夫の死後、前妻との娘が訪ねてきて――。夫と血縁関係がない義母、娘との同居生活を沖田円が描く『花守家に、ただいま。』
PR 公開日:2024/8/2
近年は様々な家族の形があるが、そうした絆に触れるたび、つくづく思う。生まれ落ちた家庭でたとえ愛が得られなくても、人には誰かと「家族」になれる強さがあるのだと。
『花守家に、ただいま。』(ポプラ社)は、まさにそんなことを実感させられる家族小説だ。著者は、累計25万部を突破した大ヒット作『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』(スターツ出版)を手がけた沖田円氏。同作は両親の不仲に悩み、居場所を失っていた女子高生がひとりの少年と出会い、見える世界が変わっていくという温かい物語だ。沖田氏が紡ぐ小説は優しさが滲み出ており、読み手の心を丸くする。
その作風は、本作でも健在。本作では血の繋がった家族にぞんざいな扱いをされ、唯一心を開くことができた夫も亡くしてしまった女性が、“自分の家族”を見つけるというハートフルストーリーだ。
花守桜子は結婚を機に、夫・透の実家がある愛知県の田原市に越してきた。母親の五十鈴と透には血の繋がりはないが、2人は本当の親子のように仲良し。明るく、ハツラツとした五十鈴は、血の繋がった家族から不当な扱いを受けてきた桜子を優しく受け入れてくれた。
自分を大切にしてくれる夫や義母との生活は、幸せなもの。だが、結婚後間もなく、透は交通事故で亡くなってしまう。桜子はなんとか心の整理をつけ、日常生活を普通に送れるようにはなったが、夫亡き後も他人の自分が花守家で暮らし続けていいものかと悩んでいた。
そんなある日、花守家にひとりの少女が訪ねてくる。夏凜と名乗るその少女は、透が前妻との間にもうけたひとり娘。妹が生まれたことを機に家庭で居場所を失った夏凜は透の死を知らず、実父と暮らそうと考え、花守家にやってきた。
桜子は悩んだものの、両親の愛に飢えていた幼き日の自分を夏凜に重ね合わせたことから、一緒に暮らそうと提案。こうして花守家では血の繋がりが一切ない、少し奇妙な三世代生活がスタートする。
夏凜が来たことで、桜子は花守家を出ていくべきなのかとより悩むように。夏凜に花守家という居場所を譲り、自分は今後を考えて新しい人生を歩んでいかなければならないのでは…と考え込む。
また、夏凜を愛しく思うも、過去のある出来事が頭から離れず、桜子は夏凜を我が子のように愛することにブレーキをかけてしまう。悩み迷う桜子は前妻の子という難しい立場の夏凜をどう受け入れ、自分の未来を切り開いていくのか。その奮闘に泣かされる読者は、きっと多いはずだ。
人はどうすれば「家族」になれ、どんな境界線ができると「他人」という括りになるのか。本作は、そんなことも考えさせられる重厚な作品である。生まれ落ちた家庭で愛を貰うことができないと、人は「家族」という言葉の意味や他者との向き合い方・付き合い方が分からなくなることも多いだろう。
実際、毒親育ちの筆者もそうだった。「家族」という言葉を見聞きするたびに苦しくなり、血の繋がった相手とすら良好な関係を築けなかった自分を出来損ない扱い。周囲の人と交流する時には、いつも他者との間にガラスの壁があり、心が繋がっている感覚が得られなかった。
そんなあの頃の自分と同じ気持ちを持っていたからこそ、本作に描かれていた「家族の作り方」に悩む桜子の葛藤やもがきが心に刺さった。そして、「家族」という言葉と距離を取っていた桜子が義母や夏凜と関わる中で、悩み迷いながらも少しずつ、他者との間に設けたガラスの壁を壊していく姿に感動したのだ。
怖がりながらも自分の心や「家族」という言葉と向き合いながら、透のいない未来を生きていこうとする桜子は健気で強い。その姿は、様々な事情から他人と深く繋がることをあきらめざるを得なかった人の胸に響く。ぜひ、桜子が辿り着いた「家族の形」から、誰かと心から繋がり合うことの重みや価値を知ってほしい。
なお、物語の終盤で桜子は実父が余命宣告を受けたことから、疎遠になっていた実の家族と15年ぶりに対面する。血の繋がりしかない家族を前に、桜子がどんな想いをぶつけるのかも注目だ。
生まれ育った家庭で愛を得ることが難しくても、人は自分の力で心許せる家族を作ることだってできる。本作を通して、そう痛感すると「ただいま」と言える相手が待つ自分の居場所がより恋しくなることだろう。
文=古川諭香