老衰死はなぜ世界では認められないのか?「死ぬということ」についてエビデンスに基づいてまとめた1冊
PR 公開日:2024/8/26
「死ぬ」とはどういうことなのだろう――そんなことを考えたことはないだろうか。残念ながら「死」ばかりは誰にでもいつかは訪れるものでありながら、生きているうちには一度も体験できないもの。だからこそ永遠の謎であり、古今東西のあらゆる宗教、社会、哲学者や文学人が「死」についてさまざまに語ってきた。きっとあなたもどこかで、そんな「死」への言説に出会ったことがあるだろう。このほど登場した『死ぬということ 医学的に、実務的に、文学的に』(黒木登志夫/中央公論新社)も、そうした死の謎に迫る一冊。ただし、この本の著者は長年がん研究に携わってきた医学者であり、「医学」というサイエンスの観点から客観的に死について考えていくのが特徴だ。
ところで現在、日本人はどんな理由で死を迎えるのだろうか。本書によれば2023年の死因は「1位:がん 2位:心疾患 3位:老衰 4位:脳血管疾患 5位:肺炎」とのこと。こうしたランキングはどこかで見たことがあるかもしれないが、本書では老いと寿命のメカニズムを解説しつつ、具体的なデータや臨床の実例などを検証しながら実際に人はどのように病で死に至るのかをわかりやすく説明している。
ちなみに日本では死因の3位になっている「老衰」だが、実はWHOでは「死因」として認められていないというから驚きだ。実は死亡原因の書き方は国際的にWHOが決めており、死因を「国際疾病分類」という病気カタログ的なものに記載されたおよそ7万件の病名リストから選ぶ必要があるのだが、それらは大別すると「病死」あるいは「事故死」に分類されるとのこと。そのため、はっきりとした診断基準のない老衰はそれらに合致せず、あくまでも「その他」扱いになるというのだ。著者はそうした状況に苦言を呈しつつ、「人間には寿命死がある」と第3の死因を提唱するが、すでに社会的に「老衰」という死因を受け入れている日本人には納得できる面が多いように思う。
本書が興味深いのは、こうした内容が決して堅苦しい文章ばかりで綴られるわけではないことだ。特に印象的なのが短歌の引用で、たとえば第1章「人はみな、老いて死んでいく」の冒頭では以下の2首の短歌が紹介されている。
あかあかと一本のみちとほりたりたまきはる我が命なりけり 斎藤茂吉
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日一日はいづみ 上田三四二
赤々と陽に照らされる一本の道が我が命の道と高らかに歌う斎藤の短歌と、自らの死を自覚しながら今を見つめている上田の短歌――対照的な世界観ながら、どちらも「命」のかけがえのなさを歌っている点は共通で、著者はこうした短歌を随所にひきつつ、私たちの「感情」と客観的な医学の知識から見えてくる「命の現実」を結びつけてくれるのだ。
さらに話題は死に至る病だけでなく、「認知症」「在宅死」「孤独死」「安楽死」など、現代の死にまつわるさまざまな事象にも触れ、さらには死ぬことをどう受け入れるべきか、死ぬ前に何をすべきかという実際問題にも踏み込んでいく。私たちにとって「死」とはなんなのか――本書は「今」という時代の「死の心得」を知るには格好の一冊。知ることで強くなれることは、必ずあるはずだ。
文=荒井理恵