冨永愛 トップモデルへと駆け上がっていた22歳で出産。「産まない選択肢はなかった」働きながら子育てをして得たものとは?【インタビュー】
公開日:2024/8/4
コンプレックスへの向き合い方や、運をつかむための方法など、冨永さんが“しあわせになるために心がけてきたこと”が綴られた最新エッセイ『冨永愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(主婦の友社)。17歳でルーズソックスをはいた1枚の写真が雑誌『ヴォーグ』に掲載され一躍話題になり、22歳の春に出産。世界的なトップモデルとしてのキャリアを確立させる一方で、どのような子育てをしてきたのでしょうか。
産まない選択はまったくなかった
――本書によると、10代から海外で孤独を感じながらお仕事をする中、妊娠が分かったときに「私は1人じゃない」「ものすごい宝物を得た」と感じたそうですね。モデルとして上り坂の時期だったけれど、産まない選択肢はなかったと綴られています。
冨永愛(以下、冨永):迷いはまったくなかったです。とにかく子どもが欲しかったですしね。あの頃は、妊娠と出産によって自分の体がどう変わってしまうのか想像もできなかったし、モデルの仕事に復帰できるかどうかもわからなかった。だから、モデルを辞めることになっても仕方ないと覚悟はしていました。でも、産んでみると、若かったので体はわりと早めに元に戻ったし、息子も健康に生まれてくれたので、すぐにモデルに復帰して、息子と一緒に海外を回ることができました。
――海外では仕事場に子連れで行くことに対して理解があり、まだ赤ちゃんだった息子さんを抱えながらショーを回ったそうですね。産んでから、どのくらいで働き始めたのですか?
冨永:昔のことだから、あまり覚えていませんが、半年ぐらいは休んだかな。産む前もちょっと休んでいた気がします。妊婦だと、モデルの仕事ってなかなかできないので。お腹が出てきたくらいから、あまり仕事をしていなかったと思います。
――子どもを持つことが仕事に影響することはあったのでしょうか。たとえば、プラスになったこととか、マイナスになったこととか…。
冨永:キャンペーンで子どもと一緒に写真を撮ったり、ランウェイで一緒に歩いたりすることは何回かありましたね。逆に、マイナスになるようなことは特になかったのかな。もちろん子どもの状況によっては仕事を休まなきゃいけないこともあるでしょうけど、日本と海外では、子供を育てる環境が全く違っていて、海外でモデルの活動をするのであれば、マイナスはないんじゃないかなと思います。
働く母親が味わわなくてもいい大変さもある
――お母様のサポートはあったものの、長期間家を空けることもあって、息子さんを置いて仕事に行くのがつらかったと本書に書かれていました。働きながらの子育てはやはり、つらいことも多かったですか?
冨永:そりゃ、つらいことはたくさんありましたよ。いつが一番つらかった、ということではなく、ずっとつらかったし、ずっと大変でしたね、やっぱり。息子が幼稚園や小学校に通うようになると、海外を一緒に移動することが叶わなくなってくる。じゃあ、誰が彼の面倒を見るのか。日本に戻っても、仕事に行かなきゃいけないときに、子どもが学校で熱を出して迎えに行くことになる…。私のいるモデルの業界では、仕事の途中で早退するわけにはいかないので、絶対に誰かのサポートがないと続かない。
大変だったことばかりでした。だけど、大変なものなんですよね、誰にとっても子育てって。
――大変だけど投げ出せないから、大変だからこそ尊い、もっと頑張らなきゃ、と自分を追い込んでしまうのですが…。
冨永:日本だと、そういう社会の風潮がありますよね。家事も仕事も子育ても全部頑張ってこそ母親、みたいな考えが昔からある。でも、その決めつけは良くないと思います。味わわなくてもいいような大変さもあるじゃないですか。私は会社員の経験がありませんが、時間外労働とか、男女の給料の格差とか、育休の取りにくさとか、そういう大変さって本来は味わわなくていいものだと思うんです。
――大変だからこそ尊いなんて考えていたら、判断を間違えてしまいそうです。本書でも「日本のジェンダーギャップ(性別の違いによって生じる格差)指数の低さ」について語られていますが、冨永さんが男女差別に目を向けるようになったきっかけはあったのでしょうか。
冨永:なんだろう…。でも、海外で生活していたことは関係しているかもしれませんね。そこまで子育てに詳しいわけではないですが、日本の子育てだけでなく、海外での子育てのあり方も見てきたので。
――冨永さんが子育てで一番大事にしていたのはどんなことですか?
