結婚ってやっぱりするべき? 恋のときめきがなくなった先で、パートナーとどう生きるか『ブルーマリッジ』カツセマサヒコインタビュー
公開日:2024/8/8
古いバラエティ番組を観て「今だと笑えない」と感じることがあるように、自分の言動を顧みて「あの発言、今だったらパワハラだな」「セクハラを笑って受け流していたな」と恥じることがある。人は誰しも“無自覚な加害”で誰かを傷つけた過去があり、その被害者は今なおその痛みに苦しんでいるかもしれない。さらに言えば、自分自身も“無自覚な傷”を負っている可能性もある。
カツセマサヒコさんの新作長編『ブルーマリッジ』(新潮社)は、そんな過去の“無自覚な加害”を描きつつ、結婚と離婚の真理に踏み込んだ物語だ。20代の雨宮守と50代の土方剛、同じ会社に勤めるふたりは、世代も違えば価値観も大きく異なっている。さらに、片や彼女との結婚を考え、片や妻に離婚届を突き付けられ……と境遇にも天と地ほどの差がある。そんな彼らが、社内のある問題をきっかけに、自身の過去と対峙することになり……。この小説を執筆するにいたった背景、作品のテーマについてカツセさんにお話を伺った。
過去の加害に気づいたあと、人はどう生きていくのか
──このたび、3年ぶりの長編『ブルーマリッジ』が刊行されました。この作品がどのようにして生まれたのか、出発点をお聞かせください。
カツセマサヒコさん(以下、カツセ):タイトルどおり結婚と離婚の話ではありますが、本当に書きたかったのは“無自覚な加害性”です。7、8年前からフェミニズムに関する情報や知識をインストールする中で、過去の自分の言動に対し「この頃のコラムでは、こんなに加害性のある言葉を使っていたんだ」「この発言は差別的だな」と思うことが増えていました。
だからと言って、被害を受けた方に今謝罪するのは「謝ることで赦してほしい」という加害者側の傲慢にすぎません。であれば、加害した事実を抱え、これからどうやって生きていけばいいのか。答えが出ず、小説にして向き合ってみようと思いました。
──ずいぶん前から問題意識を抱いていたんですね。
カツセ:2014年に入った編集プロダクションの上司がフェミニズムやジェンダーをテーマに仕事されている方だったので、当時から横目に見てはいました。その後、『82年生まれ、キム・ジヨン』をはじめとする韓国のフェミニズム文学を自分でも読む機会が増え、「これって昔の自分じゃないか」と思うことがたくさんありました。いつかは向き合わないといけないテーマですし、自分がこの先も表現活動を続けていくうえでも、そこをスルーするのは不誠実だなと感じて、この作品を書き始めました。
──ご自身の過去の加害に向き合う作業は、大変だったのではないかと思います。それもあって、刊行までに時間がかかったのでしょうか。
カツセ:初稿自体は2022年12月頃に書き終えていました。そこから丸1年かけて、改稿を重ねたのですが、その作業がとにかく大変で……。男性と女性、ふたりの担当編集者についてもらい、「被害者はこういう感情を抱くだろうか」「こういう言動をするだろうか」と、一人ひとりの登場人物にしっかり誠実に向き合った結果、これだけの時間がかかってしまいました。
長編3作目にして、初めて主人公たちの成長を描けた
──主人公の雨宮と土方は、それぞれ20代と50代の男性です。雨宮は、人事部の若手としてハラスメント対策に取り組む26歳。年上の彼女にプロポーズしたばかりです。いっぽう土方は、昭和気質の営業マン。長年連れ添った妻から離婚届を突き付けられますが、妻の要求を受け入れられずにいます。このふたりは、どのようにして生まれたのでしょうか。
