息子の元交際相手の焼死体が出たアパート全焼の事件性は? 10万円の着手金を払った父からの依頼/難問の多い料理店③

小説・エッセイ

公開日:2024/8/20

難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)第3回【全6回】

ビーバーイーツ配達員として日銭を稼ぐ大学生の主人公は、注文を受けて向かった怪しげなレストランでオーナーシェフと出会う。彼は虚空のような暗い瞳で「お願いがあるんだけど。報酬は1万円」と噓みたいな儲け話を提案し、あろうことかそれに乗ってしまった。そうして多額の報酬を貰ううちに、どうやらこの店は「ある手法」で探偵業も担っているらしいと気づく。「もし口外したら、命はない」と言うオーナーは、配達員に情報を運ばせることでどんな難問も華麗に解いてしまい――。笑いあり・驚きあり・そして怖さあり…な、新時代ミステリ小説『難問の多い料理店』をお楽しみください!

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難問の多い料理店
『難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)

3

 再び赤信号に捕まり、シェアサイクルを停める。

 それにしても、と僕は配達バッグを担ぎ直す。

 今回の案件は、なかなかに骨があると言わざるを得なかった。

 オーダーが入ったのは今夜十時すぎ、〝店〟の開店とほぼ同時だった。

 いつも通り受注し、注文主の元へ。配達先は、六本木の外れに佇む高級マンション『クレセント六本木』一〇一一号室。六本木通りを溜池山王方面へひた走り、大通りから一本入ると突如現れる比較的閑静な住宅街の一角に、お目当ての物件は建っていた。

 ――お待ちしていました。梶原です。

 玄関に現れたのは、物柔らかな紳士然とした男だった。

 歳の頃は、およそ四十から五十といったところ。長身瘦軀で容姿端麗。いまは上下とも緩いスウェット姿だが、それすら「オフモードのIT系カリスマ社長」みたいで様になっている。こざっぱりした短髪に縁なし眼鏡、その奥の鋭い双眸と、これでスーツなんか着た日にはどう見てもインテリヤクザだが、言葉遣いや所作は丁寧かつ洗練されており、第一印象はすこぶる良かった。

 あの、これ、と形ばかりに注文の品々が入ったポリ袋を差し出す。

 それを一瞥した梶原さんは、「ああ」と苦笑いを浮かべた。

 ――基本、夜は炭水化物を取らないようにしているんですけど。

 これを注文するのがルールなので仕方ありません――と続いたわけではないが、そういう意味だろう。それなら別に無理して食べなくてもとは思ったけれど、たしかに捨ててしまうのは忍びない。食品ロスへのささやかな配慮、小市民にもできるSDGsだ。

 ――どうぞ、大したおもてなしはできませんが。

 そう促され、配達バッグを小脇に抱えたまま玄関扉をくぐる。事情を知らない人が見たら「え、最近のビーバーは家に上がり込んで配膳・食事の介助までしてくれるようになったのか?」となりかねない場面だが、幸いマンションの内廊下に人影はなかった。

 通されたのは、ごく普通の1LDKだった。白い天井に、白い壁、白い床。整然と並んだダークブラウンの家具たち。統一感があり、シックで落ち着いた雰囲気だ。物の少なさからして、おそらく一人暮らしだろう。そのうえ、どこからともなく良い香りがする。ハーブというかスパイスというか、とにかくそんな感じの。なんにせよ、暮らし向きは悪くなさそうだ。

 ――風の噂で、なにやら面白い店があると耳にしまして。

 ダイニングテーブルの椅子を引きながら、梶原さんはぎこちない笑みを寄越す。

 たしかに、人伝に聞く以外でこの〝店〟の存在を知る方法はない。どこにも広告など出ていないのだから当然だ。しかし、存在を知ったからといって「じゃ、物は試しに」くらいのお茶目なノリで注文できるものでもない。四品で計十万円――いわゆる〝着手金〟だが、それを惜しまぬほどの問題を抱えているのは確実だろう。

 事実、向かい合う形でダイニングテーブルに着くと、梶原さんはこう口を切った。

 ――相談というのは、息子の件なんです。

 差し出される二枚の写真――構図はどちらも同じだった。眼鏡の少年を挟むようにして立つ小奇麗な男女。場所は校門の前で、背後では桜が咲き乱れ、三人のすぐ脇にはそれぞれ「入学式」と書かれた大きな立て看板が立っている。僕から見て右の写真が小学校、左が中学校のものだ。

 写真の男はもちろんスーツ姿の梶原さんなわけだが……これはどう見てもインテリヤクザです、本当にありがとうございました。いっぽう、女性のほうはベージュのジャケットに同じくベージュのワイドパンツを合わせた、クールで知的な洋風美人。うん、お似合いだ。お似合いすぎて、ちょっと嫌味な感じもする。

