ドヤ街で暮らす42歳が芸術家の青年と共同生活スタート。貧困、暴力、搾取、死――この出会いは彼を“絶望”の日常から救い出すのか?

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/9/26

惑星"
惑星』(木原音瀬/ホーム社、発売:集英社)

いつの日か誰かが迎えに来てくれることを、ほんの少しだけ期待し続けている。「迎えが来る」というと、「死」を連想するかもしれないが、そういうことを言いたい訳ではない。誰かがふと自分を迎えに来て、ここではないどこか、今よりもずっといい場所に連れ出してくれるのではないか。他力本願だけど、そんな妄想をしてしまうのは私だけではないはずだ。特に今、自分がいる場所に居心地の悪さを感じている人ならば。

惑星』(木原音瀬/ホーム社、発売:集英社)は、そんな「迎え」を本気で待つ男、自らを「宇宙人」だと信じる、ドヤ街で生きるある男の物語だ。読めば読むほど、どうしようもなく苦しい。『美しいこと』、『箱の中』(講談社文庫)をはじめとするボーイズラブ作品のほか、「捜し物屋まやま」シリーズ、「吸血鬼と愉快な仲間たち」シリーズ(集英社文庫)などで知られる木原音瀬さんによる新境地がここにはある。

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ページをめくり始めた時から、光のない宇宙空間に放り出されたかのようだった。心許なさを感じながら、見ず知らずの世界に一歩ずつ足を踏み入れれば、すべてが手探りで、フワフワして落ち着かない。どうしてそんな気分にさせられるのか。それは、この物語の主人公・ムラが妙に幼いせいだろう。このムラという男はどうやらドヤ街でホームレス同然に暮らしているらしい。彼は、手配師に過酷な日雇いの仕事や住み込みの土工の仕事を斡旋してもらい、働き始める。まるで子どものように叱られることを恐れ、お父さんに教えてもらったことをしっかり守ろうとするその姿に、私がイメージしたのは純粋無垢な「少年」の姿だった。だが、ムラの歳は実際には42歳。左右はごっちゃになるし、地図は読めないし、道にも迷う。仕事だってもちろん器用にはできない。周囲からは「気がきかない」「のろま」「ぼけ」と言われるし、そもそも彼らが何を言っているか、ムラにはほとんど分からない。だけれど、しかたない。「ジブンは宇宙人だから、人間とはちょっと、ちがってる」。自分は宇宙人だと盲信する彼は、星からの迎えを待ちながら、日々空腹に耐えながら、その日その日を淡々と過ごしていた。

ジブンの星にいきたい。お父さんとお母さんに会いたい。向こうはきっと、すごくよくて、現場の人が優しくて、おいしいご飯がいっぱい食べれるんだろうな。

ひらがなの多い、やわらかでぼんやりとした語りが、私たちの心をザワつかせてくる。それは、私たちがムラよりも早く、ムラを取り巻く現実に気づいてしまうからだ。自分たちが宇宙人であることを教えてくれたお母さんは、ムラが中学生の時、突然いなくなった。中学を卒業してからずっと一緒に働いてきたお父さんも突然いなくなった。ムラは「星」に帰ったと信じているが、本当はどこに行ってしまったのだろう。強烈な不安感のなか読み進めていけば、ある日、「星」に帰ったはずのムラのお父さんの遺体が工事現場から発見される。

悲しい。途方もなく悲しい。だが、ムラの生活には絶望しかないのかと思えば、そうではない。暗闇の中に、突然まばゆい光が飛び込んでくるのだ。ひとりの芸術家の青年・カン。ひょんなことから、ムラはカンの家に転がり込むことになる。生活を共にしながら徐々に心を通わすふたり、微妙な距離感に、鼓動が高鳴る。「頼むから幸せになってくれ」と願ってしまう。カンの存在がムラを今までの日常から救い出してくれるに違いないのだと、これが救いに違いないと、そう思いたいのだけれど……。

ムラとカンはどうなっていくのか。ムラはどうやって生きていくのか。「分かる」だなんてとても言えない。そう断言してしまうことほど、おこがましいことはない。だけれども、ムラの人生に心寄せずにはいられない。この地球にはどれだけの「宇宙人」が息を潜めて暮らしているのだろう。どれだけの人が星からの「迎え」を待っているのだろう。貧困、暴力、搾取、死……。ドヤ街に蠢く人生の光と闇に、今、どうかあなたも目を向けてほしい。

文=アサトーミナミ