カツセ:最初に描こうと思ったのは土方でした。政治家の失言や暴言が繰り返されるたびに、「このおじさんたち、ずっとこのまま変わらないのかな」と同じ男として暗澹とした気持ちになって。そこで「そんな人でも変わっていける」という、希望のある未来をフィクションで描こうと考えました。そして、旧弊な土方に対し、アップデートされた現代の象徴として雨宮を描こうと思っていたんです。
ただ、果たして50代のおじさんの内省的な話を読みたいかと問われると、商業的にはちょっと難しい(笑)。そこで20代の雨宮とW主人公にして、彼らを交互に描くことにしました。僕自身がふたりの間くらいの年齢なので、どちらもちょうどいい距離で見られたのかなと思っています。
──土方は「自分はこれだけ頑張ってきたんだから、部下のお前らも頑張るのが当たり前」と根性論を振りかざす体育会系の営業マンです。パワハラ思考ではありますが、彼の気持ちは少しわかるところもあり、そこに怖さを感じました。
カツセ:僕自身もそういう時代を経験しているので、今もどこかに土方マインドは残っています。ただ、土方が完全な悪だとは思っていません。世の中に絶対的な正義はなく、昔はよしとされていたものが、今はよくないとされているだけなんですよね。ある意味、土方も時代に置いて行かれた被害者とも言えます。
──20代の雨宮は、ハラスメント対策に力を入れたり、ペットショップに抵抗感を示したりと、表層的には価値観がアップデートされているように見えます。この世代に対する思いはありますか?
カツセ:実際に20代の方と接すると、クリーンですし、純粋に人を思うことができる世代だなと感じます。雨宮はもう少し独善的ですし、世の中の意見をそのまま自分の意見のように捉えてしまう人間かもしれません。雨宮も土方も、ステレオタイプをより誇張して書いたところはありますね。
──細かいことですが、土方が部下の女性・長谷川に送ったLINEが、短い文面ながらもおじさん構文っぽくて素晴らしかったです。
カツセ:よかったです(笑)。担当編集者のひとりは若い女性だったので、アドバイスを受けながら何度も修正しました。最終的に、短いながらも香ばしい文章になりました。LINEの文面に限らず、言動や思考も含めて担当編集者とは何度も議論を重ねました。
──確かに、土方のような生き方をしてきた人、雨宮のような人が急に考えを変えたら、違和感を覚えます。彼らの変化も、実にリアルに描かれていました。
カツセ:変化はするもののどこまで変わっていけるのか、読者を置き去りにしないよう、リアリティをもって描きたいと思いました。東京だけでなく、地方の企業でも当てはまりそうな普遍性も意識しました。
過去2作『明け方の若者たち』と『夜行秘密』は、どちらも登場人物の成長がほとんどなく、何も変わらないままでした。それはそれで好きな部分ではありましたが、今回は初めて登場人物の成長を描くことができたように思います。そういう意味ではより小説的なものに挑戦しましたし、物語をしっかり描けたという自信にもなりました。
──終盤になって、ある登場人物同士の意外なつながりも明かされます。小説的なギミックも面白く感じました。
カツセ:この要素を入れるかどうかは、ずいぶん悩みました。ご都合主義に見えてしまうかなと思い、一旦消していたのですが、編集者からは「これによって加害と被害が連鎖し、循環する物語になるので入れましょう」と言われ、入れることにしました。伏線のように捉えていただけたならよかったです。
無自覚な加害があれば、無自覚な傷もあるかもしれない
──無自覚な加害性、過去の加害とどう向き合うかという問題に対し、この小説を書いたことで答えは見えてきましたか?
