AIがあるのに外国語を学ぶ意味ってあるの?言語のエキスパートが語る脳への効用とは【「ゆる言語学ラジオ」水野太貴氏×心理言語学者・ビオリカ・マリアン先生特別インタビュー】
公開日:2024/9/4
ChatGPTをはじめ翻訳ツールの進化がすさまじく加速している今、あえて外国語を学ぶ意味はあるのか。人間の脳と言語の関係性を研究するビオリカ・マリアンさんと、YouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で言語学ブームを巻き起こしている水野太貴さん。言語をこよなく愛するお二人が語る言語の力と効用とは?
ビオリカ:私は母語がルーマニア語でして、英語とロシア語を第二言語として使っている他、広東語、オランダ語、スペイン語、フランス語など様々な言語を研究しています。もちろん日本語も。日本語というのは特に他人に配慮をする言い回しや表現が豊かですね。
水野:例えばどんな言葉にそれを感じますか?
ビオリカ:一番代表的なのは「空気を読む」。すごく日本語の本質を突いている表現だと思います。間接的なお願いを表す言葉も多いですね。こうした細かいニュアンスを読みとるのはネイティブではない、日本語を第二言語として学ぶ者からすれば非常に難しいんです。
水野:マルチリンガルで言語のエキスパートであるビオリカ先生にとっても、そうなんですか。
ビオリカ:ええ。それに方言が多いですね。先日、長崎県の五島列島へ行ったんですが、五島の方言は東京方言とはずいぶん異なりますね。まるで別の言語のようでした。
水野:方言=別の言語説とは興味深いですね。僕は父親が名古屋出身なのですが、名古屋方言もけっこう特徴がありまして。例えば「だいがく」を「でゃーがく」と発音するんです。名古屋以外の方からよく「名古屋方言は難しい」と言われてしまって。同じ日本人なのに面白いなあ、と。
ビオリカ:では水野さんは東京方言と名古屋方言のバイリンガルですね。私は最近、2つの方言を操ることには、2つの言語を操ることと同じような効用があるかどうかを調べる実験をしてるんです。2つの方言を話せる日本人は、バイリンガルと同じ思考を持っているかもしれないと考えています。
水野:それは英語を喋れない僕にとっては、すごく希望に充ちた仮説だ(笑)
ビオリカ:実際、言語というのは外国語に限ったものではありません。私は言語とは「記号を使って情報を伝えるシステム」だと定義しています。その記号には言語の他、音楽の音符や数学の数式、詩の韻を踏むことなども含まれます。つまり音楽家や数学者や詩人もまたバイリンガル、マルチリンガルと同じ思考を持っているのだと。
水野:なるほど。音楽や数学や詩も言語なのだと考えると「言語」の幅がぐっと広がりますね。ちなみにご著書『言語の力』には「バイリンガルはモノリンガルに比べて記憶力が優れている」「アルツハイマーの発症を遅らせる効果がある」と書かれていますが、これらの因果関係はどの程度示されているのでしょうか?
ビオリカ:そうですね。まず、あらゆる記憶においてバイリンガルの方が優れているというわけではないのです。以前こんな実験をしました。日本人の方に、ボールやケーキ、木の葉などいろんな画像を見てもらったのです。その中に写真も入っていまして、実験しながら「写真を見てください」と声をかけました。実験終了後に、写真以外に憶えているものを尋ねると「シャボン玉の画像もありましたね」という答えがきたんです。
水野:それはどうしてでしょう?
ビオリカ:「写真」と「シャボン玉」は、どちらも「しゃ」から始まるでしょう。それで憶えていたわけですね。
水野:ああ、なるほど!
ビオリカ:そうなんです。これが日本語と英語のバイリンガルの方ですと「写真以外にシャボン玉と影(シャドウ)の画像もありましたね」という回答がきました。ちなみに日本語とロシア語のバイリンガルの方の場合は、写真の他に風船の画像も憶えていたんです。ロシア語で風船は「シャリク」と発音するんですよ。この実験で分かったことは、どの言語を話すかによって脳は何を記憶するのか変わってくるということでした。とはいえ、あくまでも実験の一例にすぎないので、すべてにおいて当てはまるわけではないとも思います。
水野:ではアルツハイマーとの関係については、いかがでしょう。
ビオリカ:私は2つ以上の言語を話せる人は、アルツハイマー病の発症が4年から6年、遅くなると考えています。というのも、世界には公用語が1つしかない国もあれば、2つ、3つと複数の公用語がある国もありますよね。様々な国のデータを集めたところ、公用語が多ければ多いほどアルツハイマー病の発症率が低いことが判りました。言語を2つ以上常に喋っているということは、脳が常にエクササイズをしている、運動している状態なんです。
水野:質問なんですが、そこに言語以外の他の要因は考えられませんか? 関係ない第三の相関因子とか……。
ビオリカ:あり得なくはないけれど、やはり言語要因が大きいと思います。例えばカナダのケベック州ではフランス語と英語のバイリンガルの方が多いのですが、モノリンガルであるアメリカと比較するとアルツハイマー病の発症が数年遅れているのです。これはカナダ人はアメリカ人よりもアルツハイマーになりにくい遺伝子を持っていると考えるより、やはり環境的なところからきているのではないかと。
水野:常に複数言語にさらされている環境、ですね。
ビオリカ:もちろんバイリンガルの脳が劣化しないわけではありません。バイリンガルと、そうでない人の脳の劣化の度合い自体は同じです。ただ、バイリンガルの方が脳の劣化を補う方法を多めに持っているのだと考えられます。
水野:それでいうなら日本は日本語を話す人が極めて大多数の国ですから、公用語が複数ある国のように生活のなかで第二、第三言語を身につける機会が少ないんです。新たな言語を学ぶのは間違いなくいいことなのですが……。
ビオリカ:なるほど。だけど最初にお話したように日本語の表現の細やかさ、豊富さには凄まじいものがありますね。「もののあはれ」なんて本当に訳しづらい。
水野:実はほかにもあるんです(笑) こちら、僕がまったく自分の趣味で収集した「翻訳できないオモシロ単語」の一部になります。
米(よね)こぼす…お正月の三が日に泣くこと。
喜雨(きう)…雨乞いのあとに降る雨。
空悋気(そらりんき)…根拠がないのにやきもちを焼くこと。
夕轟(ゆうとどろき)…夕暮れ時に恋する気持ちがざわめくこと。
カーカー…めんどりが卵を産むときの鳴き声。奄美群島与論島のオノマトペ。
書債(しょさい)…まだ書いていない手紙の返事や、頼まれたままで果たしていない揮毫。
宋襄(そうじょう)の仁…敵に対する不必要な思いやり。
ビオリカ:うわあ、すごい。水野さんも私と同じく言語に取り憑かれた方なんですね(笑)
水野:ビオリカ先生からそう仰っていただけて光栄です。
文=皆川ちか
ビオリカ・マリアンさんの著書『言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?』(著者 ビオリカ・マリアン、監訳・解説 今井 むつみ、訳 桜田 直美/KADOKAWA)。水野太貴さんの新刊『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(著者 水野 太貴、イラスト 吉本 ユータヌキ、監修・解説 今井 むつみ/KADOKAWA)がそれぞれ好評発売中です。