いい母親という演出を、一つでも削ることに意味がある。『虎に翼』脚本・吉田恵里香さん「本当はもっと“我儘”な寅子のシーンを入れたかった」《インタビュー》
公開日:2024/9/14
“間違いのない人”だけが声をあげていい、という風潮に「はて?」
――物語をつくるとき、社会に対するしんどさや腹立たしさが原動力になることは多いのでしょうか。
吉田 怒りは、ありますね。率直に言えば「あなたにとって心地のいい作品ばかりつくると思うなよ」「しんどいことをしんどいまま描いて何が悪い」という気持ちがあります(笑)。ただ、そういう私の作品に対して、怒る人もまた間違っていないというか。争ってほしいわけじゃないけど、論議が起こらない状態がいいのかといえば、そうとは限らない。『虎に翼』で扱っているのは、今なお連綿とつながっている社会の問題だから、物語のなかだけでスカッと解決させることもできない。だったら、問題提起する方向に舵を切ろうと思いました。私自身、描き方を間違えることはあるだろうし、一つひとつみんなと一緒に考えていきたいな、と。
――シナリオ集のあとがきでも、完璧じゃなくてもいいじゃないか、というお話をされていますよね。間違いのない人だけが声をあげていいわけではない、と。
吉田 以前からそう思っていたのが、『虎に翼』を経てよりいっそう強くなりました。私も、もともとは法律のことはよくわからないし、距離を置いていたほうなんですよ。当事者でもない私が物語で描くと、きっといろんなところから怒られてしまうだろうなあ、って。でもそれって、差別の構造をそのままにしておきたい人たちにとっては、思うツボなんですよね。わからないなりにも声をあげていかないと、同性愛を「禁じられた愛」とうたったり過度に美しいものとして扱ったりすることは、いつまでたってもなくならない。トランスジェンダーやノンバイナリー、それ以外のマイノリティを『作品の起爆剤』として扱うだけでは、差別や偏見は減らない。観る人がすっきりするためではない描き方も、物語ではちゃんとしていかないと。
――どうしても、当事者じゃないから気軽に声をあげられない、と思ってしまいますが、当事者が声をあげることは、そもそもとてもハードルが高いですしね。
吉田 今年の夏の甲子園で、京都国際高校が話題になりました。校歌が韓国語であること、その歌詞に「東海(韓国が主張している日本海の呼称)」が入っていることで、批判が殺到したんですよね。それに対して、主将の男の子が「仕方ないことだと思っている」と発言していたのが、私はものすごくショックでした。怒ってはいけないという気持ちが彼の中にはあるんだな、って。もちろん簡単に解決しない問題でもある。彼らがどういった思いで校歌を歌ったのか、私もきちんとは把握しきれていません。でも、そのことを発端として、差別的な意見がネット上に吹き荒れること、彼らを中傷することは、絶対に受け入れていいことじゃないと思うんです。
――『虎に翼』で描かれていた「スンッ」に近いものを感じます。
吉田 『虎に翼』は女性の物語ではあるけれど、学生時代編に花岡や轟の「スンッ」も描かれるし、もちろんヒャンちゃんをはじめとする在日コリアンの方々の「スンッ」も描いている。航一だって、寅子と結ばれるまでは「スンッ」としていたと思うんですよ。性別にかかわらず、社会的に何かを制限されている、ともすれば虐げられてしまう可能性のある人たちが、物わかりのいいお利口なふるまいをすることでしか、最悪の事態を回避できない。誰かにとって都合のいい、面倒を起こさないための抑圧の象徴として「スンッ」という言葉が生まれたのだと思います。
寅子の母性をたたえるような物語にしてなるものか、と思っていた
――寅子も「スンッ」としていた時期はありますが、基本的には黙らない姿勢の彼女の言動は、ときに賛否両論を呼び起こしていました。実際、私も「それはどうなの?」と思ってしまうときがあり、抑圧はよくないと思いながらも、寅子に「大人」のふるまいを求めてしまうのはなぜだろう、とたびたび考えさせられました。
