古びた団地に住む50代独身女性の日常。幼馴染との大人の友情をテンポよく描く『団地のふたり』

文芸・カルチャー

PR 更新日:2024/10/22

団地のふたり
団地のふたり』(藤野千夜/双葉社)

 「人生を変えよう」というフレーズを聞くと、どんな気持ちがするだろうか。ワクワクする人もいれば、「いや、このままでいい」と思う人もいるだろう。変化がもたらされるということは、一聴すると理想的なように思えるが、手間や苦痛が生じることもしばしばある。

 理想というのもまた、長続きしないもの。暑すぎず寒すぎず、「ずっとこのぐらいの気温だったらいいのになぁ」と思うような気候は、実は年に数日しかなく、長続きしない。

 とりたてて大きな問題はないけれども、ずっとこのままではいられないことは何となくわかっている。そんな緩やかにもどかしい状態を、あくまでピースフルに描いているのが『団地のふたり』(藤野千夜/双葉社)だ。

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 ふたりの主人公は共に50歳・独身で、保育園からの幼馴染。築約60年の団地に住むなっちゃんこと奈津子と、ノエチこと野枝。奈津子はイラストレーターで好調だった時期もあったけれども、その状態は長くは続かず、ネットで不用品を売って生計を立てている。野枝もアカデミズムの道に頓挫した過去を持ち、非常勤講師を掛け持ちして暮らしている。

 ふたりは家族かのように日々ご飯を一緒に食べ、ご近所さんの網戸の交換に共に奮闘する。そんな様子が淡々と平和に描かれていくのだが、起こる出来事はどちらかというと悲しかったり、寂しかったりすることのほうが多い。

「やっぱり、つづけられなかったのか、お店」
「うん。手にごはんがつくようになっちゃったらしいよ、大将」
「手にごはん、か」
「それでやめることにしたって、女将さんが言ってた」
「残念だね」

 有ったものが、無くなる。新しかったものが、古くなる。いわば当たり前の世の摂理を、ふたりは見過ごさずしっかりと受け止める。あたかも周りの人々がそうできない分まで背負っているかのような使命感で、悲しさ・寂しさがポジティブなパワーに変わっていくのが本書の見どころだ。

古ぼけた団地に今も残っている人の中には、出たくない、出られない事情を持つ人も少なくなかった。高齢の住人は特に、今さら住環境の変化を望まない傾向が強い。どうせ私の方が、先にこの世からいなくなるわ、と達観しているおばあちゃんもいた。このままずっと住んでいれば、新しく建て替えても、また同じ条件で住まわせてもらえると信じている人も。

 筆者は本書を読んで宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』で、主人公の二郎がキレイに湾曲したサバの骨に曲線美を見出して、それをヒントに飛行機の設計をするシーンを思い出した。

 団地は建物が均等で、直線が多い構造をしている。あたかもそれは、各々の人生が何の滞りもなくまっすぐ進んでいくことを示しているかのようだ。しかし、人間の人生というのはどちらかというと直線というよりも、手のひらの運命線のように曲線なのだろう。

 奈津子と野枝は、直線的に流れていってしまいそうな人生を、どうにか湾曲させられないかと日々の中で小さな冒険を繰り返す。一緒に冒険できる仲間が見つかるような、あたたかみのある一冊をぜひ味わってほしい。

文=神保慶政

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