sumika片岡健太のエッセイ連載「あくびの合唱」/ 第4回「ルックバックをもう一度」

文芸・カルチャー

公開日:2024/7/31

こんにちは。片岡健太と申します。
神奈川県川崎市出身。sumikaというバンドでボーカル&ギターと作詞作曲を担当しています。
2022年6月に『凡者の合奏』という自身の半生を振り返る内容の本を出版して以来、約2年ぶりにエッセイを書かせて頂くことになりました。

映画『ルックバック』を観た。
自分の頭の中にあったものが、初めて具現化されたときの全知全能感。
現実と向き合うなかで、絶対に避けて通れない喪失感。
「もう二度と思い出したくない」と蓋をしてしまった古い記憶を振り返ったときに、意外な宝物が隠されていたことにようやく気付く。
心が痛くなるほど感情移入する作品だった。
漫画家を志して奮闘する少女2人を見ながら、長い間忘れていたことを思い出した。

僕が初めてオリジナル曲のCDを作ったのは高校3年生のときだった。
レコーディングスタジオで録音した音源は、練習スタジオに置いてある記録用のマイクで簡易録音したものとは比べ物にならない。演奏のクオリティには差があるが、プロの作品と音圧が一緒だというだけで、「俺たち絶対売れるわ」という錯覚を起こすほど衝撃的な体験であった。
そんな音源を作ったからには、きちんとしたCDにしたい。僕らは高校生で、プロ仕様のCDを作るお金はない。せめて、心持ちぐらいはプロになりたかった。

予算の都合上、歌詞カードは片面カラーコピーで作ろうという話になった。デザインは自分たちの手描き。パソコンのソフトでデザインしてしまうと、プロの劣化版に見えてしまうからだ。
僕らはあくまで、“表現の一部”として手描きを選択しているのであり、これまた表現の一部として、冊子形式ではなくカラーコピーした紙を折りたたんで収納しているのである。
字も絵も上手だった高校の後輩に、ジャケットを制作してもらった。用紙いっぱいに描かれた素敵なデザイン。歌詞がより温かく伝わる人懐っこい文字に、僕の心は色めきたった。はやる気持ちを抑えながら、早速コピーしてみる。

すると、左下にある「Special Thanks」の欄に書いてあった、元バンドメンバーの米田君の名前だけが切れてしまった。当時のコピー機のクオリティでは、わずかに端が切れてしまうのだ。
もう一度トライすると、今度は右上に書いてあった1曲目のタイトルの一部が切れていた。次は左上、次は右下、何度セットしてもどこかが切れてしまう。そんななかで誰かが、「これって縮小コピーすればいいんじゃね?」と呟いた。
そこで僕のスイッチが入った。

「そういうことじゃねえんだよ!全面びっしりとデザインが印刷されてないと表現として成立しねえの!この切れてる感じがむしろいいんだろうが!」

突然キレた僕に向かって、「じゃあ左下が切れた時点でそう言ってよ」という無言のツッコミを四方から浴びつつ、みんなは言葉を飲んだ。血気盛んな口調になってしまったが、このデザインを初めて見たときに高鳴ったあの感情を、縮小するという行為が気に入らなかった。切るのはいいけど、小さくまとまるのは駄目だ。
酷く屈折した僕のロック概念のもと、左下の米田君の名前をカットした状態で歌詞カード製作は進んだ。一枚ずつコンビニでコピーするたびに「米田君ごめん。米田君ごめん」と、彼の家の方角に謝罪の念を送った。

CD製作もプレス業者に頼むと高額な料金が掛かるので、CD-Rを買ってきて自宅のパソコンで一枚ずつ焼いていくことになった。
最高音質のデータで収録するには、1枚あたり約4~5分の時間を要する。
当時は僕しかパソコンを持っていなかったので、メンバー全員が我が家に集合。収録中の膨大な待ち時間を利用して、歌詞カードをCDケースのサイズに折ることにした。作業の傍ら、バンドの未来について語り合う僕たち。

「これが世に出たら、すぐにレコード会社とか決まっちゃうのかな」
「大好きなバンドのメンバーにこれ渡せないかな」
「気に入ってもらえたら、対バン出来ちゃうかもな」
「武道館までは一気に行って、アリーナツアーとかは何年かに一回でいいかも」

僕らの空想は誰にも止められない自由だった。インターネットがあまり発達していなかったのも良かったのだと思う。「武道館 ワンマン 確率」などと検索したら出てきそうな、どこぞの頭でっかちがロジカルな意見を述べているような時代ではなかったから。

数日かけて、大量のCDが出来上がった。真っ白な盤面だとデザイン性に欠けるので、盤面にはバンド名と作品名を、画家のサインのように手書きで書こう。と、作業に取り掛かったときに事件は起きた。

「バンド名 / 作品名」を書いて、そのCDを試聴すると音飛びが頻発したのだ。しかし、何も書いていないCDからは正常な音が流れる。この出来事について調べてると、当時のCD-Rのデータは裏面だけではなく、表面にも情報が刻まれている、という答えに辿り着いた。すると誰かが「じゃあ、盤面は白のままでいいか」と呟いた。
僕の怒りは再び沸点に到達した。

「そういうことじゃねえんだよ!この盤面に手書きしているのは表現としてあえてやってるんだよ!それが出来ないならデビューも対バンも武道館もねえからな!」

「じゃあ最初からお金をかけて工場にプレスを頼もうよ」という無言のツッコミを四方から感じたが、当然僕は止まれなかった。文字を書いても音が止まらない場所を何度も探す。

「バ ンド 名 / 作 品  名」

最終的に、上記のようなモールス信号さながらのレイアウトを探し当てた。盤面にこの配置で文字を書けば音飛びしないという、奇跡的な大発見。「文字は飛んでいるけど、音は飛んでないからいいよな」という、1ミリも面白くないギャグでその場を押し通した。盤面にバンド名と作品名がないCDを出すのはどうしても嫌だった。

――あれから20年経った。たくさん作ったのに、まったく売れなかったCD。発売前の自信と期待の分だけ、発売後の悔しさと悲しさをはらんだ呪物のようなもの。存在ごと忘れかけていたそのCDを、『ルックバック』を鑑賞した勢いで十数年ぶりにプレーヤーに入れてみた。

歌が下手だ。
演奏もズレている。
米田君の名前は切れている。
盤面の文字は飛んでいる。

しかし、不覚にも涙がこぼれた。
決して上手ではないけれど、気持ちだけはこもっている感情の“かすれ”のようなもの。論理が破綻していようと、よく分からないプライドが暴走しようと、虚勢を張った痕跡が、たまらなく愛おしかった。推進力をもった感情のかすれに、涙があふれる。

たまには昔をルックバックしてみるのもいい。
呪いに囲われた宝物でも、今見ればキラリと光っているはずだ。

あくびの合唱
撮影=片岡健太

編集=伊藤甲介(KADOKAWA)

<第5回に続く>

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片岡健太
神奈川県川崎市出身。sumikaのボーカル&ギターで、楽曲の作詞作曲を担当。キャッチーなメロディーと、人々に寄り添った歌詞が多くの共感を呼んでいる。これまで4枚のフルアルバムをはじめ、精力的に楽曲をリリース。ライブでは、人気フェスに数多く出演するほか、自身のツアーでは日本武道館、横浜アリーナ、大阪城ホールなどの公演を完売。2023年には、バンド史上最大規模の横浜スタジアムワンマン公演を成功に収めるなど、常に進化し続けるバンド。