吉田 「視聴者が不快に思わない程度の怒り」を描くのが、日本のドラマのセオリーではあると思います。寅子は、それをしなかったから、おっしゃるとおり「おとなげない」みたいな意見もしばしば耳に届きました。でも、これまたおっしゃるとおり、そういう抑圧に抵抗する寅子を応援したい気持ちがあったんじゃないの? とも思うんですよね。それに実際、寅子はそこまでの我儘を言っていない。家族と溝ができたとか、穂高先生との関係が悪化したとか、個人的な問題は生じていたかもしれないけれど、社会に不利益を与えるような何かはしていない。本当は、はやく帰ると約束したのに飲み会を優先するとか、仕事していると嘘をついて飲みに行っちゃうとか、そういうシーンも入れたかったんですけど。
――いいか悪いかは別として、働いている人にはよくあることだと思いますが、それを朝ドラで描いたら確かに批判が殺到しそうですね。
吉田 そしてそれはやっぱり、寅子が女性だからだとも思うんですよね。もちろん男性が約束を破っても嘘をついても怒られるとは思いますけど、度合いは違うんじゃないのかな。だから、ちゃんとした母として描きすぎないということも、意識していました。もうね、私、母性って言葉が本当にきらいなんですよ。もちろん、わが子だけでなく、若い子には健やかであってほしいとか、おいしいものを食べさせてあげたいとか、そういう気持ちがわくことはあるし、名前を付ければ母性としか言いようがないのかもしれない。でも絶対に、寅子の母性をたたえるような物語にしてなるものか、と。
――個人的には、働きながらトラちゃんはよくやっていると思っていました(笑)。家父長制の権化みたいになって、花江たちに糾弾されるシーンも、私が家族を養う立場だったら同じような態度をとりかねないなあ、と、どちらかといえば身につまされましたし。
吉田 新潟編で、寅子が「今日の夕飯はお菓子にしない?」って優未に提案するシーンがあるのですが、打ち合わせで「これはお餅じゃだめなんでしょうか」って言われたんですよ。でも、お餅は焼かなきゃいけない。その工程を挟んでいる時点で立派な料理だし、メニューを選択しているに過ぎないんですよね。ふだんは絶対に食事として選ばないお菓子をそのまま食べ、しょっぱいものがほしくなったから、かろうじてお漬物を切る。そのギリギリな感じを描きたかったんです。
――現代だったら、マックやカップラーメンみたいなことですよね。母親は罪悪感を抱えつつもほっと息がつける。そして子どもにとっては、ギリギリのお母さんに頑張り続けられるよりも、実はたまの非日常がすごく嬉しかったりする。
吉田 そうなんです。優未にとっても、お菓子の夕飯は、とても幸せな記憶として定着する気がしています。16週では、夜中にキャラメルを食べた後に歯磨きをする描写が入って、視聴者からは寅子が褒められていたと聞いたのですが、歯を磨かないで寝てもいいじゃないか、くらいに思っていました。私だって実際にそういう状況になったら、息子に歯を磨かせるとは思いますけど、それすらできない状況の人もいるはずだし、いい母親という演出を、一つでも削ることに意味があるんじゃないかというのは、『虎に翼』に限らずドラマづくりをするうえで感じていることですね。
――そういう「完璧じゃなさ」を、ドラマを通じて肯定されることで、救われる人はきっとたくさんいると思います。
吉田 そういう前例をつくることで、のちのち別の誰かがドラマをつくるときにも、意見を通しやすくなると思うんですよね。「だって『虎に翼』ではやってましたよ」って。私のやっていることがベストアンサーだとは思わないし、先ほども言ったようにきっと、間違っていることもあるはずだけど、賛否の意見が飛び交うことで、さまざまな知識や情報が集まり、人の目に触れ、議論が活性化していく。『恋せぬふたり』を書いたときもそうでしたが、答えを出したり褒められたりすることをめざさないことを、今は意識したいと思っています。