絶望ライン工の裏側/絶望ライン工 独身獄中記㉙
公開日:2024/10/16
ここまでご覧頂いた皆様。
本日もご視聴、ありがとうございました。
6畳の和室で深々と頭を下げる、作業着姿の男。
隣には柴犬が侍り、落ち着いた音楽が流れる。
曲のブレイクセクションと同時にエンドカードに切り替わり、徐々にフェードアウトしていく。
ご視聴、ありがとうございました。
「はいOK!」
監督の声がかかる。
ここは都内の撮影スタジオ、6畳の部屋は刑務所の独居房を模して造られた巨大なセットだ。
「みんなお疲れ。今日ちょっとダルいから打ち合わせパスで。」
作業着の男がけだるそうに帽子を脱ぐ。
周りには15名程のスタッフがいる。
照明、音響、カメラ、ヘアメイク、録音、進行、マネージャーにペットトリマー、それに派手な女性が数名。
撮影後の撤収を始めるのか、皆わらわらと動き始める。
「前田さんちょっといい?あのさぁ。前も言ったけどサ」
前田と呼ばれた男性はどうやら脚本家である。
「このルパンのくだりもうやめねぇ?意味わかんないんだけど」
脚本家は困惑した表情で何か言いたそうに作業着の男を見上げていた。
「同じ事何回も言わせんなって。古いんだよ、前田さんの本は」
吐き捨てるように言って楽屋へ向かう。
男の名は絶望ライン工。
動画投稿サイトで人気が出てからというもの、すっかり舞い上がったカラス天狗だ。
生活はどんどん派手になり、今では皆の知る清貧なイメージと対極の存在になった。
工場勤務は嘘ではないが、実際は株主であり役員である。
現場を離れ、撮影以外で作業着に袖を通す日はない。
毎晩六本木に繰り出しては派手に遊び、港区界隈では名の知れた小金持ちだった。
楽屋で作業着を脱ぎ棄てると、全身シュプリームに着替えて煙草に火をつける。
今日も疲れた。どいつもこいつも使えねぇ奴ばかりだ。
前田はもうクビだな、脚本家何人目だ?次はもっと続く奴入れたほうがいいんじゃないか。
マールボロを咥え、そんな事を考えながら煙をくゆらす。
「失礼します」
若い女性が楽屋入ってくる。
「今回のワンちゃんはいかがだったでしょうか」
ワンちゃんというのは柴犬、絶望ライン犬のことである。
彼女はタレント犬を抱える動物プロダクションの営業だ。
「ああ、えっと。うさぎプロの小澤ちゃんか。」
小澤は一礼し、男の傍に座ると宣材資料を広げ始めた。
資料の写真はどれも雌の柴犬、姿形が絶犬によく似た個体ばかりを集めたようだ。
「そうだなァ、今8代目だっけ。あんま懐いてないのがぶっちゃけ気に入らない。」
懐かないのは当然だ、撮影の時にしか会わないのだから。
「申し訳ありません。ではこの子なんかどうでしょう?躾も行き届いておりまして」
「そんなことよりサ。小澤ちゃん。」
男は小澤の腰に手をまわすと、狡猾なヘビの顔になる。
「今度例のパーティーに行かない?俺のツレだって言えば入れるからサ─」
うす暗いモルタルの空間にけたたましい音が鳴り響く。
ギラつくヘッドライトを振り回しながら、ダークブルーのフェラーリが地下駐車場へ入ってくる。
車から這い出す傲慢な表情の男。絶望ライン工だ。
港区のタワーマンション。男は最上階のペントハウスに住んでいた。
動画投稿サイトの視聴者には決して見せられない、別の顔。
そしてこれが本性であり、紛れもない真実だった。
エレベーターを待つ広いロビーに、男は居る。
片手に趣味の悪いセカンドバッグを持ち、もう一方は携帯電話を耳に当て誰かと話をしている。
「ああ、明日からバカンスだからいつも通りゴーストライターにやらせればいい。
誰が書いたかなんてバレないからサ。松原には誠意執筆中だとでも言っておけ。」
マネージャーと連載の相談をしているようだ。
原稿はもう数年間、自分で書いてはいない。
それは曲も同じだった。
男は悪辣で利己的で、要領がよかった。
「東京の夜景が一望できますよ」
不動産営業がそう言うのでタワマンを買ってはみたものの、自慢の大げさな窓にはずっとカーテンがかかったままだ。
夜景は引っ越してすぐに厭きた。こんなもの見たって金は増えない。
それよりあの不動産営業の髪型、ダサかったな。ツーブロックっていうのか?
へへへ、と思い出し笑いをして、ソファに体を放り投げる。
眼前の大きなスクリーンに、もう一人の自分の食事風景が映っていた。
送られてきた撮影データを流しながら、ぼんやりとワインを飲む。
それが男の日課である。
映像の中の自分はひどく純潔で、その虚構にむせ返るような嫌悪感を覚える。
この中にリアリティを見出せるとしたら、今も独身であることくらいだ。
作業着の男の食事が進む。静かに、丁寧に。
麦飯に味噌汁か。そういえばもう撮影以外で食べることもなくなったな。
懐かしむような、羨むような不思議な感覚に陥る。
こいつはすべて作り物なのに。すべてが虚構なのに。
皆ありがたがって観やがる。狂っている。
「へへへ」
思わず笑いが漏れた。
それは嘲笑だった。
誰への?
映像の中の自分と目が合う。
お前は俺じゃあない。
お前は誰だ。
狂っている。
お前は誰だ。
何故俺のフリをしている。
そこは俺の場所だ。
お前は一体誰だ。
映像の中の自分が、一瞬嗤った気がした。
<第30回に続く>41歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。