第16回「もうええでしょ! スタ満ソバライス付き食うてダイエットはこの辺で終わりにしましょ。」/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない⑯
公開日:2024/9/6
ぐうぐうと空腹の予鈴が鳴り響く。
布団の上でごろごろスマホをいじっているうちに、お昼ご飯の時間はとっくに過ぎていた。
昨日の深夜に食べたはずの、油そばはすっかり下校して、教室の胃の中は空っぽになっているじゃないか。
放課後の教室で、好きな人と過ごす絶好のイベント発生。
何にしようか、うーん…。
白米も食べたいけれど、麺も食べたい気分。
優柔不断なので、どちらかひとつを選ぶことはできない。
二股なんて許されないってわかっているのに。
ぐぬぬと頭を抱える。
布団の上に横たわっているだけなのに、頭の中は何を食べるかで、とんでもなく忙しい。
ふわふわ包み込んでくれるお米。ストレートに気持ちを伝えてくれる麺。
決められるわけないじゃん。
痺れを切らした空腹がイライラに変わろうとしたとき、スタミナたっぷりのラーメンが、きらきら流れ星になって流れてきた。
そうだ! スタ満ソバなら、麺と同時に白米にも合わせることができるじゃないか。
しかし、ずっと寝ていただけの人間が、麺と白米を食べるなんて許されていいのか?
カロリーオーバーでラブイズオーバーになるんじゃないの。
自問自答を繰り広げていると、心の中に最近住み着いているピエール瀧が声を荒げてきた。
もうええでしょ!
スタ満そばにライスつけるのは太るって?
そんな意味のないことばかり考えるのも、もうこのへんで終わりにしましょ。
そないに今日のカロリー気にしたところで、来週の自分は細かいカロリーまで覚えてませんよ!
せっかくどんな食事をとるかってとこまで、こっちで全部決めはったのに。
ここにきて今だけ米抜きにしたところで何の意味もありまへんがな。
さっさと決めへんと、家系ラーメンに気持ち持ってかれますよ?
それにおたく、今更何言うてはりますの?昨夜は油そば大盛り食うてはりましたやん!
もじもじ決められずにいた、わたしの頭の中で、繰り広げられる誘惑に背中を後押しされる。
『地面師たち』
この圧迫するかのように決定を促す関西弁は、Netflixドラマ『地面師たち』の影響だ。
地面師とは、他人の土地をオーナーになりすまして、勝手に売ってしまう詐欺集団のことを指す。
実際に存在した不動産詐欺事件をテーマにした物語。
彼らが目をつけたのは、市場価格100億円の過去最大の土地。
プロの不動産詐欺集団と、優秀な大手企業のデベロッパー、この事件を追う警察たち。
常にスリルが付きまとい、どうかバレないでくれ…と感情移入してしまうほど、のめり込んで一気に全話見てしまった作品だ。
空腹にすら翻弄される自分には、どんなトラブルが発生しても冷静さを保ち続け、欺き通すなんてこと絶対にできないだろう。
それを決定付ける出来事が、ドラマ視聴中に起こった。
まさに『地面師たち』4話を見ていたとき、夜遅くにもかかわらず、一件の電話がかかってきたのだ。
基本、電話番号は登録しないので、「誰だろう? 飲みの誘いかな…?」と億劫な気持ちで電話に出てみた。
すると、身に覚えのない不動産屋さんからの「酒村さん本人でお間違いないでしょうか? 現住所をお伺いしてもよろしいでしょうか? 郵便番号からお願いします」という旨の電話だった。
「え? 地面師?」ちょうど、不動産屋さんからの電話ということと、切羽詰まったシーンを見ていたこともあり、頭の中はポップコーンのように弾けてパニック状態になった。
動揺で飲みかけていた緑茶サワーの缶を倒してしまった。
そもそも、わたしは自分の住所や郵便番号をいつもパッと思い出せない。
人の誕生日も名前も覚えることが苦手で、とにかく身近なものに対する物覚えが悪いのだ。
というか、知らない人だった場合、むやみやたらに住所なんか教えることはできない。
あわてんぼうの酒村は、「一旦、本人に確認してから折り返しお電話させていただきます」と電話を一方的に切ることにした。本人なのに。
数十分後、ちょうど4話を見終えてほっと一息ついたところ、社畜OLの妹からぷるるると電話がかかってきた。
「なに?今、(ドラマ見ていて)忙しいんだけど」
「おい、ねえね。不動産からの電話切ったでしょ?ねえねが、今引っ越そうとしている家の連帯保証人になってるから、確認の電話だったんだよ!
