古舘伊知郎「下品を承知で喋り続ける」実践する生涯現役であるための準備学【インタビュー】

仕事術

更新日:2024/10/15

「相手が聞きたいこと」と「自分が喋りたいこと」

――古舘さんの喋りには「伝える」と「表現する」が同居しているように感じるのですが、その使い分けで意識されていることがあれば教えてください。

古舘:喋り屋を48年やってきても、そこはまったくバランスが取れていません。「伝えてなんぼ」なんだけど、どこかで「わかる人がわかってくれりゃいいや」と思っているところもあって。

 例えば、トーキングブルース(“一人喋りの最高峰”と称される古舘さんのトークライブ)には、お金を払って積極的に僕の話を聞きに来てくれてる人が集まってくださっているので、「何を聞きたいんだろう」というのは考えます。だけど、時には「誰にもわかってもらえなくていい」という気持ちで、わざと暴走してみたりもして。そうすると、お客さんが喜んでくれるんですよ。「また始まった。このバカ、クドいわー(笑)」って。僕のワガママを許容してくれて、理解できないことも楽しんでくれるんです。

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――好きな人が、好きなように振る舞っているのを見るのは楽しいですもんね。

古舘:ただ、その時間が7分を超えると本当に嫌な顔をされるので気をつけてはいます(笑)。それ以外の仕事でいうと、やっぱり喋りたいこと喋っちゃっていますね。喋りに抑揚やメリハリをつけて、興味のない人も惹きつけられるように努力はしていますけど、完璧にバランスを取ることはできないですね。

古舘伊知郎さん

――「喋り」で手応えや喜びを感じるのは、どんなときですか? 伝えるべきことが伝わったと実感できたときなのか、自分が言いたいことを言い切れたときなのか、もしくはまったく別の瞬間なのでしょうか?

古舘:やっぱり一番嬉しいのは伝わったときですよね。理詰めで話を進めて、最後の一言でドカーンと笑いがきたときなんかは、本当に天にも昇る気持ちになります。自分の想いと相手の受け止めがほぼイコールに感じられると、もう自我が崩れて、自分と世界の境界線がわからなくなるくらい嬉しいです。人と人はわかり合えないし、誤解もします。だけど、一瞬でも理解してもらえるなら、それは喋りをやっていて最高の喜びですね。

――それは身ひとつで人前に立つ、喋りならではの感動かもしれないですね。

古舘:あぁ、そうかもしれない。オーケストラをバックにしてステージに立っていたら、また違うでしょうね。生意気なことを言うと、一人でやってますから。笑いが起こるだけでなく、真剣な眼差しを向けてくれていることも嬉しいですし、もっと言うとポカンと口を開けて寝ている人がいるのもありがたいんですよ。

――寝ている人がいるのもありがたい? どうしてですか?

古舘:自分を図に乗らせないからです。全員が目を見開いて話を聞いてくれていたら、調子に乗って、神様になっちゃうと思うんですよ。失礼な言い方ですけど、口を開けて寝ている人という香辛料があることで気が引き締まるし、真剣に聞いてくださる方への感謝も増します。

下品を承知で、死ぬまで喋り続けたい

――古舘さんは多くのスポーツ選手の引退に立ち会っていますが、ご自身の引退について考えることはありますか?

古舘:まったくないです。24時間稼働態勢のなかに引退の文字がないんですよ。61歳で報道ステーションをやめて、これからは自由に喋れると思ったら、時代と噛み合わず、クドいとかワガママだと言われるようになりました。評判の悪さは数字の悪さに繋がり、65歳くらいのときには番組が潰れていったんです。そこで、ハッと我に返ったんですよ。「これは引退しろということなのかな」って。

 そのときは、そろそろ潮時なのかと思って、ジクジクジクジク考えました。だけど、どうしても引退したくないんですよ。もっと喋って人に聞いてもらいたいという欲がべったり張り付いちゃって、もう剥がせないんですよね。だから、今は生涯現役で喋り屋をやり抜いて、喋りながら死んでいきたいと思っています。

 そこまでできようができまいが、とにかく口が回っている限りは引退しないつもりです。滑舌が悪くなったり、病気で上手く喋れなくなって、誰も聞いてくれなくなったら、それは致し方ない。僕にとっては地獄がやって来るけれど、それはそのときの自分が悩めばいいことで、とりあえず今は引退ってことを頭から外しちゃいました。だって、まだまだ喋りたいんだもん。世間に飽きられても、いけるところまでズルズルやっていきたいというのが正直な気持ちです。

古舘伊知郎さん

――生涯現役であるために、今されている準備はありますか?

