第14回「体力測定最下位の私がスラムダンクにハマって人生変わった」/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない⑭

文芸・カルチャー

公開日:2024/7/26

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

長い夕暮れ、うだるような暑さ、震える声で鳴く蝉の声。

どこへでも行けそうな夏なのに、どこにも行きたくなくて、猫の毛だらけの扇風機のなまぬるい風に当たっている。
窓に映った部活帰りであろう高校生二人が大笑いしながら自転車で駆けていく。

やっぱり、帰宅部のエースなんて言っていないで、部活とか入っておけば、大人になった今でも会える友達がいたのかな…。
人工の風が当たる部屋から連れ出してくれる存在を、シンデレラのように狭い部屋で待ち続けてしまう。

喉が渇いた。冷蔵庫の中は空っぽだ。
いつ作ったのかわからない麦茶が、どんよりとした顔でこちらを見ている。
まだ水道水のほうが、安全かもしれない。
蛇口をひねり、出てくる水はひたすらにぬるい。
何かしたくても、やる気が起きない、ぼおっとしているだけの、わたしみたいだ。
喉はからからなのに、どうしても飲む気が起きない。

結局、冷蔵庫で冷えている9%のアルコールを取り出して、今日まだ何もしていないのにな…と思いつつ、鈍い音を鳴らしてプルタブを引っ張る。

せめて、まだ見たことがない映画でも見よう。
長い人生の中で、これまで名前は知っていたけれど、ふれてこなかった作品『THE FIRST SLAM DUNK』を、はじめてみた。

『THE FIRST SLAM DUNK』

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

原作を読んだことがないので、知っていることは、二重顎がたぷたぷの安西先生による「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というセリフくらいだ。

運動はしてこなかったし、むしろ苦手で避けてきた人間でも楽しめるのか不安を抱きながら、ピッと再生。

ものすごかった。
124分が、真夏のアイスクリームみたいに一瞬で溶けた。
!(びっくりマーク)が心の扉をトンカチのようにカンカン叩いてくる。

バスケの試合を見たことがなければ、ルールもろくに知らないけれど、無我夢中になっていた。
ビーズクッションに埋もれて、片手には9%のアルコールを握りしめ、怠惰を極めた姿勢にもかかわらず、緊張に溺れた。

あまりの緊張感に、意識しないと呼吸を忘れてしまうほどだった。
大人になって、消えてしまった集中力がまだ残っていたんだとホッとする。

そして、たった2時間でしか、彼のことを知れていないはずなのに、桜木花道という赤髪の青年を好きになりすぎるところだった。

危ない。
高校生の頃に、この作品に出会っていたら、わたしの青春は彼で終わってしまったに違いない。

エンドロールが流れる頃には、わたしは生まれ変わっていた。
「安西先生……!!バスケがしたいです………」。

同時に、わたしが欲しかったものは友達ではなく、仲間だったんだと気付かされた。

全員が同じゴールを目指し、自分の全てを賭けて戦う。
自分の目標を叶えるためには、協力が必要で、みんなも同じ目標とゴールを目指しているから、好きとか嫌いとか関係ない。
不安を背負いながらも、信じてみるしかないのだ。

飲み会で、「自分変なこと言ってなかったかな?」とか、「みんな知ってるのにその話、自分は知らないな…」なんていうことは気にしなくてもいい。

恋愛ゲームのように言葉の選択肢で好感度を積み重ねていくのではなく、試合を通して共に戦い絆を深めていけばいいのだ。

もう、こうなったらバスケをするしかない。
体力測定の順位は学年最下位、体育の授業がある日は休むほど運動が苦手だったわたしの中で革命が起きていた。

運動嫌いの理由

酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない

一体、いつからこんなに運動を嫌悪するようになったんだろう。

体育の授業終わりに、いくつも並んだ水道を取り合って、蛇口を逆さまにし、勢いよく飲み込む水が、こんなにおいしいんだと感じていた時期もあったはずなのに。

足が遅いから、運動会の徒競走で公開処刑になるのが嫌だった。
ソーラン節が上手く踊れなくて、みんなから笑われたのも悔しかった。
プールの授業で、冷たすぎる消毒風呂に沈まないといけないことも、濡れた足に泥のような砂がくっつくのも気持ち悪かった。

