トム・ブラウン布川ひろきのエッセイ連載「おもしろおかしくとんかつ駅伝」/第8回「柔道」

文芸・カルチャー

公開日:2024/9/30

おもしろおかしくとんかつ駅伝

パリオリンピック。柔道がすごく盛り上がっていました。熱戦で盛り上がっていたのはもちろんですが、不可解な判定で注目を浴びていた面もあります。

毎日のようになんともいえない判定があったので、その度に

「あれは反則だよね?」

「あれは一本じゃないの?」
と、周りから聞かれました。

なぜなら僕は、小学3年生から高校まで柔道をやっていたからです。
一応オリンピックメダリストも輩出している道場でしたので、ある程度は柔道をわかっているつもりです。

でも自分がある程度柔道をわかっていると思う一番の理由は、メダリストを輩出している道場出身だからではありません。

「僕の柔道スタイルが日本柔道精神のスタイルではなかったから」

なのです。

しっかり襟を持って一本を取る柔道が、日本柔道です。

海外柔道は、一本は狙うものの、反則でもなんでもいいから勝つことを重視するイメージです。

僕がしていたのは後者の柔道でした。

相手から反則が来るのを狙い、自分にポイントが入ったら逃げまくる、日本柔道の創始者・嘉納治五郎先生が見たら涙を流してしまうような柔道です。

そういう柔道をしていたことに、理由はあります。

柔道は、小学生のうちは階級別ではないため、体重が自分の倍ちかくある人とも対決します。
僕は小学生の頃、前にならえで手を伸ばすのではなく腰に手を当てる「力道山ポーズ」をしていたくらい小さかった。
だからしっかり襟を持ちあってだと、試合に勝つことはどうしても難しかったです。

でも、逃げ回るスタイルだった一番の理由はそれとは違います。一番は、もめたくなかったからです。

中学生になり、後ろから数えるほうが早いほど身長が大きくなりました。部活で柔道部に入り週6回練習、なおかつ道場も部活終わりに週2回通っていたので、週8で柔道をやっていました。

ある時、僕が道場のエース格の人と試合形式の練習をすることになりました。道場では明らかに僕が格下という構図だったのですが、僕が思いっきりぶん投げて勝ったのです。
小学生の頃までなら絶対にありえないことだったのですが、道場のみんなは週2の練習のなか僕は週8の練習。そりゃあ僕の方が強くなって当たり前なので勝つことができました。

その後、エース格の人は超格下の僕に負けたことで先生にしこたま死ぬほど怒られて、体力が全てなくなるほどしごかれていたのを見ました。その時に

「俺がぶん投げちゃったせいだなぁ。」

と思い、わざと負けるか、僕が勝っても相手が怒られないような逃げる柔道スタイルをするようになったのです。海外の人はそういう理由ではないと思いますが。

ずっとそのスタイルでやっていましたが、高校2年生となりキャプテンになったことをきっかけに、一度自分を見つめ直しました。その時に

「相手が怒られないように柔道をするのは優しさじゃない。負けた人のことを背負わないで逃げてるだけ。」

と思い、ちゃんと一本を取りにいく柔道を心がけました。

成績は、一本を取りに行く柔道の方がよくありませんでしたが、今後の人生においてその方がよかったと、今でもすごく思います。

そんな理由で、どちらのスタイルも経験しているためどっちの気持ちも少しはわかります。

僕は、今回のオリンピックで選手は誰も悪くないと思います。何をしてもどんなことをしてもいいから勝ちたいと思うのもいいし、一本を取る柔道を心がけるのもいいと思います。

よくなかったのは、一部の審判の方なのだと思います。審判の皆さんの基準があいまいだったり、自信を持ってジャッジをしいていなかったり、そんな様子を見て選手も「?」が浮かんでしまったのかなと思います。

僕は昔、試合でオチそうに(絞め落とされそうに)なったことがあるのですが、意識があいまいなときに「まいった」を宣言していたようで、負けを宣告されました。そこで僕が
「まいったはしてない!」と、くらいついたら

「君はまいったをした!!」

と、毅然とした態度の審判が僕の目の前に来て鋭い眼光で言ったので、
そこまで強い気持ちで言っているならそうなのだろう、と思い引きさがりました。

オリンピックの一部の審判の方にも、そのくらいの気持ちで自信を持ってジャッジしてもらえたらと思いました。

色々とオリンピック柔道の話をしてきましたが、なにを一番言いたいかというと、審判や選手に賛否両論がありますが、一番悪いのは「柔道の団体戦を見て泣いた」と言ってるのにつっこんだらハイライトで30秒しか見てなかった相方のみちお、だということです。

皆さん。そこんとこひとつ宜しくお願いします。

<第9回に続く>

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