古舘:敏感ではなく、過敏なくらいに自分の喋りをチェックしています。滑舌が悪くなったり、ハイトーンが出なくなったり、話のテンポが落ちたり、記憶力が弱くなったり、そういう老化現象や自分の怠りをしっかりと把握すること。そして、能力の人間ドックを毎日することですね。準備を怠って、ずっと現役で喋れると思ったら大間違いなので。いつ限界が来るかわからないからこそ、いつも自分の喋りをチェックするようにはしてます。

――『伝えるための準備学』でも、「準備とは、未来を生きること」と書かれていましたもんね。

古舘:本にも書かせてもらったように、準備は本番で、本番のときにはもう次への準備に入っているんですよ。準備が進んで、ある程度ゴールが見えてきたときに油断は禁物だし、最後までやり遂げなきゃいけません。だけど、同時に次も見据えておく必要があるんですよ。そうやって準備と本番をエンドレスに捉えておかないと、生涯現役なんて無理なんだと思います。

――「次にやること」が常にある状態にしておくのが、生涯現役であるための準備なのかもしれないですね。

古舘:そうなんです。いつも動いていて、すぐに次へいける状態にしておかないと、どんどん衰えていくので。常に練習していないとダメだし、実戦を練習と思っておかないと、さすがに歳なので動きたくなくなっちゃうんですよ。

 昔、落語家の立川談志さんに「古舘、お前覚えとけよ」と教えてもらったことがあって。「上品っていうのは、対象に向かってゆっくりと近づいていくこと。対象に向かって思いっきりスピードを上げて、距離を詰めていくこと、これを下品というんだ。だから、上品なのがよくて、下品なのがあながち悪いわけでもない」って言うんです。それで言うと、僕は潔く上品に引退するのではなく、いつまでも下品に喋りを続けていきたいと思っています。

――アナウンサーデビューした22歳のときには、生涯現役を貫く姿を想像していましたか?

古舘:してませんよ。もう別人ですもん。アナウンサーになりたてで、喋りたくて売れたくて必死だったから、歳をとったらどんな喋り手でいたいかなんか考えていなかったですね。ただ今売れたいってことだけ。獣と一緒ですよ。「けだものだもの」、第二の相田みつをですよ。今、今、今しか見ていない。未来予想もしないし、過去も振り返らず、ただひたすら今売れたいとしか考えていなかったですね。

――48年間のキャリアを振り返ってみて、喋り屋は天職だったと思いますか?

古舘:そう思いたいですね。物語として、そう言い聞かせてますが真実かどうかはわかりません。でも、素直に言えば喋り屋をやってきてよかったなとは思います。まぁ、他に選択肢もなかったですけど。

 今も大人げなくテレビで司会をやりたいと妄想していますよ。現実的に中央でやるのは難しいだろうとも思っていますけど、続けていれば横道に逸れたところでふっと花が咲いたりもするんですよ。だから、トーキングブルースやYouTubeなど、自分がやれる舞台で妄想を広げながら一生懸命やろうと思っています。

 脂ぎってかっこ悪いとか、老害と言われたりして、どんどん喋り狂ってドン引きされてね。モテたいと思い続けてきたけど、モテないのはそこが原因で、いつも勘違いして生きているんですよ。だからと言って、喋りを引退したいとも思わない。それならもう下品を承知で死ぬまで喋り続けます。ずっと矛盾だらけで、下品でありたいですね。

古舘伊知郎さん

取材・文=阿部光平、撮影=金澤正平

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