 写真の少年は、見るからに利発そうだった。顔の輪郭がへこむほどに度が強めの黒縁眼鏡しかり、その奥の意志の強そうな瞳しかり、ニヒルに歪んだ口元しかり、迷いなく伸びた背筋しかり。シャッターが切られる一瞬とはいえ、この年頃でこんな佇まいを見せられる男子はそう多くない気がする。さらさらの黒髪は耳が隠れるくらいに長いし、全体的に色白で、線も細く、ぱっと見だと女の子と勘違いしてしまいそうだ。

 ――手元にあるのは、この二枚だけなんです。

 思いがけない言葉に、えっ、と写真から顔をあげる。

 ――実は、六年ほど前に離婚していまして。

 そう言って、肩をすくめてみせる梶原さん。なるほど、だからいまはここで一人暮らしをしているわけか。たぶん、僕が「ご家族は今夜どこに?」と疑問に思うことを見越して先回りしてくれたのだろう。離婚事由については、あえて訊くまい。もし必要なら勝手に話してくれるはず……と思っていたら、早速その話題になる。

 ――恥ずかしながら、リストラにあいましてね。

 そうして食い扶持を失った彼は自暴自棄になり、酒やギャンブルに溺れるようになってしまったらしい。愛想を尽かした妻は息子を連れて出て行き、まもなく送られてきた離婚届――それに判を押し、当時住んでいた横浜の賃貸マンションを引き払い、いまはここ六本木で一人住まいなのだという。

 ――すみません、余計な話でした。

 いえいえと頭を下げながら、あらためて室内を見回してみる。やはり暮らし向きは悪くない。それに、腐ってもここは東京・六本木。やや辺境に位置しているとはいえ、家賃だってそれなりだろう。一度そこまで落ちぶれたのに、よく持ち直したものだ。

 そうやって思いを巡らせる僕をよそに、梶原さんの話はいよいよ核心へと迫っていく。

 ――親権は妻にあり、めったに会うことはないんですが。

 先日、ひょんなことから知ったのだという。

 息子の――梶原涼馬の下宿先のアパートが全焼したと。

 そこから語られた経緯は、僕がオーナーに報告した通り。

 ひとしきり説明を終えた梶原さんは、なにやら声を潜めると、探るような上目遣いを寄越した。

 ――いちおう、現時点ではただの失火となっていますが。

 おそらく警察は他のセンも――もしかしたら殺人の可能性すら疑っているかもしれない。なぜって、失火させた張本人の元交際相手が遺体となって焼け跡から出てきたのだ。むしろ、事件性を疑うのが当然だろう。例えば……そう、痴情のもつれとか。僕の貧弱な想像力では、それくらいが限界だけど。

 とはいえ、例の〝アパートへ突入した女〟という謎もある。これがもし事実なら――というか、それだけ目撃者がいるのなら事実なのだろうが、そうだとしたら、奇妙奇天烈な自殺というセンも否定できまい。動機は見当もつかないけれど、でなければなぜ、自ら燃え盛る炎の中に飛び込むような真似をする必要があるというのだ。

 ――ですから、ぜひとも突き止めていただきたいんです。

 これは不幸な事故なのか、はたまたなんらかの事件なのか。

 ――警察よりも先に。

 そう言って再度上目遣いを寄越す梶原さんだったが、その瞳の奥に、一瞬だけ粘着質な光が宿ったのを僕は見逃さなかった。

 ――そうすれば、なんらかの対策を打てるかもしれないから。

 なんらかの対策――仮に息子が犯罪行為に手を染めていたとしたら、なんらかの隠蔽工作を施すつもりなのだろうか。先の妖しげな光をそのように解釈してしまうのは、さすがに捻くれすぎだろうか。

 ――お願いします、愛する息子のために。

 わからない。というか、それは僕が考えるべきことじゃない。

 なんせ、僕はただの〝運び屋〟だ。こんな夜中に大盛りはよした方がいいのではと思っても、言われた通り、客の元へ牛丼を運ぶしかないのだ。そこに僕の価値判断が介在する余地はないし、させる必要もない。思考停止という名のどこか窮屈な自由。でも、それはそれで意外と居心地が良かったりする。

 とにもかくにも、僕は明日、仰せつかった〝宿題〟へ取り組むことになる。

 例の主婦とやらから、当時の話をあらためて聴取するのだ。日給五万円――ただの〝お使い〟が霞んで見えるくらいに実入りがいいので、気合が入らないわけがない。

 溢れんばかりの熱気と、渦巻く欲望と、ある種の無常観。

 官能的で、享楽的で、刹那的。

 東京、六本木。

 その片隅で、怪しげな〝裏稼業〟に勤しむ特別な自分。

 信号が青になる。

 めいっぱいペダルを漕ぎ、高揚感と優越感――そして、もしかすると一抹の背徳感に背中を押されながら、僕は暗闇の中を明日に向かって駆けていく。

<第4回に続く>

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