『光が死んだ夏』はホラー?ブロマンス?青春譚?語り尽くせぬ魅力に沼る人続出の漫画をレビュー
公開日:2024/9/19
青春といえば、夏。夏祭りや、自転車をこぎながら汗だくになった日々が頭に浮かぶ。しかし、夏ならではの怖さもある。夜、あれだけ鳴いていたセミたちがいっせいに鳴きやむこと。家族や友人が、当たり前のように怪談を語り出すこと。明るさと暗さの共存した季節だ。
漫画『光が死んだ夏』(モクモクれん/KADOKAWA)のタイトルは秀逸だ。主人公にとって「光」という人物が大切な存在であったことだけではなく、その後に「光」の死と夏を結び付けて読者の恐怖心をあおる。本作の中心となるのはふたりの少年、よしきと光。幼い頃からの友人だ。1巻序盤、アイスを食べるふたりの平和なシーンは、よしきの「お前やっぱ光ちゃうやろ」という一言で一変する。光の顔の半分は「完全に模倣したはずやのに」という言葉と共にグロテスクに溶け、夏独特の恐怖が表出する。
よしきの知る、幼なじみの光はもう死んでいる。彼の目の前にいるのは光を模倣した得体のしれない怪物だ。本作はこの真実にたどり着く作品ではなく、この真実をよしきが確信するところから始まるのである。怪物は光として日常に溶け込むが、よしきはさまざまな要因から彼が光ではないと見抜く。光を模倣した怪物はよく「めっちゃ好き」とよしきに言うのだが、その「好き」の意味は本人もわかっていないようだ。友情でも恋愛感情でもない「好き」は何を意味するのだろうか。
ただ彼が光ではないと見抜いたのはよしきだけではない。始まりは光を見ておののく老婆が登場して変死したのだ。彼女は光を見てこう言っていた。
“「ノウヌキ様」が下りてきとるやないかああ~~”
「ノウヌキ様」とは、この集落で代々語り継がれる怪異の象徴だ。一部の住民はその存在を恐れ、老婆もそのひとりだった。そして彼女は、光を見た瞬間に、恐れが現実になってしまった。やがて、この集落には、「ノウヌキ様」につながる恐ろしい歴史があったことが明かされる。
光の恐ろしさは「人よりちょっと見える人」である近隣の主婦や、子どもの頃に「聞こえる」子と呼ばれた、よしきたちの同級生の朝子をも巻き込んでいく。ついにその危険は「見える」「聞こえる」人ではない、よしきの家族にまで及ぶ。そんななか、謎の企業からやってきたという、サングラスをかけた青年が登場する。彼は恐れることなくひょうひょうとして集落に入る。本作のキーマンとなる存在だ。
怪異的なシーンの衝撃はもとより、私にとってもっとも印象に残ったのは、最初に「ノウヌキ様」という言葉を出した老婆の遺族が登場する場面だ。老婆は見るからに異様な出で立ちで、私も遺族の登場まで、その老婆の死を怪異現象としてしかとらえていなかった。しかしよしきは、遺族の女性に会ったことで、孤独で不気味な老婆もあくまでもひとりの人間であること、つまり死んだら悲しむ存在がいるということに思い至る。
よしきと既に死んでいるはずの光を模倣した怪物。危険だと知りつつ怪物から離れられないよしき。このふたりの関係はもとより、本作は人間の生死を重くとらえた漫画でもある。
私は最新刊の5巻まで読んでから、再び読み返して再認識した。ホラー要素の強さから見逃しがちだが、よしきの心は序盤から徐々に成長している。死の持つ重さを、彼は敏感に感じ取れるようになっている。本作は、怪奇ホラーとしてだけではなく、よしきの暗く重い成長物語としても読めるのではないだろうか。
再びページをめくる私は、もう二度と戻れない青春期の夏を感じる。10代の心の成長も、恐怖の暗闇も、すべてこの作品の中に詰まっているのだ。
文=若林理央
関連記事