いまだ衰えぬ「毒親」への関心――中野信子氏が脳科学で読み解く「毒親問題」/なぜ、愛は毒に変わってしまうのか①

暮らし

更新日:2024/10/25

 親を憎んでしまうのは自分のせい? なぜ子どもを束縛したくなる? こんな家族関係の悩みを人知れず抱えている方は多いのではないでしょうか。

 SNSなどで注目される「毒親」について、脳科学者・中野信子氏が鋭く迫った『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』をご紹介します。

 日本の殺人事件のうち55%が親族間殺人。殺人事件の件数は減っているのに家族間の憎しみが増えているのは、「家」という組織の中で一体何が起こっているのでしょうか?

  家族についての悩みはあなたのせいではありません。気鋭の脳科学者が毒親との向き合い方を解説します。

※本記事は書籍『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(中野信子/ポプラ社)より一部抜粋・編集しました

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なぜ、愛は毒に変わってしまうのか
『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(中野信子/ポプラ社)

毒親

 しばらく前から、「毒親」という言葉がよく聞かれるようになりました。1989年にアメリカのスーザン・フォワードが『毒になる親(原題:Toxic Parents)』というタイトルの著書を発表したことから、知られるようになった言葉です。子どもの人生を支配し、子どもの人生に悪影響を及ぼす親について、類型別に詳述されています。

 昨今は、毒親について、ある種のブームのようなものさえ形成されている感があります。子の自立という問題は、人類どころか哺乳類全般にとっての普遍的なテーマであるので、これを「ブーム」と表現することには、やや違和感がなくはないのですが。

 気づかれにくい虐待――心理的なネグレクトや、精神的な虐待、過度の干渉によって子を支配しようとするなど、まさに子どもの成長にとって「毒」となる振る舞いをする親のことを指して、このように命名されたのです。

 社会通念的には敬愛すべき存在であるところの「親」に「毒」という強烈な言葉を結び付けたこの用語は非常に強い印象を与え、にわかには受け入れにくい響きがあります。しかし、使われ始めてからかなりの年月が経っているにもかかわらず、毒親というテーマへの関心は薄れるどころか、むしろいよいよ強まって来ているように見受けられます。毒親を取り上げたドラマや映画も数多く作られるようになり、多くの人の支持を得ています。メインテーマではなかったとしても、作中に毒親要素が織り込まれていると、その部分が注目されてSNSで話題となったり、またその盛り上がりようが二次的に記事化されたりもしています。

 私自身も、個人的な会話の中で「毒親」という単語や、それに関連する話題を試みに出してみると、「うちの親もそうだったんです」とかなりの割合で相手がこの語に食いついてくるような感があります(特に女性に多いように思います)。仕事や、本来するはずだった話そっちのけで、「毒親育ちだった過去の話を聞いてほしい」モードにギアが入ってしまうこともしばしばで、これほどに煩悶が深かったのかと驚かされることも稀ではありません。

 第三者から見れば、親のことをよくもそんな風に言えたものだ、という批判をしたくなるものなのか、「いい歳をして甘えるな」「親に感謝ができないなんて、あなたの性格に問題がある」などという声が聞こえることもあります。やや高圧的に、事情を聞くこともなしに、一言二言、親への負の思いを口にしただけで、不快感を露わにし、感情的に反駁をしてくる人もいるでしょう。また「それは毒親とは言わないよ、よくある話じゃないの。普通だよ。私だって……」などと即座になだめられてしまうこともあるでしょう。

 こうした人にとっては、旧式の社会通念が正義であり、それに従わないことそのものが社会基盤を揺るがす悪に見えてしまっているのかもしれません。その構造もよく理解できますし、彼らが言うことは彼らの世界の中では確かに一理あるものなのです。

 が、実際に苦しんでいる人にとってはまったく的外れな雑音です。涼しい顔で放置しておいたらそのうち消えますよ、と言いたいところですが、それにはやや騒々しすぎるものかもしれません。しかし、雑音は雑音。もうすぐ死んでしまうから必死で鳴くセミの声ほどのもので、自分の人生とはそう関係がないものです。

 とはいえ、なかなかそうも割り切ってしまえないのが人間というものでしょう。第三者のことは放っておけばいいのですが、どうしても「自分が悪いのかもしれない」という気になってしまうのは、第三者その人よりも、自分自身の中に、そのものズバリの後ろめたさがあるからなのかもしれません。どんなに毒だなんだといってはみても、親に愛されたかった、もっとわだかまりなく親に感謝したかった、無条件で愛されていると思いたかった……そういう気持ちが、誰しもどこかにあるのではないかと感じることは少なくありません。

 苦しいのに、この呪縛から逃れられず、その苦しさを小出しにすることさえ難しい。そんな閉塞感がある中で、「毒親」を取り上げたドラマやコミックが支持され、次々と制作されて人気を博しているのは、ゆえなきことではなく、実に興味深い現象であるといえます。

 明らかな虐待行為とは一線を画す言動であったり、一見、愛情深い親と従順な子との「仲良し親子」に見える関係であったりしても、子が自分の意思で行動することが一切許されず、親の意図したとおりに振る舞うことが半強制的に誘導されているのだとしたら……。

 誰にも理解されないであろう息苦しさを、一生背負っていかなければならない理不尽に、どうやって耐えていったらいいのだろう。絶望的な気持ちになってしまうのではないかと思います。

 こうして親に対して憎しみや恨みの感情を持つ自分自身に悩み、後ろめたさを感じていた人が、「毒親」という言葉を知って「自分だけではなかった」と、心の重荷が少しでも取れたとしたら、賛否両論ありはするけれど、苦しむ当人にとってはどんな薬よりも副作用の少ない、すぐれた効果を持った概念なのではないかと思います。

 こんな人をよく見かけます。

 いつも愛情が足りないような感じに苦しめられ、大切な誰かの愛を確かめようとして、極端な態度を取ってしまい、かえってその人の心が離れていってしまう人。

 親の意思を自分の意思だと思い込んで、親の満足するような結婚をしなければと、無謀な婚活にトライし続けてしまう人。

 親の意見と異なる主張を許してもらえず、相手から少しでも強く出られると言い返せずに、職場や自分の家庭でも言葉で殴られるがままになってしまう人。

 親のために「優等生」でいなければならず、一番でなかったり、注目されていなかったりすると不安でたまらなくなってしまう人。

 ちょっとでも否定されると、全人格を否定されたような恐怖感に襲われるので、周囲の人の歓心を金銭で買おうとしたり、暴力で他人の心を従えようとしたりしてしまう人……。

 とりあげていけばきりがありませんが、むしろなんのわだかまりもない人のほうが少ないくらいなのかもしれません。

 日々生きていくなかで感じる心の軋みや苦しみが、親子関係に端を発している可能性は高いでしょう。これをひもといていくことは、その根源的な生きづらさの解消につながるでしょう。それが一人の変革だけでなく、大きなうねりとなれば社会そのものの変革を促すでしょう。

<第2回に続く>

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