するに、探偵業務の依頼というわけだ。このオーダーが入ると、受注した配達員には「その場で相談内容を聴取してくる」という〝追加ミッション〟が課される。報酬は即払い三万円。〝お使い〟よりも難度は高く手間もかかるので、まあ妥当な額だろう。そうして根掘り葉掘り聞き終えたら、すぐさま〝店〟へとんぼ返りし、内容を報告する。と、あら不思議。オーナーが鮮やかに解決へと導いてしまうのだ。めでたし、めでたし。

 とはいえ、その日の聴取事項だけで万事解決するのは稀なので、追加で〝宿題〟が出ることもある。その場合、同じ配達員がそれを引き受け、いわば専任としてその案件に携わり続けるのが通例だ。もちろんこの〝宿題〟だってきちんと報酬が出るし、その額は〝お使い〟の数倍以上。フレキシブルな働き方が売りのギグワーカーを長時間拘束することになるため、多少なりとも色を付けてくれているのだろう。

 こうなってくると、わざと〝宿題〟を課されるために前段の相談内容聴取を杜撰にするやつも出てきそうだが、少なくとも僕はそんなことしようとは思わない。そんな危ない橋は渡れっこない。というのも、顔見知りになった常連配達員の一人からこんな噂を耳にしたからだ。

 ――ここだけの話、前にそれをやったやつがいてね。

 ――あるときから、ぱったり姿を消したんだ。

 ――消したというか、消されたのかも。

 もちろん、転居などにより縄張りが変わっただけかもしれない。どこかの企業に就職して配達員を辞めた可能性もある。というか、普通に考えればそういった理由によるものだろう。が、もしそうじゃなかったら? あの日のオーナーの〝洞のような目〟を思い出すにつけ、あながちありえない話でもない気がしてならなかった。

 それはさておき、過去に一度だけ「どうしてこんな回りくどいことを?」とオーナー本人に尋ねたことがあるのだが、

 ――外注できる部分は外注する。コストダウン。当たり前でしょ。

 とのこと。

 配達員に〝お使い〟やら〝宿題〟やら毎度ウン万円も払うことがコストダウンに繫がるのかはよくわからないが、そのぶん多くの案件をこなせればトータルではプラスという判断なのだろう。ビーバーイーツならぬ、ビーバーディテクティブ。ついに探偵業務の一端をもギグワーカーが担う時代が来たかと思うと、なかなか趣深いものがある。オーナー曰く「俺は〝探偵〟じゃなく、あくまでただの〝シェフ〟だ」とのことだけど、それを真に受けるほど僕もバカじゃない。

 ちなみに、偶然にも例のメニューを頼んでしまった客がいたらどうするのか。これについては明確な回答が一つある。そんなやつはいない。以上。なぜって、四品とも見かけ上は異なる飲食店の商品だし、それぞれ単品で二万五千円――つまり、この四つを同時に注文すると料金は十万円になるため、これによって発動する〝隠しコマンド〟を知らなければ、酔狂な億万長者でもない限り、まかり間違ってもオーダーするはずがないのだ。

 ついでに言えば、数ある配達サービスの中で「一回の注文で複数のレストランから注文することができる」のはビーバーだけなので、事実上、ビーバーでしかこの依頼はできないことになる。その意味でも限りなくニッチで、アンビリーバブルな隙間産業と言えるだろう。

 いずれにせよ、これこそが〝店〟の真の姿であり、僕が何度も秘密裏に遂行してきた例の〝お使い〟は、依頼者に報告資料を届けたり、追加資料を貰いに行ったり、そうした真っ当な目的があってのものだったわけだ。

〝ゴーストレストラン兼探偵屋〟――多角経営、ここに極まれり。

<第3回に続く>

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