娘の思春期、自身の更年期ーー「私たちの体はホルモンに生かされている」と気づいたポルトガル料理研究家。人生を楽しむための「毎日のご飯」の大切さとは?

食・料理

更新日:2024/8/16

馬田草織さん

 食や旅を軸に執筆する文筆家であり、ポルトガル料理研究家の馬田草織さんが、新たに上梓したのは『ホルモン大航海時代 ポルトガルと日本で見つけた自分のための鱈腹レシピ23』(TAC出版)という気になるタイトルの一冊。〈レシピ+エッセイ〉という独自のスタイルで、馬田家の“あの一皿”が紹介されている。

 レシピに添えられているのは、出産、離婚、娘の思春期、更年期など、女性として生きる上で経験してきたさまざまな記録。私たちはなぜいつもこんなに心を揺さぶられるのか。そんな私たちにとって毎日のご飯の存在とは——。本書に込めた想いをインタビューで伺った。

自分がちゃんと好きだって言える料理を作るということ

——これまでにもポルトガル料理のレシピ本を刊行されていますが、本書ではポルトガル料理にかぎらず、馬田さん自身が“普段食べているご飯”が紹介されています。「自分のための鱈腹(たらふく)レシピ」にこだわった理由とは?

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馬田草織さん(以下、馬田):この本はコロナ禍に書き始めたのですが、当時は私を含め世の中の人の多くが、在宅ワークで家族の分を作ることや、自分で作った料理を家で延々と食べ続けることに疲れていました。と同時に、生きていくにはちゃんと食べることが大事だと実感もしました。食べるの根源を見直すようなタイミングだったと思います。で、ふと自分の毎日の食事を見つめると、結構同じものを飽きずに何度も作っているな…と感じたんです。

 日本では昔から、食卓にいろんな料理を並べないとダメ、みたいな空気がありましたよね。でも実際は、好きな料理を1、2品、ある程度のサイクルで回していけば、割と不満はない。バリエーションよりも、自分がちゃんと好きだと言える料理を作って食べられることが重要なんじゃないかと思えてきて。そんな流れで、私が普段SNSにアップしている名前もないような料理を、本の中で紹介したいと思うようになりました。

——たしかに、本書には「あの鍋」という名の、名もなき料理のレシピが紹介されていましたね。他にも「おいしいキムチの炒飯」や「愛しの納豆蕎麦炒め」など、シンプルな名前のレシピが多くて。

馬田:そうですね。たとえば「愛しの納豆蕎麦炒め」も、自分の中では「納豆のあれ」みたいな普段着レシピ(笑)。冷蔵庫にあった好物のあり合わせで生まれました。蕎麦は毎回茹でずに一度にまとめて茹でて、茹でたものにはあらかじめごま油をまぶして1食分ずつ冷凍しておきます。それをレンチンで半解凍して、納豆と香味野菜と炒め合わせれば出来上がり。レシピには豚ばら肉が入っているけど、豚肉がない日は蕎麦と納豆とネギだけで作ることもあります。自分が食べたい材料と好きな調味料で作るから、自ずと好きな味に仕上がるんです。

——「心のままに鶏団子鍋」も、気分次第で変幻自在のメニューだとか。

馬田:鶏団子自体はシンプルですが、ときどきれんこん、大葉や木耳などを気分で加えます。まとめて作って冷凍しておくと便利なんです。以前は娘が塾に通っていたので塾前に娘に先に小鍋で食べさせ、送り出したあとは自分の小鍋に鶏団子を3つ4つ入れて、うどんやごはん、適当な葉物や豆腐を加え、ひとりでゆっくりお酒を飲みながら食べたりと、状況に合わせて楽しむことができます。

東京で作るポルトガル料理は、手に入るもので美味しくできればいい

馬田草織さん

——そんな毎日の料理の中に、ポルトガル料理も普通に入っていて。近所のスーパーで買った食材でも作れそうなメニューが多くて驚きました。

馬田:もちろん再現しやすいようにアレンジしています。肝心なのは料理を完全にコピーすることではなく、手に入れやすい食材で、その料理の長所を生かすことだと思うんです。現地で料理を教えてくれたルシア姉さんが食べたら「あれ?」と違いに気がつくかもしれないけれど、「ポルトガルで食べた味を思いだす」と言ってくれる人もいる。海外の料理を日本で作るときは、その料理の味の長所を殺さないことが肝心だと思います。

——食べたことのない人は、正解の味をどうやって探すのが良さそうですか?

