「愛する人と触れ合えるようになる主人公を通して、生命力を取り戻してもらえたら」最新作『小鳥とリムジン』に込めた願いを小川糸さんに聞く

文芸・カルチャー

公開日:2024/10/9

“自称”父親・コジマさんが小鳥にもたらしたもの

小川糸さん

――理夢人に出逢う前の、コジマさんと過ごす時間が、個人的には読んでいてとても好きだったんですよね。血がつながっている証拠はないけれど、手のかたちで父子であることを直感する場面とか、父親だからといってコジマさんが小鳥にべったりとした関係をもとめず、ただ役割と居場所を与えることで、彼女の損なわれていた安心感が埋められていく過程とか。

小川:子どもが自分の力で生きられるようにすることが、親が果たすべきいちばんの責務であるような気もするんですよ。コジマさんがそれを自覚してやっていたかは、私にもわからないのですが、結果的に、自分がいなくなったあとも小鳥が一人で生きていけるすべを、小鳥は彼との暮らしで得ることができた。自立する力を身につけたからこそ、理夢人とも寄り添いあうことができたのかな、と。ともに生きるパートナーに出逢えることは、とても素敵なことだけど、その場所にたどりつくまでにくりかえされる出逢いと別れもまた、生きていくうえで必要不可欠なエネルギーとなってくれるのではないでしょうか。たとえほんの一瞬だとしても、人との出逢いがもつ影響力って、はかりしれないものがあるなと思うので。

――理夢人という存在は、どのように生まれたんですか?

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小川:彼もまた、決して恵まれた環境に生まれたわけではないし、小鳥同様……いえ、ある意味では小鳥以上に、生みの親に恵まれなかった。だけど、オジバという人に育てられたことで、彼は、自分の境遇を悲しんでいられないくらい満たされた毎日を送ることができたんです。生みの親に愛され、すこやかに育つことができたら、それはもちろんすばらしいことだけれど、その選択を手に入れられなかったからといって、全てが終わるわけではない。生みの親がいなくたって、幸せに生きていくことができるんだということを、小鳥とも対比的に描けたらと思いました。

――〈大きな悲しみとか、苦痛とか、そういうものを吸い取ってくれるのは、自然しかない気がする〉と理夢人は言います。だから彼は、定期的に山伏としての修行に入り、祈りをささげるのだと。彼のつくるお弁当がお客さんたちの心をつかむのは、おいしいからだけでなく、祈りを分け与えているからなのかなという気もしました。

小川:オジバもそうですが、自分のつらさを悲観して泣くのではなく、むしろちょっと楽観的なくらい気軽に受け止めることで、まわりの人たちの光になっていくことができたら、そのあたたかさを分け与えることができたら、素敵ですよね。もちろん、コジマさんと出逢うまでの小鳥は、理不尽な苦しみの連続だったし、過酷なことが重なっていけば、簡単には人を信用できなくなる。頭ではわかっていても、身体的にロックされてしまう部分もあるだろうと思うから、そう簡単にはいかないけれど。

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