川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第1回「赤からを食べた日」
更新日:2024/10/18
そう思っていた僕だったが、次の撮影までは1日空くことになっていた。ジェニーハイ×yamaのMV撮影が入っていたからだ。そして不運なことに僕は一瞬だけでも音楽現場に戻ったことで、次の映画撮影日にしっかり照れを取り戻してしまう。市役所での撮影が始まり、役者の数もエキストラの数も増え、なによりセリフの量が増えた。圧倒的に演技経験がない僕は役者の皆さんに劣等感を感じてしまい、照れ×劣等感の掛け合わせでリハーサルが体感3割くらいの演技力になっていた。モニターでプレイバックを見るのも恥ずかしかった。
そのままの気分をしばらく引きずっていたが、5日間撮影が続いたので、気付けばまた照れはいなくなっていた。結局どれだけ現場に身を置くか、それに限る。慣れない早朝からの撮影の日々に疲労は溜まっていたが、家に帰ってからチェロを弾くことで精神的に癒されていた。その後もライブが入ったりでまた照れが見事に復活したりしたが、減る速度も速くなっていった。最後の1週間の長野での撮影は、僕にとって一番長い連続役者現場で、演技の面白さも、監督やスタッフと意見を交わしながら一緒に作品を作る楽しみも知った。
演技に対する反省は無限に出てくるが、主演映画を1本作れたことは自分にとってかけがえのないものになった。
ただ、1つどうしても後悔がある。撮影中、顔が浮腫まないように夜は炭水化物を取らないようにしていた。一番浮腫まない食べ物は何だろうと思い、何故か鍋にいきついた僕は高い頻度で赤からの鍋を食べていた。それが何よりも失敗だった。スープに塩分がめちゃくちゃ入っていたのだ。
試写会で初めて作品を見た時、赤からを食べた日のシーンはすぐにわかった。笑っちゃうくらい浮腫んでいた。というか笑った。撮影中はあまりプレイバックを見ていなかったので気付いていなかった。びっくりするくらいパンパンだった。頬と瞼がお互いの圧力で押し合い、それを合図に顔中が喧嘩し合っていた。照れがどうとか、劣等感がどうとかじゃない。そもそもパンパンに浮腫んでいたんだ、僕は。演技と向き合う前にパンパンに向き合わないといけなかった。
僕は浮腫みに敏感になり、どんな撮影も全て終わってから赤からを食べるようになった。デンキバリブラシという美容ブラシをデンキバリブラシ2に新しく買い替えた。暇があれば鎖骨の凹みを指で押すようになった。僕の美容意識は上がり、演技のことは忘れた。レンタルしていたチェロも返却し、YouTubeの再生履歴は美容とゲーム配信とお笑いばかりになった。役者をやった1ヶ月は幻だったのかと思うほど音楽漬けに戻り、年末の今年のベストバイ企画では美容ブラシや美容品を紹介する意識高い系ミュージシャンに変貌した。それに対する”照れ”は驚くほど出なかった。
あっ、でも演技はまたやりたい気持ちはあるので誰か誘ってください。
川谷絵音(かわたに・えのん)
日本のボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。1988年、長崎県出身。「indigo la End」「ゲスの極み乙女」「ジェニーハイ」「ichikoro」「礼賛」のバンド5グループを掛け持ちしながら、ソロプロジェクト「独特な人」「美的計画」、休日課長率いるバンドDADARAYのプロデュース、アーティストへの楽曲提供やドラマの劇伴などのプロジェクトを行っている。