娘を妬み毒親化する母。父子トラブルよりも耳にする母と娘の「歪んだ関係」/なぜ、愛は毒に変わってしまうのか②
更新日:2024/10/25
親を憎んでしまうのは自分のせい? なぜ子どもを束縛したくなる? こんな家族関係の悩みを人知れず抱えている方は多いのではないでしょうか。
SNSなどで注目される「毒親」について、脳科学者・中野信子氏が鋭く迫った『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』をご紹介します。
日本の殺人事件のうち55%が親族間殺人。殺人事件の件数は減っているのに家族間の憎しみが増えているのは、「家」という組織の中で一体何が起こっているのでしょうか?
家族についての悩みはあなたのせいではありません。気鋭の脳科学者が毒親との向き合い方を解説します。
※本記事は書籍『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(中野信子/ポプラ社)より一部抜粋・編集しました
注目される母子関係
毒親とひとくくりにされますが、母親と娘の問題は特に大きな注目を浴びるようです。関連本もこれまでにたくさん出版されています。
スーザン・フォワードの『毒になる親』では、毒親をタイプ別に分類し、それらの解説に主眼が置かれて書かれています。日本の書籍では、『白雪姫コンプレックス―白雪姫の母の物語でもあれば、コロシヤ・マザーとコロサレヤ・チャイルドの物語でもあるもの』(1985、佐藤紀子)、『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』(2008、信田さよ子)、『母という病』(2012、岡田尊司)など、40年近く前から近年に至るまで、母子関係の問題に着目した書籍が出版され、その都度、当事者意識のある人々の間で話題となってきました。
家族関係を、「病」であるとして、著者なりの視点で綴った下重暁子さんの書籍も話題になりました。これまで聖域のように扱わなければならなかった家族の問題に切り込み、おかしいと喝破する論調に胸のすく思いをした人も少なからずいるでしょう。
父子のトラブルよりも母娘のトラブルを毒親としてよく耳にするような感があるのはなぜなのでしょうか。統計的に調べればある程度は整理のつけられる問題ではありますが、ひょっとしたら息子は娘よりも親を毒であったとは言いにくいのかもしれません。あるいは、毒だとは認知していないのかもしれません。いずれにしても、ごくプライベートな問題であるゆえにアンケートを取って評価するというやり方がしにくく、研究もこれから、というところがある領野ではあります。
女性であれば、現代ではまだ、ある程度の年齢になると家族、親族から結婚をどうするのかという話が出てくるでしょう。その際、多くの場合は、母から自分の結婚相手についての注文が付けられます。もちろん善意で口を出すことがほとんどでしょうが、気になるケースもあります。直接コントロールしようとあれこれ言うタイプの母と、間接的に子がそういう男を選ばないように誘導するというタイプと、2通りがあるようです。
間接的に言うタイプの人の言辞はこのようです。あの人はこういう男と結婚してこんな風になっちゃったわね、やっぱり女は男を選ばないとダメね、お父さんみたいな人と結婚できるといいけれどあなたは〇〇だから難しそうね、等。
子どもを「不幸にしたい」などとはもちろん、明示的に言うことは憚られるでしょう。けれど「お母さんを置いて、あなた一人だけ幸せになろうっていうの……?」という母親もいます「自分が失敗したから子どもには失敗させたくない」なのか、「自分が失敗したから子どもには成功してほしくない」なのか、「自分の結婚はうまくいったけれど、自分以上に子が幸せになるのは許せない」なのか……。母親たちが決して口にしない、気持ちの中に持っている暗さや重さを感じるとき、私も苦しい気持ちになります。いずれにしても、親本人が、自身では制御できないところに、「無条件で子の幸せを願う」という気持ちとは異質の軋みを抱えていることがあるようです。
これは「白雪姫コンプレックス」の説明にもなりますが、子が自分以上に評価されることに釈然としないものを感じ、憎悪する母もいます。そういう思いを母からぶつけられたことのない人には、驚くべきことのように感じられるかもしれませんが、実際に少なくないのです。
娘が目立っているとそれ以上に目立とうとして、年齢に合わないセクシーな服を着る母、娘がブラジャーを買ってと言うだけで「いやらしい」とけんもほろろに吐き捨てる母、髪を伸ばすことさえ許さない母、娘のファッションをいちいちチェックして、自分のほうが女として上だとマウントを取りにいく母、娘の生活ぶりを細かに観察し、女としてダメ出しをしてくる母……。
子どもが無邪気に幸せに過ごしているとどうにも腹が立ってしょうがない、という親も存在するのです。これが昂じれば虐待という形に発展します。子が調子に乗っているのが許せない、だから「しつけ」として罰を与えるのだ、という親側の言い分は、テレビでもネットでも虐待事件があるごとに周期的に流れますから、どなたもしばしば耳にしたことがあると思います。これは、保身のための詭弁などではなく、彼らの本心でしょう。
虐待する親は、子を調子に乗らせてはいけない、という感情を、ごく自然な愛情として自認しているのです。毒になる親も同じことで、自分の態度は愛情であると信じて疑わないものでしょう。子にとってはその言葉や行為が、紛れもない虐待や毒であったとしても。
愛情と攻撃を司る機構は意外にも脳の中では近接しています。また、この感情は、家族間のほうが他人よりも強く、互いの類似性が高いほど、高まってしまうものです(あえて本節で親と表記している箇所は、この感情が母よりも父で強く感じられる可能性があるためです)。
<第3回に続く>