しかし、そんなことよりも、運動から距離を置くようになった決定的きっかけは、久しぶりに参加したバスケで指がぽきっと折れたことだった。

それは、受験前のことだ。
極力ボールから遠い位置で待機していた。
わたしの運動音痴を知らない者はいないので、マークしてくる子は当然、誰もいなかった。

すると、野球部の女の子がわたしを信じてくれたのか、勢いがよすぎるボールをパスしてきたのだ。
もちろん、受け止めきれずに指がぎゃっと悲鳴を上げた。

やっぱり運動ってろくな目に合わないと確信した瞬間だった。

それ以降、みんなも気を遣ってか、バスケにしろ球技大会のドッジボールにしても男女共々ボールをパスすることも投げてくることもなかった。

そのせいか、ドッジボールでは、最後までコートで生き残ってしまい、気まずかったあの時の気持ちは、今でも苦い。

体育の授業は選択制で、数ヶ月に一度だけ種目を変更することができた。

正直、もうバスケはしたくないという気持ちを察してくれたのだろうか。
仲の良かった優しい友達が、「たまには卓球にでもしてみない?」と、わたしの手を引っ張ってくれたのだ。

あの時の彼女は、まさに天使だった。
地元のゲームセンターでも卓球だけは、みんなと平等に張り合うことができたのだ。

体育の授業がある日のどんよりとした絶望も、不思議と軽くなった。
体育館の狭い階段を登り、卓球台が並べられた場所に向かう。

初めて選択した卓球。
一体どんなメンバーが揃っているのだろうか。上手く馴染めるのかな。

階段を登り切ると、隣のクラスのひょろりとした真面目な男子や、同じクラスの特撮が好きな男子たち。
その中央に、可愛らしい身長の女子が守られるように体育座りをしていた。

まさにお姫様だった。
男子たちは、せっせとレースのついたハンカチで彼女を扇ぎ、彼女が打った球はすぐに拾いにいく。

体育の授業が終わるころには、毎回初音ミクの『ワールドイズマイン』という曲が遠くから聞こえてきた。
初音ミク史上、一番可愛くてずるくて、いちごのショートケーキが似合いそうな曲で、わたしも何度聞いたかわからない。

どうして?と思って、振り向く。
卓球を牛耳る姫が、その曲を踊って歌って、卓球コート上がコンサート会場になっていたのだ。

思わず、拍手しそうになったものの、その空間にうまく馴染むことができなかった。
わたしと友達は「なんか、すごいね」と顔を見合わせ、彼女の動向が気になって仕方がなかった。
卓球どころではなかったのだ。

「わたしは、ラケットは使わない。この胸がある」とピンポン玉を胸で弾く。
真夏のギラギラとした日差しに負けじと、強烈だった。
ピンポン玉はバシっと音を立てて、卓球台の隅っこに勢いよく着地して、跳ね返る。

姫というよりも、女王の持つ強さのようなものが、そこにはあった。

「卓球台を貸してもらえる?」なんて聞く勇気はない。
そこまで、卓球がしたいわけでもなかったので、バレないようにサボっていた。

当時、アニメ『ギルティクラウン』にどハマりしていたので、友達とこっそり電子機器を持ち込んで、ブラックサンダーを食べながらアニメ鑑賞をして時間を潰す。
たまに、『ターゲット1900』という英単語帳を持ち込んで、勉強したりもした。

ある体育の授業の日、わたしたちは、じめっとした体育館2階の狭い空間で、いつも通りアニメを見ていた。

すると、わたしたちの頭を撫でるように、体育館の窓の隙間からなだらかな風が吹いた。

夏の匂いがした。
同時に、空っぽになったブラックサンダーの袋がふわりと宙を舞い、バスケットコートの方に飛んでいった。

訝しげな表情で、それを拾ったのは先生だった。

目と目が合う。
はじめて、目があって稲妻のようなバチンという音が聞こえた気がした。

放課後、職員室前の窓際に並べられた机で、反省文を書く。
体育がより一層、嫌いになった。

そこから、いま大人になるまで運動を全くせずに生きてきたわけだが、たった1本の映画がわたしを変えたのだ。

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さかむら・ゆっけ、●酒を愛し、酒に愛される孤独な女。新卒半年で仕事を辞め、そのままネオ無職を全う中。引っ込み思案で、人見知りを極めているけれど酒がそばにいてくれるから大丈夫。たくさんの酒彼氏に囲まれて生きている。食べること、映画や本、そして美味しいお酒に溺れる毎日。そんな酒との生活を文章に綴り、YouTubeにて酒テロ動画を発信している。気付けば、画面越しのたくさんの乾杯仲間たちに囲まれていた。