馬田:家で自分のために作る料理なら、まずは完コピすることをゴールにせず、自分が美味しいと思えばそれで最初の一歩は大成功。ことポルトガル料理に関して言えば、塩した魚を炭火で焼くとか、粉をふって揚げるだけとかとてもシンプル。ヨーロッパで最も米料理を食べる人たちでもあるので、根底にある方向性がなんとなく和食に近い気がします。

——たしかに、味付けがとてもシンプルで材料も少ないから、レシピを見るだけでも味の想像がつきやすい気がします。

本書の編集者・田辺真由美さん:私はポルトガルの「鴨ごはん」や「あさりごはん」などのレシピに「押し麦」を半分混ぜていることが、目から鱗でした。こうすると、ポルトガルの米料理のパラッとした仕上がりに似せられますよね。

馬田:そうなんです。現地のお米はロングライスだから、炊くとパラッとした食感なんだけど、日本のお米は水分が多い。だから汁気の多いリゾット仕上げにすると、鍋の雑炊の残りみたいにもっちりと固まっちゃう。でも、日本のお米も美味しいから、日本のお米ありきで作りたい。そんな考えから、ポルトガル料理を再現する時は日本のお米に押し麦やもち麦を使うようにレシピを考えました。

——レシピを見ていると、馬田さん流のポルトガル料理って簡単なのに美味しいし、ヘルシーですよね。

馬田:家で作りやすいように、材料を極力シンプルにしました。それから、ここには載せていませんが、ポルトガルのオイルサーディンを使ったお茶漬けもよく作ります。これは私のオリジナルですが、ご飯に油を切ったオイルサーディンを乗せ、大葉やミョウガ、かいわれ大根などを混ぜた薬味、揉み海苔、そして梅干しをのせます。冷たい出汁をかけてもいいのですが、わが家では夏は冷えた炭酸水をかけて食べます。イワシと梅の組み合わせは日本でも昔からありますよね。

 いつものお店で食材を買い、ささっと料理をする。買い物に行けない日はうちにあるもので作る。毎回気合を入れなくてもそれなりにできちゃう好きな料理がいくつかあれば、まずは幸せ。ひとりのご飯を大切にすれば、手っ取り早く小さな幸せを実感できる。毎日の食事でその小さな喜びを重ねることは、生きるうえでとても大事。そう考えて、この本を作りました。

たまたま居合わせたところでうまくやっていく

馬田草織さん

——馬田さん自身、これまでの人生でさまざまな難所があったと聞きます。一番の大嵐が吹き荒れたのはいつ頃でしたか?

馬田:娘が小学校に上がるまでの6年間は、体力的に厳しかったです。子どもが朝5時頃に起きたら、お風呂に入れて食事を準備し、自分の仕事に向かう準備と娘の身支度を済ませ、保育園に向かう。文字にするとなんてことないけど、実際やるとこれ重労働。子どもはこちらのスケジュールなんて関係ないので、まあ思い通りにはなってくれない。で、娘を保育園に預け終わった頃にはくたくたです。さらには、仕事場へ向かう電車内で「熱が出たので迎えにきてください」と連絡を受けることもしょっちゅう。そんな感じで毎日無呼吸でクロールを続けるうちに、無呼吸であることに気がつかず倒れちゃった、そんな感じでした。

——疲労で倒れ、その時に気づいたのが「生き方の最適化」。仕事より、ひとりでは生きていけない幼いこどもを育てるほうがはるかに重要だと考え、娘さんが幼児の時は、育児100%、仕事の出力30%に切り替えたとか。それからは少し楽になっていったんでしょうか…?

馬田:常に100%で仕事をしないといけないという強迫観念を捨てたことで、心身ともにかなり楽になりました。そもそも長い仕事人生、全部全速力で走る必要なんて本当はなかったんですよね。人間は機械じゃないわけだし。自分の置かれた状況に合わせて働き方を変えることに気がつけて本当に良かった。

 ただ、娘が6年生くらいになると今度は思春期がやってきて、精神的にはそちらのほうが大変(笑)。小さい頃は従順で「ママ最高」だったのに、次第に自我が芽生えて、ついにはお出掛けに誘っても「私は結構です」と言い出したり。「この洋服趣味じゃない」と拒否したりするようになって。突然どうしたんだ…と考えることもあったんです。

——本書を書き始めたのが、その頃だったそうですね。『ホルモン大航海時代』というタイトルは、ホルモンのレシピが載った本、というわけではなく。

馬田:娘の思春期と私の更年期が重なっていたんです。お互いにイライラしてぶつかることが増えて、これはどういうことなんだろう…と思って。思春期ホルモンや更年期ホルモンに関する本を読むと、人も動物と同じでホルモンによる心や体の変化をコントロールすることはできない。だからそれを理解した上で生きていったほうがいい、と書かれていて。ホルモンの問題だから、私の頑張りが足りないわけではなく、娘だって親を否定したいわけではない。単なる成長の過程であって、それを知っているだけで闇雲に落ち込むことはないし、対処の仕方が変わってくる。つまり、私たちはホルモンによって左右される存在だと。

