古舘伊知郎「下品を承知で喋り続ける」実践する生涯現役であるための準備学【インタビュー】
更新日:2024/10/15
テレビ朝日に入社後、『ワールドプロレスリング』の実況で一躍人気アナウンサーとなった古舘伊知郎さん。フリーとなってからもF-1の実況や『NHK紅白歌合戦』の司会、『報道ステーション』のキャスターなどを務め、ジャンルを超えて活躍の場を広げてきました。
新刊『伝えるための準備学』では、瞬発力のある発想や独自の言い回しで知られる実況の裏に隠された徹底した準備の軌跡を公開。自らを「喋り屋」と称する古舘さんの知られざる一面が明かされています。
「準備とは、未来を生きること」と語る古舘さんは、喋り屋としてどんな未来を思い描いているのか。若い頃から変わることのない原動力や、年齢と経験を積み重ねた喋りの変化、生涯現役であるための準備などについて、お話を伺いました。
今も変わることのない喋りの原動力
――『伝えるための準備学』では、成功も失敗も、無駄さえも準備と捉え、次に進む力にしてきた古舘さんの歩みが記されていました。そこでひとつ疑問に思ったのですが、古舘さんは仕事と生活の切り分けをどのようにされているのでしょうか?
古舘伊知郎さん(以下、古舘):僕は公私混同の極みです。あくまで僕の古臭い考え方ですけど、ワークライフバランスという言葉はまやかしだと思っています。「働くことが嫌だ」という前提に立って、オフの大切さを語っているわけじゃないですか。僕の場合、「喋り」というのを真ん中に置いちゃっているので、仕事とプライベートが分けられないんです。オンでもオフでも喋っているから、どうしても公私混同になってしまう。そこを切り離して「どうやって余暇を快適に過ごすか」を考えることはないですね。
――生活のすべてが、仕事のパフォーマンスを上げるためのインプットという感覚なんですか?
古舘:そうおっしゃってくれたほうがかっこいいんですけど、嘘が入っちゃいけないなと思ったのは、やはり意識的にインプットはしているんですよ。そうしなきゃいけないという気持ちは、いつも強迫観念のようにありますから。ただ、喋りは仕事という感覚でもないんです。だから、公私混同という言葉を使わせてもらったんですけど。喋りしかやっていないことを正当化するために、「こんなにも喋りが好きで、それ以外はまったく能がないんだ」という物語を作って生きてきたんです。
――喋りしか能がない人の物語を作ることで、生きていく道筋を定めてきたんですね。
古舘:さすがに、メディアで喋ることを遊びとは思っていないですよ。昔から放送禁止用語やコンプライアンスはあって、自由気ままに喋ってきたわけじゃないので。「かつてのテレビはもっと自由だった」なんて郷愁が聞こえてくることもありますけど、昔から制約はあるんですよ。今の制約とは違うだけで。そういうなかで喋るという意味では仕事なんですけど、制約や抑止への鬱憤を晴らすようにベラベラ喋っていたようにも思います。喋りは仕事じゃないようだし、遊びとも言えないという感じですね。
――年齢と経験を重ねてきて、ご自身の喋りはどのように変化してきたと感じますか?
古舘:変化はいろいろとありますよ。まず、滑舌が悪くなっている。若い頃はありえなかったですけど、例えば「ゲリラ雷雨」という言葉が言いづらいんですよ。噛んだらプロ失格だという意識で力んでしまい、その分だけ尺をとってしまったりして。昔だったらサラッと短く言えたんですけどね。
――力んだ分の間延びって、聞いている側は気づけないほど一瞬のことじゃないですか。だけど、話す側にとっては衰えを感じる部分なんですね。
古舘:それを自意識と呼ぶんだと思うんですよね。嬉しさも辛さも、すべてを大げさに捉えているんです。自分でも自意識過剰だなと思いますけど、それくらいの感覚でいないと滑舌はもっと衰えるし、自分はできるなんて万能感に満たされたらおしまいですよ。元来、僕は口下手だったけど、上手く喋れるように必死で練習してきた。「自分をお喋りだと思うのはいいけど、お前の原点はそこだからな」という意識は常に持っています。
――アナウンサーとしてデビューされて間もなく50年。ベテランといわれるポジションになっても、なぜそんなにストイックでいられるんですか?