カツセ:自分の加害性にどこまで自覚的になれるかという問題は、これからも常に対象が広がり続けていくものだと思います。明確なゴールはなく、学び続け、迷い続けることこそが正解じゃないかと今は感じています。この小説を書いたことがむしろスタートで、これからずっと考えなければならないと思いますね。
──過去は消えないし、加害の事実はなかったことにはできません。その事実を抱えて生きていくという、苦しい道のりがずっと続いていくということでしょうか。
カツセ:被害を受けた人がその傷をずっと抱えているのであれば、加害者だけが楽に生きられるはずはありません。けして忘れてはならないと今は思います。
──こういう話をすると男性の加害性が強調されがちですが、性別問わず加害者になり得ますし、作中では雨宮の恋人・翠からもそういう発言がありました。女性にとっても刺さる話だと感じましたが、いかがでしょう。
カツセ:そうだとしたら、嬉しいです。僕は、男性中心社会においてマジョリティ側の人間です。だからこそ、男性を主人公に、自分だから書ける物語を書きました。でも、身近な誰かを傷つけたことがある人なら、なにか思い出してくれるんじゃないかという願いはずっと持ちながら書いていました。
翠さんが「私にも加害性があったんじゃないか」と話すシーンは、女性編集者が「そういうひと言があってもいいんじゃないか」と提案してくださったのを受けて加えた場面です。その言葉を聞いた時、自分自身が救われたというか、矢印が一方的なだけではない広がりのある物語になる気がしました。
──翠の言葉を受け、「無自覚な加害があれば、無自覚な傷もどこかにあるのかもしれない」と気づく一文も胸に刺さりました。傷を受けたことに気づかないまま、痕だけが残っていることもありそうです。
カツセ:「あれは被害だったんだ」と後になって気づく人もいると思うし、「ただの冗談だとすませていたけれど、被害を受けたと言ってよかったんだ」と思う人がいてもいい。「その傷、隠さなくていいよ」とも思います。
加害者側も、この本を読んで「あれは加害だったんだ」と気づく経験があれば、それが今後変化していくためのスイッチになるように思います。そういう希望をもって書いたので、いろいろな方に読んでほしいです。
──土方と雨宮の内面が変わっていくうえで、同僚や上司という第三者も重要なカギを握っています。こうした第三者が果たす役割について、どう捉えていますか?
カツセ:描きたかったことのひとつに、メンズリブ(男性が男らしさを問い直し、男性女性のあり方、関係を見直す運動)の思想がありました。世の中には、窮地に立った男性を女性がケアする物語があまりにも多すぎます。男性同士で助け合う未来があってもいいだろうと思っていました。
とくに土方の同僚の三条が活躍する場面は、フィクション性が強い展開かもしれません。ただ、僕はその三条の行動こそが、僕らにとっての希望だなと思っています。デビュー作の『明け方の若者たち』もそうでしたが、同性が支えてくれるというのはもしかしたら僕の小説の共通テーマかもしれません。そこに未来のヒントがあるのかもしれないと思っています。
結婚というブラックボックスの中で、何が起きているのか
──『ブルーマリッジ』というタイトルどおり、この小説は結婚と離婚の話でもあります。このテーマを扱った理由も教えてください。
カツセ:無自覚な加害が行われる場合、もっとも影響を受けるのは身近なパートナーです。そのため、結婚と離婚というテーマ、主人公とパートナーとの距離を描こうと思いました。
それとは別に、読者の方々や周囲の声を聞くと、結婚に焦っている女性がまだまだたくさんいるんですよね。特に、若い方からの「周りが結婚していくので、どうしようと思ってます」という声が多くて。その反面、すでに結婚している人たちからは「夫があまりにもダメで離婚したい」という声も、同じくらい届いています。
こうした現状から、「結婚というブラックボックスの中で一体何が起きてるんだろう」という疑問が湧いてきたんです。そこで、結婚と離婚を入り口にして、その中で起きているパートナーとのあれこれを描いていこうかな、と。いろいろな読まれ方をすればいいなと思っています。
──結婚って不思議だなと、改めて思いました。
カツセ:本当ですよね。結婚という言葉がイメージさせる華やかさ、かつての月9ドラマのようなロマンチックさがあまりにも先行しすぎている気がします。でも、結婚って本来はもっと地味なもの。あくまでも生活の延長線でしかありません。自分自身、結婚して13年目なので日々の実感を交えつつ、恋のように華やかで楽しいものが終わった先で、パートナーとどう生きるのかを描きたいと思いました。
──昨今は、あえて結婚しなくても生きていけるという風潮があります。それでも結婚という選択をすることについては、どうお考えですか?
