【京極夏彦・小説家デビュー30周年】「虫のせいですね」……『前巷説百物語』に登場する本草学者・久瀬棠庵の若き日を切り取る連作奇譚集
PR 公開日:2024/8/7
かつて、人の体には摩訶不思議な虫が巣食うと信じられていたらしい。どうやら昔の人は、自分ではどうにも制御できない事柄を、自らの体、特に腹の中にいる虫のせいだと考えたようだ。たとえば、お腹がぐうぐう鳴ることは「腹の虫が鳴く」、機嫌が悪いことは「腹の虫の居所が悪い」などと言うのがその名残。古文書に描かれたその想像図を見ると、それらは虫というよりは、妖怪めいた見た目で、何とも不気味で、何処か可愛らしい。もちろん、現代を生きる私たちは、そんな虫など実際にはいないことは知っている。だけれども、そんな虫にまつわるこの物語を読むと、私たちの心に何かが棲みつくような感覚がある。こんなにもクセになるだなんて、何か憑き物の仕業としか思えない。
その物語とは、『病葉草紙』(京極夏彦/文藝春秋)。小説家デビュー30周年を迎えた京極夏彦による連作奇譚集だ。描かれるのは、江戸を舞台に、八丁堀にほど近い長屋で巻き起こる不可解な出来事の謎を解き明かす、本草学者・久瀬棠庵の姿。「棠庵って、あの棠庵先生?!」とピンと来た人もいるかもしれないが、この本は、『前巷説百物語』のスピンオフ兼前日譚。だが、『前巷説百物語』を読んだことがなく、この本から読み始めたとしても、この奇譚集は抜群に面白い。
ときは江戸の中頃、父が建てた長屋で差配しながら暮らす藤介がこの物語の主人公だ。長屋の治安は悪くなく、店子たちの身持ちも悪くない。だが、一人だけ変人の店子がいる。その名は、久瀬棠庵。本草学者だというが、働くどころか家から出る様子もなく、年がら年中、夏でも冬でも、ずっと引き籠もってばかりいる。それなのに、金に困った様子はない。藤介は、たびたび「居るかい」とこの男の生存確認のため、彼のもとを訪れては、長屋のまわりで起こった奇怪な出来事について話して聞かせる。祖父の死骸のそばで「私が殺した」と繰り返す孫娘(「馬癇」)、急に妻に近づかなくなり、日に日に衰えていく左官職人(「気癪」)、子を産めなくなる鍼を打たねば死ぬと言われた武家の娘(「鬼胎」)……。すると、棠庵は言うのだ——「これは虫ですね」と。そして、安楽椅子探偵の如く、あらゆる事件に独自の「診断」を下していく。
読めば読むほど、棠庵の「虫ですね」という診断を待ち望んでいる自分に気づく。飄々とした口ぶりで、鮮やかに問題が解決していくのが何とも気持ちいい。それも実は事の顛末は、身体症状を引き起こすような、腹の虫の仕業ではない。結局は人間が何らかの原因を生み出しているということが明らかになるのだ。だが、棠庵はそれを「虫の所為」ということにして、厄介ごとを巧みに収めてしまう。「人の心は解らない」という棠庵だが、むしろ、考えすぎて分からなくなっているのかもしれない。その推理には彼の優しさが透けて見える。だからこそ、棠庵という男から目が離せなくなるのだ。
また、棠庵の姿はもちろんのこと、何が起きたか分からず、「また虫かよ」と困惑する藤介の姿もセットで、笑いを誘う。善良だけどどこかとぼけた藤介と、真面目すぎるのか、言葉を言葉の通りにしか受け取らず、当たり前すぎて普通は考えないことをくどくどと考え続ける棠庵のやりとりは、絶妙。すれ違っているようで、噛み合っている。二人ならではのやりとりは、軽妙洒脱。いつまでも聞いていたいとさえ思わされる心地よさだ。
「あのな、棠庵さん。世の中、答えのないものの方が多いもんだぜ。そう簡単じゃあないよ」
まるで、落語を聞いた後のような、読後感。不思議さと滑稽さに満たされ、クスリと笑わされたかと思えば、見え隠れする人情にホロリと泣ける。『病葉草紙』というタイトルも、また良い。「病葉」という言葉に秘められた棠庵の思いを知ると、ハッとさせられてしまう。あなたも棠庵や藤介とともに、長屋で巻き起こる奇妙な謎に挑んでほしい。きっとあなたも、棠庵という男に、そして、不思議な虫たちに、魅せられてしまうに違いない。
文=アサトーミナミ