謎の言葉を残して火災現場に突入し焼死体となった女。目撃者の元を訪れた配達員が新情報を入手!/難問の多い料理店④

小説・エッセイ

公開日:2024/8/21

難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)第4回【全6回】

ビーバーイーツ配達員として日銭を稼ぐ大学生の主人公は、注文を受けて向かった怪しげなレストランでオーナーシェフと出会う。彼は虚空のような暗い瞳で「お願いがあるんだけど。報酬は1万円」と噓みたいな儲け話を提案し、あろうことかそれに乗ってしまった。そうして多額の報酬を貰ううちに、どうやらこの店は「ある手法」で探偵業も担っているらしいと気づく。「もし口外したら、命はない」と言うオーナーは、配達員に情報を運ばせることでどんな難問も華麗に解いてしまい――。笑いあり・驚きあり・そして怖さあり…な、新時代ミステリ小説『難問の多い料理店』をお楽しみください!

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難問の多い料理店
『難問の多い料理店』(結城真一郎/集英社)

4

「なんというか、迷いはない感じだったわ」

 そう言うと、目崎さん――『メゾン・ド・カーム』の対面に住み、謎の女に関する証言をした例の主婦は、ずずず、と湯飲みの茶を啜った。濃いめの化粧とぐるんぐるんにカールした髪が年齢を感じさせない――いや、訂正しよう。それらがやや年齢不相応な、どこにでもいる話し好きの気のいいおばちゃんだ。

 一夜明けた昼下がり、時刻は午後一時三十分を回ったところ。

 オーナーの指示通り、僕はせっせと〝宿題〟に勤しんでいる。

「いくら呼びかけても、まったく聞く耳を持ってくれなかったし」

 インターフォンに出た彼女は最初こそ不審そうだったが、僕が素性を――「先日の火事で亡くなった女性の友人なんです。実は、妙な噂を耳にしまして……ええ、そうです、その件です。でも、にわかには信じられなくて……だから、現場に居た方から直接お話を伺えないかなと思い」と説明すると、必死さが伝わったのか、快く家に上げてくれた。罰当たりすぎる噓だが、ぎりぎり方便の範囲か。

 目崎さんが語る話に、これまでの情報との齟齬はいっさいなかった。

 火事の晩、彼女は寝間着のまま玄関を飛び出した。そこへ不意に姿を見せた女は、しばし燃え上がるアパートを見上げていたが、やがて「ざまあみろ」と呟くとそのまま外階段を昇り火の海に姿を消した。うん、どれも既に知っている。

「でも、ありえないわよねぇ。燃えている現場に自分から飛び込むなんて。そんなのただの自殺行為じゃない」

 住民を助けようって感じでもなかったし、とみかんの皮を剝きながら独り言ちる彼女をよそに、いまいちど事故現場についても思い返してみる。

 目崎さんのお宅を訪ねる前に――というか、目崎さんのお宅の目の前なので当たり前だが、もちろん現場はこの目で確認している。

 そこら一帯は、良く言えば〝昔ながらの下町情緒溢れる〟、悪く言えば〝ゴミゴミとした狭苦しい〟、ごくありふれた住宅街だった。死んでも空き地だけは作らんという決意表明のごとく密集した民家、軽自動車がやっとすれ違える程度の細い路地、無秩序に頭上で入り乱れる電線。周囲に飛び火しなかったのは不幸中の幸いだ。

 火事のあった『メゾン・ド・カーム』は、思った以上にひどい有様だった。

 木造の二階建てで、各階とも四部屋ずつという実にこぢんまりした佇まいながら、全体の七割ほどが焼け落ちていると、やはり見るに堪えないほど凄惨だ。辛うじていまだ建物としての体は為しているものの、二階――特に出火元となった角部屋の二〇四号室を中心に、黒焦げとなった壁はただれたように崩れ落ち、屋根は抜け、そうして筒抜けとなった建屋内からはなんの残骸とも知れぬ廃材が無秩序に顔を覗かせている。

 ここで、諸見里優月は命を落とした。それも、自ら火の海に飛び込む形で。

 自分の意思だったとはいえ、さぞや苦しかったことだろう。

 両手を合わせ二十秒ほどの黙禱を捧げるが、その間も疑問は付きまとっていた。どういう意味だったんだ? きみは、なにに対してそう思ったんだ?

