訴訟にかかわる人々をおもてなし!江戸時代の公事宿を舞台に描かれる、良い人だらけの人情時代小説

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/9/6

猫と涙と昼行燈 公事宿まんぞく庵御裁許帖"
猫と涙と昼行燈 公事宿まんぞく庵御裁許帖』(相沢泉見/ポプラ社)

 いつの時代も世の中は困りごとばかりだ。少しでも気がかりなことがあると気分はどんより沈んでしまうもの。そんな時、とびきりのおもてなしでその疲れを癒してくれる宿があったとしたら、お世話になりたいと思う人は少なくないだろう。

猫と涙と昼行燈 公事宿まんぞく庵御裁許帖』(相沢泉見/ポプラ社)は、そんな困りごとを抱えた人たち、訴訟を目前にした人たちを温かくもてなす宿の人情時代小説。ほっこりと優しい気持ちに浸らせてくれる1冊だ。

 ときは江戸。齢十七の香乃は、理不尽な因縁をつけられ、奉公先を出ることになってしまった。途方に暮れていた香乃が出会ったのは、一匹の三毛猫。その飼い主だという史郎は、何とも軽薄で女たらしに見えるが、公事宿で手代をつとめているのだといい、ひょんなことから香乃はその公事宿・まんぞく庵に転がり込むことになる。

advertisement

 公事宿とは、訴訟を行う人々が逗留する宿だ。普通の公事宿は公事の手助けはするが、それ以外は最低限の応対しかせず、寝場所を供するだけの木賃宿とさほど変わらない。だが、まんぞく庵は違う。朝晩に手間暇かけた膳を出すし、客一人一人を大切にもてなす。

「うちに泊まったからには必ず満足してもらう。もてなしにも、お公事にもな」

 まんぞく庵の心意気を知った香乃はどうやったら客が満足できるのか考え抜くことになるのだが、もう天職としか呼びようがない。酒ではなく水を入れた徳利、ごく普通の蕪の漬物、部屋に放たれた猫……。香乃は意外なものを使って素晴らしい機転で客たちの心を解きほぐしていく。

 とはいえ、まんぞく庵を訪れる客たちはみんなワケアリだ。領地争いを解決する証拠をなぜか隠し、公事が進まないようにする若い名主。腕は良いはずなのに、厳格な客の髷をわざと真っ二つに切り落とした髪結い師。子どもの引き渡しを求める公事の呼び出し状を受け取ってからというもの、毎日昼間から酒を引っかけてばかりいる母親——彼らが何に悩んでいるのか、香乃は分からない。そこで活躍するのが、手代の史郎。公事宿の手代は、訴訟の素人である客たちの代わりに訴訟の手伝いをし、勝ち公事に導く役割を担う。怠け者の史郎にそんな役割ができるのかと香乃は疑っているが、普段はぼんやりとして役立たない昼行燈も、不穏な空気を感じ取れば、その真価を発揮する。史郎はひとたび人の涙を見ると、切れ者へと豹変。その変貌ぶりには圧倒されずにはいられない。こんなに少しの情報で真実に辿り着いてしまうだなんて!頭脳明晰な史郎の鮮やかな推理は見ていて気持ちがいい。

「訴訟」にのぞむ人たちの物語だと知った時、どんなに嫌な人が出てくるのだろうか、どんなに苦しい思いが描かれているのだろうかとドキドキしながら読み始めたが、それは大きな誤解だった。読みながら、目頭がじんわりと熱くなるのを感じ、自然と頬から笑みがこぼれる。「ああ、この世界はいいなぁ」と思わずため息が漏れた。この物語は優しさでできている。登場人物はそのほとんどが善人で、悪人は出てきても、正義の前にすぐに消え失せる。どんな問題もまあるく解決。温かくて泣ける、ほっこり人情時代小説は、きっとあなたの心もそっと癒してくれるに違いない。

文=アサトーミナミ

あわせて読みたい