カツセ:確かに「ひとりでも生きられるこの時代」みたいなことが言われていますが、僕は果たしてそうなのかなと疑問に思っています。ひとりで生きるには、あまりにもハードすぎます。社会情勢を見ても、ひとりでは抱えきれない問題があまりにも多すぎますよね。僕個人としては、「こういう時はどうしよう」と近い距離で相談できる相手、鏡に向き合うように対話できる相手がいたほうがいい気がしています。そうやって、より強い絆、信頼関係を築くためにするのが結婚なのかな、と今は思います。だからこそ、その対象が異性である必要はないとも思います。
戦場みたいな人生で背中を預けられる人がいれば、きっと生きやすくなるはず。しかも、そうなると今度は自分が持っている武器も開示しなければなりません。それが加害性につながることもありますが、開示しながら少しずつ直していき、よりよい関係性を築いていくのが結婚生活なのかなと思います。うまくいけばよりよく生きられるし、いびつになれば苦しくもなる。結婚も離婚も選択肢のひとつにすぎないと思いながら描きました。
──試しに一度結婚してみる、という選択肢もありそうです。
カツセ:そう思います。人前式では「このふたりが生涯添い遂げることを承認する方は拍手をお願いします」と言われますが、僕は「別に生涯じゃなくてもいいけどね。今、幸せならおめでとう」と思いながら拍手しています(笑)。
今は結婚にまつわるすべてが仰々しいじゃないですか。一生添い遂げろという空気が強すぎますし、まだまだ「家のため」「親のため」という考えも根強く残っています。そういうものから解放され、ふたりのための結婚が増えていくといいなと思います。
誰かを描くことにも加害性がある
──3年間かけてこの作品を描ききった、今のカツセさんのお気持ちは?
カツセ:キャラクター一人ひとりにきちんと向き合う時間を、ここまで取ったのは初めてだったので、そこから得たものは大きいですね。なにより、「誰かを描く」ということ自体の加害性について考えるきっかけにもなりました。作者は「こいつは悪者」「こいつはこう動かそう」と舞台装置のようにキャラクターを描くこともできてしまいますが、もしも同じような状況に置かれた方がこの本を読んだら、どう思うだろうか、と。
小説というフィクションだからと言って、まるで神にでもなったかのように人物を描くのは怖いことです。土方や雨宮もデフォルメして描いている部分があり、そこから削ぎ落された人間性が間違いなくある。そこへの想像力を働かせて書かなければならないと気づけたことは、今後の自分にとっても大きな一歩でした。これからは物語や人物を描くことに、もっと真摯に向き合っていきたいと思います。
──最後に、読者に向けてひと言お願いします。
カツセ:今回は、装丁もすごく凝っています。書籍本体にnilikokoさんの写真がプリントされ、そこにトレーシングペーパーのカバーを巻いてもらっています。結婚は、ヴェール越しに見ると淡く美しいもののようですが、ヴェールを外すと生々しい生活がある。この本もカバーを外して写真を見ると、きれいに見えた外側とは違った印象になり、まさにこの本のテーマを象徴するような作りになっています。
これは後づけですが、トレーシングペーパーって触れているとどうしても皺がよったり、傷がついたりしてしまうんですよね。大切にしていても綺麗なままではいられない、という意味では、結婚生活や人生と似ている気がします。だから、もしもカバーに多少の傷があっても「自分だけの一冊」と思って購入していただけたら幸いです。その結果で、返本を減らせたらうれしいです(笑)。
取材・文=野本由起 撮影=(C)新潮社