 ざまあみろ、ざまあみろ――

「聞き間違いということはないですか?」

 堪らずそう尋ねてみると、目崎さんは「え?」と怪訝そうに眉を寄せた。

「『ざまあみろ』と聞こえたけど、本当は別の言葉だったとか」

 うーん、と皮を剝く手が止まり、すぐに逆質問を寄越される。

「すぐには思いつかないけど、例えば?」

 おっしゃるとおりだ。僕がラッパーなら咄嗟に韻を踏んだ別の言葉も出ただろうが、あいにくヒップホップは友達ではない。

「マスクのせいで声はくぐもっていたけど、聞き間違いではないはずよ」

「マスク……ですか」まあ、特に不自然ということもない。

 とはいえ外見にまつわる話になったので、その点についても掘り下げてみる。

「ちなみにその日の晩、彼女はどのような服装だったんでしょうか?」

「服装? うーん、割とうろ覚えだけど……」

 レディースっぽい緩めのワイドパンツにオーバーサイズのロングパーカー、白のスニーカー、そして目深にキャップを被っていたという。いちおう新情報ではあるが、特徴がなさすぎてなにかに繫がるものでもなさそうだ。

 まずい。突破口がない。

 そう焦りを感じ始めた瞬間、ふと、オーナーの妙な依頼を思い出した。

 ――その主婦に会ったら、こう確認して欲しいんだ。

 ――パンツ一丁で現れたのはこの男で間違いないか、と。

 彼が差し出してきたのは、僕が梶原さんから貰った二枚の写真のうちの一枚――中学の入学式に撮影された家族写真だった。もちろん現物ではなく梶原さんが事前にコピーしていたものだが、それにしても不可解だ。なんせ、七年ちかく前の写真なのだから。

 調べたところ、梶原涼馬はネットリテラシーが低いのか、それとも自己顕示欲が強いのか、フェイスブックやらインスタやらですぐに本人アカウントを特定できたし、そこには最近の写真がしこたま掲載されてもいた。相変わらずフェミニンな感じで、ファッションもユニセックスな感じで、無造作ヘアーもかなりイケてて、大学デビュー……かどうかは定かでないが、眼鏡からコンタクトに変わった目元はさらに涼やかで、全体的に流行りの韓流アイドルみたいで、要するに何が言いたいかというと、めちゃめちゃモテそうだから気に食わなかった。

 そんな僕の勝手すぎる妬み嫉みはさておき、それらじゃダメなんですかと訊くと、オーナーは「うん」と頷いた。

 ――SNSのではなく、貰った写真で確認するんだ。

 たしかに梶原涼馬は童顔だし、中学の入学式の写真でも問題なく同一人物だと認識はできるものの、だからといってなぜ?

 とはいえ、指示通り「すみません、もう一点だけ」と例の入学式の写真を差し出す。

「パンツ一丁の男は、この彼で間違いないですか?」

「えーっと、どれどれ」すぐさま手に取り、眉間に皺を寄せながら眺めていた目崎さんだったが、やがて「ええ」と頷いた。

「眼鏡のせいで一瞬わからなかったけど、この彼で間違いないわ」

「なるほど、そうですか」

 ダメだ。収穫なし。

 ついに音を上げ、そろそろお暇しようと決めかけたときだった。

「あ、そういえば、いま思い出したんだけど――」

 なにやら中空に視線を泳がせる目崎さん――やがて僕の視線に気付くと、いや、大した話じゃないんだけどね、と断ったうえで次のように語ってみせた。

 曰く、二階からパンツ一丁で駆け下りてきた梶原涼馬は、そのまま一階の住民を起こして回ると、最後は道へ出てきて力尽きたように膝から崩れ落ちたという。大変なことになってしまった、大変なことをしてしまったと、うわ言のように口走りながら。

 しかし、次の瞬間。

「道の先に目を向けると、『あかね』って呟いたの」

 視線を追って見てみると、二十メートルほど離れたところに立っていたのは、彼と同じくらいの年恰好をした派手な女だった。彼女は燃え上がるアパートを見やりながら、ただただ呆然と立ち尽くしていたのだとか。

「写真を見たら、ふと思い出して」

 注目に値する新情報だ。

 脳内メモに「あかね」と書きつける。

 顔見知りか、もしかすると、現交際相手かもしれない。

「すみません、急に押しかけてしまって」

 頭を下げ、土産にみかんを二つ貰って、目崎さんの家を後にする。

 最後の最後に、ようやく収穫らしきものを手にできた。むろん、二つのみかんのことではない。

〝脳内メモ:あかね〟――次に頼るべきは、たぶんこれだろう。

<第5回に続く>

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