「ラストの表現がかなりの衝撃だった」月100冊以上のマンガを読む、マンガライター・ちゃんめいさんが台湾マンガ『守娘』『葬送のコンチェルト』をおすすめする理由【インタビュー】
PR 公開日:2024/10/2
――まさに初生もそのタイプですよね(笑)。マンガ表現そのものに、日本とは違うと感じたところはありますか?
ちゃんめい:正直、『葬送のコンチェルト』にはほとんどなくて。豆腐花を食べていたり、背景が私の大好きな台湾の風景だったりして、嬉しくなりはしましたけど(笑)。でも、そういう細かなところを外せば、日本のマンガと何ひとつ変わりがないと思います。『守娘』は、最初にお話ししたように、水墨画のような絵に圧倒されますけれど、これは台湾マンガだからというよりも、著者のオリジナリティという気がする。
――コマ割りも独特で、映像を見ているかのような視点の切り替えの迫力もありますよね。
ちゃんめい:そう。でも、藤本タツキ先生も映像の手法を取り入れて描いていらっしゃいますが、それともまた違うんですよね。そう言う意味では、実は、読むのにけっこう時間がかかったんです。私の知る「マンガ」とは全然、違っていたから読み慣れなくて。意味ありげに抜かれたコマが、伏線として使われるのかと思いきや、物語には関わってこなかったりもする。でも何かしらの効果として心にはずっと残っていて……不思議な体験でした。時間がかかるからといって、疲れて投げ出してしまいたくなるかと言うと、そういうことはまったくなく、むしろぐいぐい引き込まれてしまうのも。
――下巻のラスト、セリフもほとんどなく象徴的な絵だけで進んでいく場面も、圧巻でしたよね……。
ちゃんめい:そうなんです。走り出す潔娘の心情を表現するために、ふつうなら横顔をアップにしたりモノローグで補足したりすると思うんですけど、ただ動きだけで魅せる。それを白黒のマンガで成すことができるんだ、というのはかなりの衝撃でした。
――それだけ、台湾のマンガ文化が成熟しているということでもありますよね。
ちゃんめい:そう思います。日本と同じように、台湾の方々も幼い頃から、ひとつの共通言語としてマンガに触れてきた結果なんじゃないでしょうか。そのなかで一点、台湾ならではの視点をあげるとするならば、2004年にジェンダー平等教育法が制定されたことは大きい気がします。
――小中学校で、性教育を含むジェンダー平等に関する教育を一定時間行うことが法で定められているんですよね。
ちゃんめい:そうした教育があるからこそ『守娘』のような物語も生まれたのかもしれないな、と思います。〈身売りと結婚は一緒〉と、女性が言い放つ場面が描かれていたり、セリフもけっこう痛烈なんですよね。正しいか正しくないかではない、そうしたいかそうしたくないかでもない、その流れに飲まれずには生きていけない女性たちの現実と、それゆえに生まれる悲しき鬼神の姿、それでも抗おうとする少女の姿を通じて、私たちの“今”にも問いかけてくる物語。日本でもこうした作品がどんどん生まれてくれたらいいのになって思います。
――今後、どんな台湾マンガを読んでみたいですか?
ちゃんめい:2作を通じて、台湾でも日本と同じように未だに女性が独身であることで肩身の狭い思いをしているのかもしれない、と感じて。独身アラサー女性の物語は日本でも増えていますが、台湾の方々がどんなふうに描くのかも興味がありますね。あるいは結婚したとしてもDINKsという生き方を選んだ場合にどうするのか、とか。自由に生きることをみんな礼賛するけど、実践するとなるとまわりからやいや言われて、本人たちも人目を気にしてしまうのが現実。その狭間に立たされた人たちの物語を読んでみたい気がします。きっと私たちとは違う、でもわかる何かが詰まっているはずだから。
取材・文=立花もも 撮影=水津惣一郎
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