古舘:いろんな理屈をつけて喋ってきたんですけど、最近思うのは単純にモテたかったのが原動力だったんだなと。運動神経がよくてリレーでアンカーを任されたとか、誰からも一目置かれるほど成績がよかったとか、優しくてかっこよくて女の子にモテたとか、この強い自意識が満たされた経験があれば、今とは違う自分になっていたと思います。
自慢できるものが何もなく、承認欲求が満たされないまま若い時期を過ごし、女の子にもモテなかった。それでアナウンサーになって、「君の喋りは面白いね」なんて言われたら、もうこの道しかないと思わざるをえないですよ。喋りの一点突破でいこうと決めて、そこに心血を注いできました。じゃあ、喋りまくったらモテるのかって言うと、まったくモテないんですけどね(笑)。だけど、そうやって自分の道筋を設定したから、歳をとっても逃れられないんだと思います。
「わかりやすさ」が評価される時代に
――ご自身の喋りで、若い頃よりもよくなったと感じる部分はありますか?
古舘:まだまだ修行が足りないんですけど、喋りが一本調子じゃなくなったと思いますね。僕が好きな古い言葉で、「歌うは語れ、語るは歌え」というのがあるんです。「歌うときこそ歌詞をしっかり把握して語るように歌い、語るときこそ抑揚をつけて歌うように語れ」という意味なんですけど。歌と喋りって密接不可分だと思うんです。
若い頃は一本調子で、捲し立てるような喋りでよかったのかもしれませんが、今はガーっと喋っていても、一番言いたいことをぐっとトーンを落として話す。そうするとみんなが「え?」って、前のめりになってくれるんです。そういう抑揚やメリハリは、少しずつ付けられるようになりましたね。
――「喋り」を突き詰めてきた古舘さんですが、音楽や文学など、他の表現に嫉妬することはありますか?
古舘:それはもう全面的に嫉妬していますね。複合的な表現である音楽には敵わないとか、小説のように抒情的に訴えかけられないと感じて、いつも「チクショー」と思っています。若い頃は誰彼かまわず嫉妬していたし、それは歳をとった今でもまったく変わりませんね。大人気なく嫉妬します。「みんなジャンルが違うんだから、音楽も文学も喋りも素晴らしい」なんて好々爺みたいなことを言うようになったら、もう終わりだと思います。嫉妬はエネルギーになる。そう捉えると、嫉妬も次に向かうための準備なんですよ。
僕は、役者のように表情に言語を宿すことも、ミュージシャンのように歌声で心を揺さぶることもできません。「ああはなれない」という嫉妬や憧れがあると、どうにか喋りを磨いていこうと思うじゃないですか。自分で言うのもなんですけど、ひたむきな気持ちになるんです。「もう喋りしかない」と悟ったから、公私混同にもなっていったんだと思います。そういう意味では、できないことを思い知ってきた人生でもありますね。
――古舘さんは喋り手としてのご自身の個性を、どのように捉えていますか?
古舘:個性は他者が決めることなんだろうけど、強いて自分で分析するのであれば、しつこさやクドさですかね。ベースがクドいから、言葉数が多くなるっていう。昔は、クドかったり、過激だったり、変な言い回しが面白がられる時代だったんですよ。イケイケドンドンって言葉があったくらいですから。だけど、今はもっとあっさりしていて、わかりやすい喋りがウケる時代なんだなと感じています。
実際、「食べやすい」とか「聞きやすい」とか「見やすい」みたいな言葉が評価として好まれますよね。クドい人間からすると、「どれだけ安易なほうがいいわけ?」と思っちゃうんですけど。その時点で時代にフィットしてないですよね。でも、ペラペラな感想で許容できないんですよ。
――確かにわかりやすいことが求められているような気がしますが、そこに対する揺り戻しもありそうですよね。
古舘:わかりやすさへの反動ですよね。だから、僕としてはそこを狙うしかないんですよ。今は完全に周回遅れになっていますが、時代が巡り巡ってもう一度クドい喋りを面白がってもらえたら、爽やかな気持ちで死ねるような気がしています。