80歳の老女とその妹――豪邸に二人きりで暮らした姉妹の謎多き人生を、20年ごとに遡り追体験できる感動小説
PR 更新日:2024/9/18
幸せは近くにあるとは限らない。ときにそれは途方もないほど遠くにある。歯を食いしばりながら一心不乱に走り続け、闘い抜いた先にある幸せの場所。それを手にした姉妹の物語——『さいわい住むと人のいう』(菰野江名/ポプラ社)は、そんな二人の女性の生きざまを描き出した感動作。『つぎはぐ、さんかく』で第11回ポプラ社小説新人賞を受賞した菰野江名氏による、受賞第一作であり傑作だ。
「女性の人生を描き出した物語」というから、幼少期からの姉妹の姿を描き出していくのだろうと思いながらページをめくると、この本はまるで違った。最初の舞台は、2024年。物語は、市役所の地域福祉課に異動になった青年・青葉の視点から始まる。
青葉が「会っておいた方がいい」と紹介されたのは、大きな屋敷に住む80歳の老女・香坂桐子。元教師の桐子は顔が広く、教育から身を引いてからも町の人から何かと頼りにされているらしい。妹の百合子と二人だけで暮らしているというが、彼女たちはいつから姉妹で暮らしているのだろう。姉妹そろって高齢だというのに、大きな螺旋階段のあるこんな大きな家に二人暮らしで大丈夫なのだろうか。青葉は疑問に思いつつも、桐子から家の中を案内されると、どういう訳か昔の記憶が蘇ってきた。
そこから時代は20年ずつ遡り、姉妹の人生が少しずつひもとかれていく。戦争で両親を亡くし、親戚の家を転々としてきた彼女たちは、いつの日か自分たちだけの「理想の家」で自由に暮らすことを夢見ていた。だが、居候する七軒目の家で、二人は思いもよらぬ事態に見舞われる。「くやしい、くやしい」とその場で泣き崩れた桐子は、ある決意をする。
「自由になるのよ。闘って、手に入れるの」
時代を遡る形式で描かれるからこそ、最初は分からないことだらけ。「この姉妹はどうしてこの家で暮らしているのだろう」「この家をどう建てたのだろう」と疑問に思いながら読みすすめていくうちに、気づけば、この姉妹のことが愛おしくて愛おしくてたまらなくなってしまう。
「若い頃からずっとあんな感じでしたよ。淡々としていて、他人にも自分にも厳しくて。でも、間違いを許さないのではなくて、どうしたら間違いじゃなくなるかを、一緒に考えてくれるような先生だったと思います。『どうしたら正しくなるか』じゃなくてね」
ある人は、桐子のことをこう語る。桐子はいつだって悩んでいる人のためなら、すぐに手を差し伸べるが、にこりともしない。いつも微笑んでいるようにみえる百合子とは対照的だ。どうして二人はこうも違うのだろう。それには彼女たちの人生が深く関係している。
理想を持ち、自分を信じ、ひたすら闘っていくことを選んだ姉・桐子と、決められた生活の中に囚われた妹・百合子。互いが互いを思い合い、悩み、苦しみながらも、精一杯日々を生きてきた。本作を読むと、そんな二人の心の叫びが聞こえてくるかのよう。巧みな心理描写に心揺さぶられ、胸が痛いほど締め付けられる。かと思えば、ふとした何気ない台詞にじーんと心温められ、思わず涙腺が緩むのだ。
ああ、これが生きるということなのだろう。上手くいかないことも、苦い思いをすることもある。だけれども、遠くにある幸せを目指して、毎日を駆け抜ける。そうするうちに、きっと「さいわい住む」場所へとたどり着ける。そんな人生を追体験できるだなんて、なんて贅沢な時間なのだろうか。これぞ、文芸だ。この滋味深さを、じっくりといつまでもずっと味わっていたい。そんな気持ちにさせられる、老姉妹の人生、彼女たちの闘いを、ぜひともあなたも体感してほしい。
文=アサトーミナミ