 ホルモンに操られる私たちは、まるで天候に左右される航海中の船のよう。なんとかうまくやっていくしかないですよね。そしてポルトガルといえば大航海時代。ということで、ホルモンと大航海時代をくっつけて、この変わったタイトルが生まれました。

ポルトガル人はラテン系なのに最初はシャイ

——馬田さんとは切っても切れない関係のポルトガルの話も本書に綴られています。最初に訪れたのは、大学の友人に会いに行ったことがきっかけだとか。ここまで長く付き合うことになるポルトガルと偶然のように出会うとは、ラッキーだったのでは…と感じました。

馬田:最初に行った時は「物価が安いな」とか「人が優しいな」っていう印象くらいで、一目惚れしたわけではないんです。その10年後に会社を辞めてフリーの編集者として独立する際、あの国は今どうしてるのかなと思い出して取材旅をすることにしたんです。雑誌に売り込んでページをもらい、カメラマンにお願いするお金もないから自分でカメラ片手にポルトガルのお店を取材するうちに、ジンジーニャというさくらんぼのお酒を飲ませるショットバーがあったり、香辛料で茹でたカタツムリをビールのあてにしたりと食文化も面白くて、どんどんハマっていきました。

——ひとりで突撃取材をして、断られることもなく?

馬田:たまたま運が良かっただけかもしれませんが、断られることは一度もなく、取材をした後に「夕飯どうするの? うちで食べてく?」と言われたり。社交辞令ではなく、本当にそうなんですよ。ポルトガル人ってラテン系なのに、初対面では日本人みたいにシャイで、仲良くなるとグッと距離が近くなる。なによりやさしい人が多かった。料理も家庭料理から食堂、レストランといろんな人に教わりましたが、最も印象深かったのが、郷土料理店を経営するルシアさんでした。

——本書によると、2人の子を育てながら夫婦で人気レストランを経営する活力みなぎる女性で、料理以上に教わることが多かったとか。

馬田:彼女のレストランに1週間ほどお邪魔して、一緒に過ごしました。料理も教わったけど、休憩時間に盛り上がるのはプライベートな話。「今いくつなの」「子どもはいないの」と聞かれて(笑)。当時私は35歳で、いつ子供を持つか、持てるのか、その後も自分の仕事を続けることができるのか、という悩みの真っ只中にいたんです。だから、ルシアとのストレートな会話はショック療法のようでもあり。結果的に、私の人生にとって大きな転換期となりました。

限られたエネルギーをイヤなものに使っている場合じゃない

馬田草織さん

——他にも、婚期、離婚、老い…など、女性が誰しもぶち当たりそうなテーマについて語られていますね。

馬田:10年勤めた会社を辞めてフリーになってから、人生の先輩たちがつまずいたことや乗り越えてきたことの情報をあまり得られず、ひとりで悶々としながら生きてきたので、自分はそれを伝えていこうと思って。すごく刺激を受けたルシア姉さんのことも書きたかったし。

——生き方も料理も「お手本に囚われないでいい」という書き出しにも心惹かれました。

馬田:私たちの世代は、昔誰かが作ったお手本的な生き方を踏襲しろと暗に言われ、モヤモヤするけど誰に何を言っていいかわからないまま今に至り、道なき道を切り開いた女性像を描いた朝ドラに泣かされる…という図式が成立している。いい大人になって、少しだけ人生を俯瞰できるようになって、ようやくこのモヤモヤの元凶は、自分を取り巻くシステムや環境にあったことに気がつき始めたのだと感じています。だから、この先をもっと自分の行きたいように生きていくべく、この先の人生へのアンセムのような気持ちで書きました。

——「日々のご飯こそ、我儘に」を実践することで、自分を少し甘やかしながら歳を重ねていけそうです。

馬田:コロナ禍を経てなお、私たちはたまたま今ここに生き延びることができている。生かされている。そしてこれからだって、自分の身に何が起きるのか、もっと言えばいつ寿命が尽きるのかは、みんな平等にわからない。だからそれを気に病んでも仕方がない。先のことは考えすぎず、今の自分は何がほしいのかをちゃんとわかっておく。その原点がご飯、料理、もっと言えば自炊だと思っています。自分が喜ぶご飯が何かを自分に聞いて、そのときの気分や体調にあわせて作り、食べることがまずは大事だなと思います。

——人生を楽しむためのヒントが、毎日のご飯にありそうですね。

馬田:毎日のご飯で自分のご機嫌をとりながら、生かされている今を楽しみたいですね。

取材・文=吉田あき、撮影=三佐和隆士

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