“首なし死体”から始まるエンターテインメント小説。人間の解釈の都合よさを、新興宗教を中心に描く『フェイクフィクション』
PR 公開日:2024/8/21
8月21日に文庫版が発売された『フェイクフィクション』(誉田哲也/集英社文庫)は、ある事件をきっかけに交差する警察組織とカルト教団、そして渦中に巻き込まれていく人々を通じて宗教の本質に迫る、珠玉のエンターテインメント長編小説だ。
東京・五日市署管内の路上で首なし死体が発見された。生きたまま首を切断されたらしき、身元不明の男。この不可解な事件の解明に向け、特別捜査本部が設置される。一方、ある小さな製餡工場では、元キックボクサーの潤平が働いていた。彼は工場で働くことになった女性、美祈に心惹かれる。しかし対話を重ねるうちに、彼女が何か事情を抱えていることに潤平は気付く。このふたつの物語の交点にやがて見えてくるのは、新興宗教「サダイの家」の影だった……。
“首なし死体”事件、それを追う警察組織、純朴な恋愛劇、そして奥底に潜むカルト教団の謎。これだけ幅広い要素を盛り込みながら、やがてそれらは美しい終幕へと収束していく。読者の心を捉えて離さないこの物語の推進力からは、数多くの人気作品を世に送りだしてきた著者・誉田氏の魅力を余すところなく味わえる。
ところで『フェイクフィクション』という表題に対して、違和感はないだろうか。直訳すると、“偽物の虚構”とでも言えよう。なぜ、虚構に対してあえて“偽物の”とつけるのか。この疑問は、本作を読み進めながら宗教について考えていくと、次第に納得へと変わっていく。本作には信仰心を取り巻くさまざまな“フェイク”が描かれており、信仰する対象を人間がいかに都合よく解釈しているか見せつけられるからだ。
作中に登場する“神”の解釈について、何度も読み返したい一節があった。私は本記事においてその一節を引用しないが、その一節から感じたことを記しておく。もしも神が存在するならば、もしかしたら神は個々の人間の行動とそれによって生じた結果など、あまり気にしていないかもしれない。
それでもなお人間が神を信仰することを否定しないが、信仰心は自分の生を明け渡していい理由にはならないはずだ。だから、善悪の基準や、何かを信じることのリスクと価値については、どこまでも自分自身が考え抜くべきだと思う。ストーリー展開で引き込まれる一冊であることはもちろん、本作はそういった人生に紐づく問いも多く投げかけてくれる。
リアリティある警察小説を求める方も、魅力あふれるキャラクターが織りなす人間ドラマを求める方も、そして宗教問題に関心がある方も、この物語に織り込まれたメッセージは心に響くはずだ。一気読みする時間を確保し、ぜひ本作を手に取ってほしい。
文=宿木雪樹