冨永:子どもの年齢とその子自身の状況によって、親が臨機応変に対応することが必要だと思うので、一番と言われると難しいですけど…。寄り添う気持ちは大事にしてきました。でも、言いすぎるのはダメ。言わなくていいことを言ってしまうのが、たぶん親なんですよ、私自身もそう。ポイントをひとつに絞らないと伝わらないなって毎回思います。でも、そうやって悪戦苦闘している親を子どもは絶対見ているし、それも愛なんだなって思ってくれたら嬉しい。でも、永遠に答えが出ないテーマですよね、子育てって。正解がないですし。
――また、子どもはどんどん成長していきますから。
冨永:気づいたら、そのフェーズ? って。追いついていけないのはありますよね。だからこそ発見もあって、子育てをしている人たちは「親が子どもに育てられる」ってよく言うんですよね。子どもが親を、親にしてくれる。そんな感覚ですね。
3年間の休業は自分のためにもなった
――仕事と子育てを両立させながら、休日は息子さんと全力で遊び、過労で倒れたのをきっかけに仕事を無期限で休んだ時期があったとか。その3年間を振り返ると、どんな日々でしたか?
冨永:今まで忙しくて息子と一緒にできなかったことを、やっとできた3年間でしたね。ご飯を一緒に食べられたし、学校行事にも行けたし。あの時間を過ごしたからこそ、今の絆ができあがったのかな、と思います。あとは、自分の中の罪悪感が薄くなったかな。あのまま仕事を続けていたら、きっと罪悪感ばかりで、一生後悔し続けていただろうから。息子のためでもあったし、自分のためでもありましたね。
――息子さんから「そろそろ仕事すれば?」と言われるまでは、復帰する予定もなかったとか。思い切りがすばらしくて…。
冨永:思い切りはいいですよ。思い切りのいい性格です、めちゃくちゃ。復帰できなかったら司法書士になろうと考え、勉強もしていました。
これからの自分が楽しみ
――今の女性たちは仕事や出産にさまざまな問題を抱えていて、“子どもを産むのはいいよ”とストレートに言いづらい世の中だと感じていたので、本書の中で「子どもは宝物」「産んだことを後悔していない」と書かれているのを読んで嬉しくなりました。
冨永:子どもは宝物だし、子育てをする面白さもあるし、私自身の幸せを考えたら息子の存在は不可欠。それは本当に心から思うことです。子供を産む産まないは個人の判断であり選択によるものですが、私自身は産んだ経験をして良かったと本当に思っていますから、その点は声を大にして言いたいですね。だから、本の中でもそう書きました。
――キャリアを一度捨てて出産を選んだとして「100%ではないにしても、仕事で失ったものはきっと別の形で取り戻せると思う」とも語られていて、勇気をもらう読者は少なくないと思います。冨永さんは、息子さんが独立した後の仕事観をどのように思い描いていますか?
冨永:めっちゃ自由になれるなって感じがしますけどね。自分の人生をここからまた始めることができるんだっていう気持ちもあるし、とにかく楽しみ。子どもはある程度育ったし、自分のために使える時間はこれからもっと増えるだろうし、もう万々歳ですよね。
――どんな選択をすることも自由。そう考えると期待感があります。
冨永:どんな仕事をチョイスするにしても、自分で一生懸命考えてから選び取っていくんだろうと思います。どんな人生を歩んでいくのか、これからの自分が楽しみです。
スタイリスト=仙波レナ ヘア&メイク=Haruka Tazaki
取材・文=吉田あき 撮影=内海裕之