住所もわからないとか言うから、自分の住所も把握してないって怪しいって思われちゃってるよ」
と言われた。
ああ! 確かにわたし連帯保証人にサインさせられた記憶があったわ〜と思い出した。
妹は、2階の住民が夜な夜な仲間たちを集めて、セッションを奏でているので眠れない日々を送っていたそうだ。
歌から始まり、歪んだギターの音色が平凡な日常をかき消し、最終的には太鼓までどこどんどこどんと鳴り響くんだとか。
子守唄にならない騒音に耐えられず、ノイズキャンセリングしようと思って、イヤホンをBluetoothで接続しようとしたところ、なぜか音楽隊の住民の部屋のスピーカーに接続されてしまったそうだ。
そこで、間違えてわたしの「おっはモーニング♪」から始まる動画を流してしまい、聞こえないなぁと音量をどんどん大きくしていったら、上の住民のスピーカーにつながっていることに気づき、時はすでに遅し。
「あれ? 酒村ゆっけ、じゃね?」と静まり返り、身バレを恐れた妹は、泣く泣く引っ越すことになったらしい。
実質、土地を奪われたのだ。
ともあれ、不動産に再度電話をかけるには遅すぎる時間帯だったこともあり、疑われたまま眠りにつくことにした。
そもそも、記入したときと同じ場所に住んでいるのだから、問題ないでしょう。
そして、朝目が覚めて、真っ先にレモンサワーを飲んで頭をすっきりさせ、ご機嫌だったのでひとりプリンセス気取ってミュージカルを繰り広げていたら、目の前のガラス越しにいたのだ。スーツを着たいかにも怪しいおじさんが。
一瞬にしてミュージカルはオペラ座の怪人に切り替わり、「ギャーーーーッッ!!」と野太い声で叫んだ。
そばにいた猫も、わたしの奇声に釣られて飛び跳ねた。
結果、庭に入り込んで窓をきょろきょろ覗いていたおじさんは、昨夜の地面師ではなく不動産屋さんだったことが後に判明した。
とはいえ、アポなしで人の庭に侵入し窓を覗いている方が怪しいと疑われても仕方がない。
ちなみに、不動産の人も『地面師』を見て、不安になってしまったそうだ(笑)。
酒村家米騒動
それから数日後、妹が引っ越しの手続きを済ませ、退去立ち会いをしたら、目玉が飛び出るような金額を請求されたらしい。
わたしも、これまで何度も引越しをしてきているけど、確かに見たことがない金額だった。
真っ当な生活をしていれば、大体は敷金でなんとかなる時代は終わったのか?
妹は日常的に、油を使ったバトルみたいな料理をしたり、豚骨を一週間煮込み続けたりしていたから、匂いでも壁一面についてしまったのだろうか。
わたしと同様に、あまり主張が強い方ではない妹は、何も言わずに用紙を受け取ったそうだが、やはり納得はしていないようだった。
「どう考えてもおかしい、綺麗に掃除もしていたし、静かに生活してた。
でも、家に入ったときに大量のお米が散らばってたから、それが原因に違いない。」
大量の米…。
たしか妹の新居引越しを手伝ったとき、一緒に手伝っていたぴえんないとこが、「夏だし旧居も使う予定ないならひとりかくれんぼを、みんなでしたいのですわ!」と提案したのちに、ホラーが苦手な妹に断固拒否されていたなぁ…。
ちょうどその頃、ぴえんさんは、プライベートで裁判をしていたこともあり、落ち込んでいたので帰りたくなかったのかもしれない。
最終的に、終電を逃したぴえんないとこは、妹に旧居に泊まる許可を得て、ひとりかくれんぼという降霊術のような儀式を一人きりで行っていた。
そもそも、ひとりかくれんぼって、名前の通り一人でやるものなんだよな、と思っていたしょうもない夜を思い出した。
きっと、電気も止まっていたので、こぼしたお米に気づかず、暑さにやられて、家を出てしまったのだろう。
「清掃代は、ぴえんさんに請求するしかない!」と憤る妹。
身内で米騒動が起こる日がくるなんて世も末だ。
ぴえんさんは裁判で、無事勝利を収めることができたそうで、その勝ち取ったお金で妹による米請求を支払うことになったそうだ。
麺と米、ビールで描くカロリーの大三角形
人間って、疑ったり疑われたり、本当に忙しい生き物だ。
お金は魔法であり、まやかしだ。
大人になればなるほど生きづらい世の中で、ラーメンは自分のことを絶対に裏切らない。
常に身体に正直だ。
よし、こうなったら正面からかかってこい。カロリー丸ごと抱きしめて、受け止めてやろうじゃないか。
なんてかっこいいことは言えないので、共犯者をつくろうと、ぴえんないとこを誘って一緒に行くことにした。
スタ満ソバは全部乗せ、トッピングはうずらのまさお、ライスもつける。
なんならビールも注文してカロリーの大三角を描こう。
ただ、ぴえんないとこは、あの日から米と人間が怖過ぎて、小麦しか食べられなくなってしまったそうだ。ライス抜きなんてもったいない。裏切り者だ!
勢いよくビールを数口飲んだら、こってりスープをワシワシの麺にどっしり絡めてすする。
すかさず、炒めた玉ねぎや豚バラをかきこんで、そのままライスの上にお引越し。
背脂のったスープをまわしかけたら、スタミナ丼の完成だ。
米も麺もどちらも主役。
ふたりがいるからビールがより一層輝く。
米を食べては、麺をすすり、わたしのお腹の土地は、おいしい優しさの裏にあるカロリーによって、凶暴に占領されていく。
明日から、ご飯の量を控えればきっと大丈夫。そう思いながら、ビールのおかわりまで頼んでしまった。
ぐびぐびっとおいしーーー!!
米粒ひとつ残さず、ごちそうさまでした。
家に帰ったら、布団の上で『地面師たち』2周目、見ましょうか。