戦友であり、原点。佐久間公シリーズにハードボイルド小説の巨人・大沢在昌のすべてがある。『標的走路〈新装版〉』『感傷の街角〈新装版〉』発刊インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2024/8/9

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年9月号からの転載です。

大沢在昌さん

 大沢在昌のデビュー作、私立探偵・佐久間公シリーズの初期4作が双葉文庫から刊行されることになった。第1回小説推理新人賞を受賞した「感傷の街角」がデビュー作だが、同作を表題とする短編集より書き下ろし長編『標的走路』の方が刊行は早く、これが最初の著書である。

取材・文=杉江松恋 写真=鈴木慶子

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何もかも手探りだった。旧知の佐久間公を除いて

 大沢はプロットを立てず小説を書く作家だが、『標的走路』では例外的にレジュメを作って執筆したという。

「生まれて初めて書いた長編でしたからね。後にも先にも、そのときだけですよ。レジュメには第1章から内容を順番に書いていったんですけど、膨らませたい箇所に紙を貼り足したりしたから、最後は年表みたいに長くなりました。この長編には佐久間公が命を狙われるというサブプロットがあるんですけど、思いつくことはすべて入れました。全部載せ。ラーメンで言うところの(笑)」

 佐久間公は法律事務所で失踪人調査を専門に扱う仕事をしている。『標的走路』は私立探偵小説としては一般的な人捜しの話として始まるのだが、次第に冒険小説的展開になっていき、最後は閉ざされた空間での生き残りをかけた闘いの物語になる。

「定番のハードボイルドというのは古臭く感じられるようになっていたし、とにかく読者を惹きつけたかったんです。依頼を受けて第三者として関わる私立探偵の物語だと、そこまでハラハラさせられない。レイモンド・チャンドラーが好きだったけど、冒険小説のギャビン・ライアルやアリステア・マクリーンも好きでしたから、そういう盛り上がりを入れたかったんです。あと、これを言うと意外に思われるかもしれないけど、本格ミステリーの代名詞とも言われるエラリー・クイーンの〈国名〉シリーズも全部読んでいるんです。その中でいちばん好きなのが『シャム双子の謎』です。山火事が事件現場の山荘にどんどん迫ってくる。その中でクイーンが殺人事件の謎を解くという緊迫した雰囲気の物語です。あれをやりたかったんですよ」

『標的走路』も含め、佐久間公の連作を読んでいて感じるのは、作者と主人公の距離が絶妙であることだ。作者は佐久間公の後ろにいて、彼の行動を見守っているような感覚がある。登場人物への信頼感は、新人の作品とは思えないものだ。

「作家になろうとして応募を始めてから3作目の『感傷の街角』で受賞しました。でも実は、高校時代から佐久間公という高校生の探偵の話は書いていたんです。23歳で受賞したとすると、そのときもう、公とは7年ぐらいつきあいがありました。高校時代に書いた公の短編も家のどこかに眠っています。公はナナハンのバイクを乗り回す高校生で、父親は刑事で殉職している。母親は商売で成功していてあまり家には帰ってこない。それで自由な時間があって、高校生だけどトラブルシューターもやっているという、マンガっぽい設定でしたね」

佐久間公の物語だからなんでも試すことができた

 習作時代の佐久間公の一人称は〈僕〉。「感傷の街角」はそれを受け継いでいて、非常に若々しい20代前半の佐久間公が活躍する。

「当時のファッションなど、風俗描写は細かくしています。20代前半で小説を書き始めているから、他の作家が絶対書けないような街の匂いや時代の空気みたいなものを“俺は書けるぜ”って突っ張って書いていたんです。今から考えると、そういうものはすぐ古びてしまうから逆に入れない方が作品は色褪せないんですよ。でも初期の佐久間公ものからそれを取ってしまうと、私が書きたかった世界が消えてしまう。そこは、古臭いけど許して、という気持ちですね。当時も、掲載誌の『小説推理』読者のことは考えず、開き直って書いていました。公と恋人の悠紀の会話で“俺が死んだらどうする”“達郎と佳孝のレコード全部もらう”というのがあります。それも当時は“山下達郎と南佳孝なんてみんな知らねえだろうな”と思ってました(笑)」

