安部若菜 エッセイ連載「私の居場所は文字の中」/第3回「いかないで入道雲」
公開日:2024/9/13
入道雲を見ると、昔からなぜか切なくなります。郷愁、というのでしょうか。人生のほとんどを大阪で過ごしてきたのに、田んぼや木々が悠々と広がる見知らぬ遠い故郷が心に浮かんで、何かやり残したような焦燥感に駆られます。
祖母の家で過ごした夏休み、すっかり嗅ぐことのなくなった土の匂い、何も気にせず太陽を浴びて走り回っていたあの頃(もっとも、小学生の頃から家でゲームばかりしていたのですが)そんな今では取り戻せない記憶が心に浮かんではぷくぷくと消えていく。
眩しくて、キラキラで、思わず目を細めてしまうようなそんな風景。
でもそんな眩しい青春というものが大嫌いでした。
学校に行って、友達とはしゃいで、部活に打ち込んで、放課後はお出かけして。そんな当たり前の青春を一歩外れたときから、青春は途端に冷たい目を向けてくきます。青春は、普通に厳しい。一度疑問を持ってしまったら、割れた卵は元に戻らない。
今回の『私の居場所はここじゃない』の第1章の登場人物である”莉子”も普通の青春、普通の友人関係に悩み、自分にとっての”当たり前を “を見直すことになります。今振り返ってみると、人生の大部分を形成するのは結局、高校時代ではないかと思えてなりません。人格形成の大半は3歳〜10歳というけれど、社会における自分の形成はもっと後なんじゃないでしょうか。中学時代はまだどんな自分にもなれると本気で思ったりできたけど、高校になると自分の立ち位置を何となく飲み込めるようになって、あまり高校時代の自分と今23歳の自分は変わってないなぁとも感じます。
ただ、私は高校1年生の終わりから今までNMB48という同じ環境にいるので、それも自分が変わっていないというのに大きな影響をもたらしているのかもしれません。
現在は小6〜27歳まで幅広い年齢が在籍しているグループですが、NMB48を卒業していく人たちが、口をそろえていう言葉があります。
「NMB48は私の青春でした!」
正直、自分自身がアイドルになるまで、一種の定型文なのだと思っていました。
だけど自分が飛び込んでみると、確かに青春だと感じさせる瞬間にあふれています。友人よりも近く、ずっと一緒にいるメンバーたち。泣いたり悔しがったり、何度も爆発する感情。自分を応援してくれている人とうれし泣きする瞬間。
私は高校をドロップアウトしてしまったけれど、何歳になっても青春はやり直せるんだと勇気ももらえました。
あまり詳しくはないのですが、古代中国の思想で、人生を四季にたとえたものがあるそうです。それによると人生は「玄冬」から始まり、「青春」はその名の通り春。ということは、人生100年時代にこれを当てはめると、0〜25歳が玄冬で、25歳〜50歳、折り返しまでが青春ということになります。
……どうやら私はまだ青春時代に突入していないようです。
それにしても、冬が人生の終わりではなく始まりで、最後が「白秋」と秋の実り豊かな時期を合わせているのはなんと素敵な考えだろうと思います。
9月に入り季節は秋へと進んでいますが、人生の秋に向けて、毎月毎月、自分自身に栄養を与えていきたいものですね。「青春」を迎える歳になっても、私は入道雲がうろこ雲に変わる時期は、きっと胸が締め付けられることでしょう。
安部若菜の最近読んだ本
小川糸さん『椿ノ恋文』
小川糸さんの綴る言葉は、四季を繊細に感じさせてくれて、今まで気づかなかった世界の淡い色に気づかせてくれる力があります。鎌倉を舞台に、反抗期を迎える娘を持つ主人公鳩子。「代書屋」という依頼主の手紙を代筆する仕事をする鳩子のもとに、今回も様々な手紙の依頼が舞い込み、母親としても代書屋としても奮闘する鳩子のていねいで温かい1年間の物語です。
ツバキ文具店シリーズの3作目ではありますが、きっとこれだけを読んでもじゅうぶん楽しめること思います。
これを読むと手書きのお手紙を書きたくなってしまうのですが、いつも手紙を出す相手がいないのが難点……。文字を書くことも少なくなってきましたが、文字は人なり。素敵な言葉と文字を紡げる人でありたいです。