「あなたの一生懸命って、自分の気が向くことだけでしょ」18歳の少女の自立を描く「なでし子物語」シリーズ最終巻
PR 更新日:2024/10/11
ただ、静かに微笑んでそこにいればいい。むりに愛嬌をふりまかず、ただ、美しくそこにあればいい。そう言われた18歳の瀬里は母親に問う。美しくあるにはどうしたらいいのかと。〈毎日、自分を進化させること。新しい自分を作るということ。そのためにはいつだって前を見て〉〈顔を上げて、生きるのよ〉。それが母の答えであり、本作『常夏荘物語』(伊吹有喜/ポプラ社)でしめくくられる「なでし子物語」シリーズで描かれてきた、核でもある。
小学4年生で親に捨てられ、地元・遠州峰生の名士である遠藤家の祖父にひきとられた燿子を主軸に描かれてきた本シリーズだが、未読の方にも手にとりやすい一冊だと思うので、ここではあえて既刊の情報には触れずにおく。というのも、本作におけるもう一人の主人公・瀬里もまた、母やその周辺の人々が何を背負ってきたのかを知らない。遠藤家の影響が及ばないはずの東京で、通うはずの予備校をサボってバイトしながら、自分が進むべき道がなんなのか、自分はどうありたいのかを模索している。
そんな娘を案じる燿子には、とかく苦労が多い。夫から思いもよらぬ理由で離婚を切り出されるし、「女は表の仕事に口を出さない」の不文律を破って興した事業はいやがらせを受けるし、胸を痛めることばかりである。
瀬里がのんきなのは、経済的なことも含めて、幼い頃から恵まれた環境で育ったから。だから、燿子の事業が盗用されたときも、無邪気に言うのだ。東京のおしゃれな人に認められたなんて光栄じゃないか、と。守られることに慣れた彼女は、ひどく子どもだ。大叔父から紹介されたバイト先で〈瀬里ちゃんの一生懸命って、自分の気が向くことだけでしょ。気が向かなくても必要なことをきっちりやり遂げるのが仕事なのよね〉と言われる場面にも、甘さが浮きあがっている。けれど地元の祭りに参加するなど、改めて自分の境遇に向き合うことで、瀬里は少しずつ心を自立させていく。
自立とは、自分の足で立ち、うつむかずに顔を上げて生きること。自律とは、みずからを律し、美しく生き、あたらしい自分をつくること。それは、幼い燿子が家庭教師に教えられて以来、自分に言い聞かせてきた言葉だ。想いを口にすることが苦手で、娘とすら関係を上手に築くこともできず、迷ってばかりの燿子を支えてきたのは、自立と自律の精神だ。その二つを身につけることが“美しさ”につながるのだと知っている母の背中を見ることで、瀬里もまた大人になり、自分なりの美しさを磨いていくのである。
母が隠し通そうとしていた父の事情。憧れていた人と母の間にあった確執。過保護なほどに世話を焼いてくれる大叔父と母の絆。名家だからこそ逃れられない人間関係のしがらみ。瀬里は、何も知らない。知らせずに、守ろうと、燿子はもがき続けてきた。そのすべてを瀬里が言葉にせずとも察したとき、顔を上げて凛と前を向く強さを継承したとき、母娘のわだかまりはほどける。その姿をぜひ、見届けてほしい。
既刊については触れない、と言ったが、もし本作を読んで燿子の過去、そして大叔父――立海との間に何があったのかを知りたくなった方はぜひ、さかのぼって読んでみてほしい。長い時の果てに燿子がたどりついた場所の重さと、そして美しさに、より心が打たれるはずだから。
文=立花もも