 23歳の新人は鼻っ柱が強かったが、先輩作家たちはそれを認めた。

「『感傷の街角』が受賞したときの選考委員が生島治郎さんと藤原審爾さん、海渡英祐さんだったんです。そのとき“ハードボイルドというにはちょっと青臭すぎる。これはハードボイルドの匂いがある小説だ”と言われたんですよ。それはそうで、ハードボイルドなんて大人の小説だから、いくら背伸びしたって23歳の若造に渋い大人が書けるはずはない。だから逆に、勝負するなら青臭さだと思いました。23歳の若造が書いている23歳の探偵の青臭さ。それは背伸びであり、かっこつけでもあるので、今読むと非常に恥ずかしい。ただ、今でも佐久間公が好きだっていう人に会うことは多いんですよ。“あなたのファンです。佐久間公が好きなんです”と言われると、この人も自分と同じ時代を過ごしていて、背伸びして一生懸命がんばっている佐久間公を応援してくれていたんだろうな、と思います。一生懸命頑張っている私が次第に小説家として成熟していくのを、佐久間公と重ね合わせて見守っていてくれたんだなと。ありがたいことですね」

『感傷の街角』は短編集としてもバラエティに富んだ内容で密度が高い。

「いろいろ実験しているんですよね。『サンタクロースが見えない』では本格ミステリー風の謎解きをやっていますし、タイムリミットサスペンス風な『晒された夜(ブリーチド・ナイト)』もある。『感傷の街角』での受賞後第1作は『フィナーレの破片』という短編なんだけど、実はその前に『小説推理』からボツを食らっているんです。ボツだけどその号には載せるから書け、と言われて、ぎりぎりになったんで印刷所に原稿を届けました。それ以降、一度もボツは食らわなかった。とにかく『小説推理』は3カ月おきに書かせてくれたから、次はどんな実験をしてやろう、とか考えることができるんです。主人公は同じ佐久間公でも今度はこってり系で行こう、とか、センチメンタルなバラード風で行こうとかね。当時は若くて将来に不安もないから、自分のやりたいことをとにかくやりましたよね」

 その後、第2短編集の『漂泊の街角』を経て、1986年に発表された長編『追跡者の血統』でシリーズは中断する。大沢29歳の時だった。

「自分も歳をとって若者の話が合わなくなってきたんです。〈僕〉で書くのが辛くなって、これからは大人のハードボイルドを書いていこうと」

その後、大沢は勝負作『氷の森』を経て、1990年に開始した『新宿鮫』でベストセラー作家の仲間入りを果たした。佐久間公ものは、1996年に『雪蛍』、2000年に『心では重すぎる』が発表されている。登場するのは、調査員を辞めた佐久間公で、中年と呼ばれる年齢になっている。

「もしまた書くとしたら、佐久間公にはさらに年を取らせるでしょう。多くの人が待ってくださっているのは知っています。いまだにサイン会があると、佐久間公はまだですか、と言ってくださいますから」

それだけ読者に愛されたシリーズである。この復刊を機に、ぜひ新しい読者にも手に取ってもらいたいと思うのだが──。

「こんな青さ丸出しの小説って、たぶん今の時代は絶対ないと思うんです。古臭くて、青臭い。初めて見るけど懐かしい景色ってあるじゃないですか。そういうものかもしれないですね。自分は知らない昭和の話なんだけど、なぜか懐かしさを感じるような。そういうものだと思って楽しんでもらえれば嬉しいです」

大沢在昌
おおさわ・ありまさ●1956年、愛知県生まれ。慶應義塾大学を中退後、「感傷の街角」で第1回小説推理新人賞を受賞。以降、日本におけるハードボイルド小説の第一人者として活躍し続けている。『新宿鮫』で日本推理作家協会賞長編部門と吉川英治文学新人賞、『無間人形 新宿鮫4』で直木賞、『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞など受賞歴多数。

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