川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第1回「赤からを食べた日」
更新日:2024/10/18
あっという間に2ヶ月は過ぎ、撮影初日を迎えた。初日から一番長いバッハの第6番演奏シーンだった。最初は上手く弾けていたのに、演奏の途中でジストニアによって上手く弾けなくなり、同じ部分を何度も弾いてしまい、譜面とは違う演奏になるというハードな撮影。上手く弾いたり、感情的に叩くように弾いたりと、かなりの技術が必要とされるシーンで、それに加えて表情も色を付けなければならず、初日にしてクライマックスと言っても過言ではなかった。おまけに観客役のエキストラまでたくさんいた。ただ、演技をするという感覚よりも演奏をするという、いつものミュージシャン的な感覚に近かったからか、さほど緊張せずにテイクを重ねることができた。練習の成果が思ったより出過ぎたくらい上手く弾けていたと思う。この時はチェロを一生弾いていこうと思っていたくらいだ。それくらいチェロの魅力にのめり込んでいた僕は、その後に演技に向き合う日々が来ることをすっかり忘れていた。
次の日から武蔵村山での演技パートの撮影が始まった。毎日だいたい朝6:30に新宿集合してから、スタッフと一緒にバスで現場に向かう。武蔵村山まで1時間以上かかるのだが、慣れない雰囲気を打破するため、共演相手の女優さんに移動中終始爆裂トークを繰り広げていたので到着する頃には疲れていた。彼女もすごく疲れていたと思う。申し訳ない。「移動でこんなに話す役者さんはいない」と笑いながら何度も言われた。爆裂トークのおかげですでに打ち解けていたので、演技にも入りやすいはずだと思っていたが、逆に女優さんの演技スイッチの切り替えに圧倒された僕は、さっきの雰囲気はどこに?などとアホみたいな表情をかましていた。
冒頭に書いたが、僕はリハーサルができない。そう、今までは出来なかった。ただ、撮影が進むごとに照れは減っていき、リハーサルで本番と同じ気持ちで臨むことができるようになってきた。今まで長い役者現場を経験したことがなかった僕にとって、音楽現場に戻ることなく、演技の日々を連続で過ごせたのは感覚の矯正になった。そしてみっちり3日間の撮影を終え、もちろん反省の方が多かったが、気持ちは充実していた。今なら良い演技ができそうだ。
川谷絵音(かわたに・えのん)
日本のボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。1988年、長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。